第45話 プチ女子会

「ミーアちゃん、街にはスムーズに入れた? ここに来るまでに嫌な思いとかしなかった?」


 キュッカの言葉に姉がこくんとうなずく。


 今はキュッカの家で三人で飲み物とお菓子を楽しんでいる。今日は姉が遊びに来た初日という事で高くて美味しいジュースとお菓子が振る舞われている。それだけ緊張されているという事かもしれないが、結果的にはラッキーだ。『リルが一番喜んでるよ』とさっきキュッカに呆れられたが、その通りなので文句はない。


「人間効果ってすごいニャ。珍しいからか顔パスで『どうぞどうぞワン』って感じだったニャ。あたしだけだと絶対に文句つけられるのにニャ……」


 姉の説明にリルも苦笑した。リルにも覚えがある。姉と一緒に買い物をしようとした時に、街の人に姉が軽く難癖をつけられたのだ。

 結局、あの時は事情をリルが話してなんとか分かってもらった。その時の『ああ、あの女の趣味が意味不明な野郎の子供達か』という言葉は今でもよく覚えている。『どういう意味!』と吠えかかろうとしたリルを姉が必死に止めていたのも覚えている。


 なのに、今回は何も悪い事は言われなかったようだ。


「クレオパスさんってすごいんだね」

「……あれはクレオパスさんが何かしたからってわけではないと思うニャ」


 はぁ、とため息をついている。そんなに呆れるような出来事だったのだろうか。追求すると姉は素直に教えてくれた。クレオパスは何度も犬獣人達に呼び止められてじろじろと観察をされたのだそうだ。


 どうりで遅いと思った、とリルは心の中でつぶやく。キュッカが先ほどの質問をしたのもそのせいだ。姉の学校からキュッカの家まではある程度の距離があるが、いくらなんでも時間がかかりすぎだったのだ。


 今、クレオパスはここにいない。ビオンに後を任せて帰ってしまったのだ。帰りも迎えに来てくれるようなのでそれはいいが、ビオンの負担がきつすぎやしないだろうかと心配になる。


 ビオンの存在をキュッカは知らない。今は姿を隠して部屋の隅にいるようだ。ただ、ここでする女子トークをクレオパスに全部報告しないでとはお願いしてある。ビオンはリルの友達なので信用してもいいだろう。


「でもこれなら明日からも大丈夫だと思うニャ」


 姉は心底嬉しそうにそんな事を言う。それならリルも安心だ。


「明日はそこまで呼び止められないだろうしね」

「そうだったらいいけどニャ。リルが待ちくたびれたら可哀想だしニャ」

「お姉ちゃん!?」


 つい数分前の事を蒸し返されてリルは慌てる。確かに遅いと心配していた姉が無事に着いた時はほっとした。そしてその勢いで姉にじゃれついたのだが、改めてそこを突っつかれるのは恥ずかしい。今思い返せば、完全にあの行動は『ただの犬』だった。そういえば、側でキュッカとクレオパスが呆れた顔で見ていたような気がする。


「相変わらずリルはミーアちゃんべったりなんだから」

「リルのお姉ちゃんだもん!」


 キュッカが茶化してくる。すぐにリルはいつもの答えを返した。


「リルが甘えん坊なだけニャ」

「だって本当に心配だったんだもん!」


 そう言うと、キュッカに『大げさ』だと言われる。確かに彼女から見ればそうかもしれない。

 でも、心配になってしまったのだ。この間、お出かけの後で家に母と姉がいなくて焦った気持ちが忘れられないせいかもしれない。


「……心配だったんだもん」


 下を向いて繰り返す。すぐに姉がすりすりと頬を寄せて来た。リルの気持ちを分かってくれたのだろう。


「リル、ホントにクレオパスさんとは何ともないんだね。さっきもクレオパスさん無視してミーアちゃんの所に飛んでいったし」


 ずいぶん前の話を蒸し返された。


 リルとクレオパスは友人である。最近は姉を守る仲間でもある。でもそれだけだ。姉の恐怖をほぐす目的でクレオパスに『お付き合い』をする事を提案した事もあった。だが、それはクレオパスにあっさり却下された。

