第42話 父子の距離

「まったく、クレオパスわたしの息子は頑固だな」


 イアコボスはしみじみとそうつぶやいた。


 先ほどまでクレオパスの精霊が報告に来ていた。息子からの伝言と簡単な報告書を持って来てくれていたのだ。


 クレオパスは精霊に『ビオン』と名付けた。異世界の言葉で『人生』を意味する言葉だ。これからの一生を共に過ごしていく相手だからそういう名前にしたそうだ。

 いい名だな、と息子が目の前にいたら言ってあげたい。でも、それは今のイアコボスには出来ないのだ。それをとても寂しく思う。


 座っている椅子の肘掛けを撫でる。特注で買った上質のものだ。

 これに座るたびに、クレオパスの小さい頃を思い出す。


—―父さん、見て! おれかっこいい?


 楽しそうにそう聞いて来た声がはっきりと思い出される。


 息子はこの椅子が大好きだった。だから小さな頃はよく座って遊んでいた。これに座ると父さんみたいにかっこよく見えるはずだ、なんて可愛い事まで言っていた。


 勝手に親の椅子に座るのはかっこいい行動ではない、と叱ったが、その時にしゅんとする息子が可哀想になって膝に乗せたせいで、『この椅子に座ると、父さんが膝に座らせてくれる』と学習してしまったのは失敗だった。でもイアコボスも息子に甘えられるのは嬉しいので逆によかったのかもしれない。


 懐かしい思い出だ。その頃のクレオパスは、自分がイアコボスの実子ではないなんて考えた事すらなかっただろう。


 それが変わったのは、間違いなくクレオパスの十歳の誕生日だった。


 ミュコスの民だけが持っている自分の魂に属する精霊。それは生まれた直後に自分の一族の当主の屋敷に預けられる。そして、十歳の誕生日に当主の元で契約をするのだ。


 イアコボスだってあんな事になるなんて思ってもいなかった。『クレオパス』はイアコボスの息子として九年間過ごしてきたのだ。『クレオパス』とホンドロヤニスは関わりなどない事になっている。それはシンガス家の者もメラン家の当主も了承しているはずだった。イアコボスが『クレオパス』を抱き上げ、皆に向かって怒鳴ったあの日から。


 ホンドロヤニスの事は現代史の一つとして『昔、一族にこういう悪い人がいた。メラン一族の一員として、彼を反面教師にして生きなければいけないよ』という形で教えるつもりだった。


 なのに現実は厳しいものだ。意気揚々と当主の元に出かけて行った息子が暗い表情で帰ってきたのだ。


——ごめんなさい。


 息子はそれだけを言った。あの言葉一つにいくつの意味が込められていたのだろう。今でも思い出すとやるせない気持ちになってくる。


 あの時のクレオパスは何もかも諦めた目をしていた。当主の息子とその取り巻きに自分の出自を教えられたのだ。そうしてたくさん罵声を浴びせられたらしい。たまたま近くにいた大人が叱ってくれたから長時間ではなかったが、クレオパスの心をぼろぼろにするのには十分だったようだ。


 これは精霊の件を当主に問いただしにいった時に聞いた話だ。


 あんな悲しい顔は二度と見たくなかった。なのに、クレオパスはそういう表情をよく見せるようになってしまった。


 そうしていつからか『父さん』とも呼ばれなくなった。その代わりに『師匠』と呼ばれるようになった。

 『イアコボスがクレオパスを引き取ったのは野放しにして悪に染めないため。だから魔術も教えてくれる』と無理矢理に解釈したようだ。そうしないと気持ちが持たなかったのだろう。


 当主の息子はクレオパスを嫌っている。憎んでいるという方が近いかもしれない。クレオパスが生きている事自体をよく思っていないという事を、イアコボスはこの前、嫌というほど思い知った。


 メラン一族にはまだそういう考えを持った者が今でも何人かいるようだ。それはとても嘆かわしい事だ。


 確かにホンドロヤニスのした事は間違っているとイアコボスも思っている。でも、その罪を当時一歳だった子どもに押し付けるのはもっと間違っている。


 大体、『クレオパス』はイアコボスの子なのだ。そのつもりで育ててきたし、これからもそうだ。それが認められたからこそ息子はシンガス一族に罰せられずに生きる事が出来たのだ。


 その事をメラン家の当主は忘れてしまったのだろうか。間違いなく忘れてしまったのだろう。抗議に行ったイアコボスに向かっていけしゃあしゃあと、『クレオパスが憎んで事件を起こすといけないから魔力回復薬に関わる者の話はしない方がいい。その方が彼のためだ』と言うのだから。


 だから、ミュコスの民として知っておくべき事、魔力回復薬の材料になる植物を育ててくれている獣人や、原産地であり、ホンドロヤニスが迷惑をかけた異世界に関する知識は表立って教える事が出来なくなってしまった。表立って抵抗すれば、クレオパスの立場すら悪くなってしまうのだ。


 ただ、軽い抵抗としてそれらの話を『物語』として寝る前に話して聞かせる事にした。これなら勉強ではないので問題はないと考えての事だ。


 ホンドロヤニスの事件の時の当主だったヴァシリスが生きていればこんな事にはならなかったに違いない。前当主はクレオパスの苦しい立場も分かっていたし、その上で一族の人間として受け入れてくれていた。


 大体、クレオパスが真実を知ったとしても、全く関係のない者達を恨むような教育をしたつもりはない。実際、ビオンによると、息子は獣人達に悪い感情は持っていないようだ。


——むしろ、獣人達には謝らなければいけないんだろうな。大事に育てた植物を勝手に悪用されたんだから。知らせるメリットが全くないからおれも何も言うつもりはないけど。


 そう言っていたと聞いた。そして、『「獣人達を恨んでるか?」なんて質問を二度とするんじゃない。獣人達に失礼だ』と厳しく叱ったそうだ。


 それを聞いてとても誇らしく思った。さすがは自分の息子だと胸を張りたい気持ちになった。


 それに比べて当主の子育ては失敗したようだ。


 そこまで考えて嫌な気持ちになる。あの事は簡単に許せる事ではない。いや、許したくない。当主親子のせいでイアコボスは今でも息子に会う事が出来ないのだ。


 会うためには、今抱えている問題を解決しなければいけない。


 息子はシンガス家の者が獣人達ときちんとした取引をしているかもしれないと書いて来ていた。それならば先に根回しをする必要がある。


 ついでにあのことも報告してしまおうか、と考える。報告する事にデメリットはない。


 イアコボスは何の罪もない大事な息子に危害を加える者には容赦しないのだ。それがたとえ、他国の王族が使わした者かもしれなくても、当主の息子でも。


 イアコボスには彼らを許すつもりなど絶対になかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る