第44話 お迎え

「あっつ……」


 クレオパスは一言つぶやいて額の汗を拭った。今は猫獣人の学校の門の前にいる。もうすぐミーアがここにやってくるのだ。


 カーロ達の許可はすぐ取れた。信用し過ぎだろうと思う。本当にいいのだろうか。でも、だからこそ安易に手を出してはいけないとも思うのだ。


 それにしてもここ数日で一気に暑くなった。おまけに今は昼間だ。結構辛いものがある。


 でも、クレオパスはこの季節が来るのを待っていたのだ。


「夏か……」


 その言葉を口にするとじわじわと嬉しさが湧いて来る。

 もうすぐシンガス家の者達が来る。という事は、獣人少女誘拐について相談出来るという事だ。クレオパスの事をどう思っているのかというのは不安だが、いくらなんでもこんな大事件に私情を挟んでくる事はないはずだ。大体、これには彼らの取引の未来も絡んでいる。

 ただ、ミュコスで何かあったらしいので、来るのが遅れるかもしれないとは思っている。

 それでもそこまでは遅くならないはずだ。そこまで取り引き相手を待たせるのは彼らにとってもいいとは思えない。


 クレオパスの懐には常に証拠の魔石とラーティクから預かった金貨が入っている。金貨はアイハ金貨に似ていたがどこか違うようにも見えた。予想通りだったら、あれはレトゥアナ金貨なのだろうか。


「お待たせ」


 後ろで妙に弾んだ声がする。振り向くと、ミーアがにこやかな顔をして立っていた。


「遅くなっちゃってごめんなさい」

「ううん。さっき来た所だから」


 なんだか恋人同士みたいなやり取りだ。そう考えると急に恥ずかしくなって来る。


「汗吹き出してるけど」


 ミーアは呆れたように言ってクレオパスの額をハンカチで拭い始めた。これはアピールなのか、クレオパスを弟のように扱って恐怖を和らげよう作戦の続きなのかさっぱり分からない。

 実際には授業が終わってから軽く身だしなみを整えたせいで、暑い中クレオパスを待たせてしまった事をすまなく思った行動だったのだが、そんな事などクレオパスには思い至らなかった。ミーアが学校で身だしなみを整えた事にも気づいていなかったのだ。


 クレオパスもミーアがオシャレをしている事は気づいていた。今朝、大騒ぎしながら髪を結っている声を聞いたせいでもある。結局一人では上手くいかず、ミメットに助けを求めていた所まで聞いてしまった。


「何?」


 そんな事を思い出していると、ミーアが声をかけて来た。


「いや、その三つ編み可愛いなと思って」


 我ながら何を言っているのだろうと考える。これではナンパ男みたいだ。でも嘘ではない。両サイドで編んだ髪の毛を首の上あたりでまとめた髪型は彼女にとても似合っていた。


「編み込みなんだけど……」


 ミーアが困ったようにおずおずと訂正した事でクレオパスの恥ずかしさは最高潮になってしまった。


 でもいつまでも校門前でそんなやり取りをしているのはよくない。珍しい『人間』が来てるという事で人だかりも出来てしまった。

 クレオパスとミーアは予定通りキュッカの家に向かう事にした。


「さっきはどうしたの? あたしが来た時嬉しそうだったけど」


 ミーアが話しかけて来る。


「夏だなって思ってたんだよ」

「クレオパスさん、夏好きなの?」

「……あんまり。暑いし」


 そう答えると、ミーアは空を見上げる。そして感情のこもった様子で『確かに暑いね』と答えた。


「じゃあ夏に何かあるの?」


 きょとんとしながら聞いて来る。自分の問題なのに忘れてしまったのだろうか。


「猫獣人の取り引き相手の人間が来るんだろ? そうすればいろいろな問題が解決するかもしれないじゃないか」


 素直にそう答えると、ミーアがうつむいてしまった。助けてくれるかもしれない相手でもまだ人間は怖いのだろうか。


「クレオパスさんのお父さんが連絡を取ってくれるんだってビオンちゃんが言ってたよね?」

「うん」

「クレオパスさんのお父さんもその人達と一緒に来るの?」

「どうだろなあ……」


 それについてはそうとしか答えられない。師匠は何かミュコス国の大きな問題に巻き込まれているらしいのだ。それが解決するまではクレオパスもここで待機しなければいけないと言われている。何やら抗議しなければならない事があるらしいが、詳しい事は教えてもらっていない。師匠はミュコスの民の間で一目置かれているから関わる事になったのだろうか。もしかしたらメラン一族の今後に関わる話なのかもしれない。


「『どうだろなあ』って……。それでいいの?」


 素直に答えたのに何故かミーアは呆れた目を向けて来る。


「しょうがないだろ。いろいろ事情があるんだから」

「クレオパスさんがいいならそれでいいんだけど……」


 ミーアはまだ納得していない表情をしている。きっと心配してくれているのだろう。優しい性格をしているのだ。


「ところであの人間、本当にまた来るの?」

「うん。多分」


 ミーアが少し話を変えて来た。でもこれも大事な話だ。


「でもあれから来ないけど?」

「来たよ」


 真実を答えると、ミーアがぎょっとした顔をした。


「来たって? あたし見てないけど」

「あの時間はミーアさん寝てたから」


 そう言うと、ミーアが何かを考える仕草をする。そうして何故かキラキラとした目でクレオパスを見つめて来た。こっそり夜中に頑張って戦ってくれたと思っているのだろう。実際には彼らはクレオパスが家に張った結界に阻まれただけなのだが、言わないでおく。彼らはおおかたクレオパスが没収した魔石を取り返しにでも来たのだろう。窓から彼らの様子を確認しながら『眠いのにいい加減にしてくれよ』と思った事を思い出す。


「とにかく何かあったらビオンに知らせて。おれに報告するように言ってあるから」

「クレオパスさんもキュッカちゃんの家にいればいいのに」

「女の子三人の中に入るって気まずいだろ。それにおれはまだ仕事が残ってるんだよ」


 とんでもない提案をしてくるので慌てて断る。その返答にミーアがくすくすと笑った。どうやら軽くからかわれたようだ。


 嘘は言っていない。ミーアを送るから外出しているだけで、クレオパスはまだ仕事をしなければいけないのだ。これから収穫するものも多くなるので忙しくなると言われている。いつもはお手伝いをするミーアがキュッカの家に行っているので彼女のかわりに頑張る必要があるのだ。衣食住を保証されているのだ。それだけの働きはしなければいけない。

 それをミーアも理解しているのであっさりと引いてくれたのだろう。


「週末はあたし達も手伝うから」

「うん。ありがとう」


 お礼を言いながらも『あたし達』という所に笑いがこみ上げて来る。ミーアは間違いなくわざと言ったのだろう。リルのワンワンと文句を言う声が聞こえるようだ。でも、リルもお留守番は嫌なようで、結局はついて来てお手伝いをする事は二人とも知っている。


 クレオパスとミーアは顔を見合わせて笑った。

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