 あれから少しだけ子供扱いされるようになった気がする。それは何となく悔しいことだった。馬鹿にされているような気がするのだ。


「うん。なんにもないよ」


 だからきっぱりと答える。


「でも一緒に出かけたんだよね。その時にケンカでもした?」

「一緒に出かけた!?」


 何故か姉がびっくりした顔をしている。どうしたのだろうとリルは首を傾げた。父とリルがクレオパスと出かけた事は姉も知っているはずだ。あんな大変な事があった日なのに忘れてしまったのだろうか。

 姉に説明をすると、二人は揃って脱力したような顔をする。失礼だ。


「なんだ。リルたちのお父さんも一緒だったの。じゃあ全然デートじゃないじゃない」

「だからデートじゃないってリル最初から言ったよ!」

「言ってないよ。私たちは『クレオパスさんとちょっと……』とか言ってモジモジしたのしか知らないよ」

「リルっ! 紛らわしい事して! お騒がせなんだからっ!」


 何故か姉が叱って来る。そして何故か手でプニプニとリルのほっぺたを押して来る。でも姉の肉球の感触が気持ちいいのでそのままにしておく。もし、リルが猫獣人だったら喉をゴロゴロ鳴らしているのだろう。その代わりに尻尾がぶんぶん動く。


「ミーアちゃん、リル喜んでるよ」


 キュッカがさらっと突っ込んで来る。姉は「もうっ」と言ってため息をついた。


「本当にそういうつもりはないのニャ?」

「ないよ」


 本当にないので素直に言う。姉は明らかに安心した表情をしていた。


「どうしたの、ミーアちゃん」

「だってもし結ばれたら人間の土地に行かなくちゃいけないからニャ。それは寂しいからニャ。……だからクレオパスさんと結ばれるのは無理だと思うニャ」


 心底寂しそうにそんな事を言う。何か自分自身に言い聞かせているみたいだ、とリルは思った。


「人間の土地に? 何で?」


 キュッカが首をかしげているので姉が説明をした。クレオパスは人間の土地から不思議な力で来ている。今は帰り方が分からないようだが、親とも連絡がついたようだし、近いうちに帰ってしまうだろう。そしてそれをクレオパスは心から待ち望んでいるのだと。

 説明が終わると、姉は心底寂しそうにため息を吐いた。様子が変だ。


「ミーアちゃん?」


 キュッカも同じ事を思ったらしく、姉に声をかける。


「何ですかニャ?」

「ミーアちゃんはクレオパスさんと離れるの、寂しいの?」


 キュッカがそう言った途端、姉が何かに気づいたようにはっとする。そうして何故かうろたえ始めた。


「ニャ!? ニャッ、ニャッ、ニャッ! ちがっ……! いや、その……違うんですニャ!」


 何が違うというのだろう。そして姉は何を慌てているのだろう。


「お姉ちゃん」

「だ、だから違うんですニャ。リル、信じて!」


 何故か顔を隠し、ぶんぶんと首を振っている。なんだか最近の姉は変だ。

 それでも、よその家でいつまでもうろたえているわけにはいかないと思ったのだろう。一つ深呼吸して顔をあげている。


「へ、変な所見せちゃってごめんなさいニャ」

「大丈夫だよ」


 何故かキュッカがにやにやと笑っている。おまけに『そっちかぁー』などと言っている。何がどっちなのだろう。リルにはさっぱり分からない事だらけだ。おまけに姉は『そ、そういう事じゃないのニャ』などと謎な話をしている。


「ねえ、ミーアちゃん。クレオパスさんがこっちに残る可能性はないの?」

「ないと思うニャ。クレオパスさんからはお父さんの話しか聞いてないけど、きっとクレオパスさんのお母さんも心配してると思うんですニャ」

「そうだよね」

「あたしだって家族の誰かがいきなりいなくなると思うとぞっとするニャ。だから……クレオパスさんが残るのは無理だと思うニャ」


 そう言いながらちびちびとジュースのカップを口に運んでいる。気持ちを落ち着けるためだろう。


 姉の言う事はリルにも分かる。もし、そんな事があったらリルだって悲しい。


 リルの脳裏に娘を攫われて泣いているマーシャの姿がよみがえってくる。クレオパスの親も同じように悲しんでいるのだろう。


「お姉ちゃんはどこにも行かないでね」


 つい口からそんな言葉が出て来る。何故、今、不安になったのか、リル自身にも分からなかった。でも言わずにはいられなかった。


「……うん。どこにも行かないニャ」


 姉は重々しい口調で返事してくれた。その表情はやはりどこか悲しそうだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る