第35話 どうして

 何かの気配がする。クレオパスはそれを確認する為にゆっくりと目を開けた。

 なのに、目を開け終わると、もうその気配は消えている。


「何なんだ?」


 ぽつりとつぶやいて起き上がった。


 それにしても体が全く痛くない。蹴飛ばされた直後はあんなに痛かったのに不思議だ。

 あれだけ蹴られれば痣くらいは残るだろう。なのに、それもない。


 不安に思って懐にある袋を確認するが、魔石はきちんとそこに揃っていた。


 何だか不気味だ。何が起こっているのだろう。


 密かな味方がいて、助けてくれているのならいい。でも、もし、クレオパスを取り込む為に、犯罪組織の黒幕が直々に傷を治しに来てしまっていたのなら大問題だ。敵に借りを作ってしまうわけにはいかない。


 何にせよ。犯罪者になどに屈するわけにはいかない。


 改めて決意を固めていると、ノックの音がする。クレオパスはいつもの習慣で通訳魔術を発動させた。


「クレオパスさん、起きてますか?」


 ミーアの声がする。起きてるよ、と言うと遠慮がちにドアが開かれた。


「夕食出来たけど……」

「ああ、うん。今行く」


 そう言って扉に向かう。なのに、ミーアはその扉を閉めてしまった。


「ミーアさん?」

「ちょっと聞きたい事があるんです」


 少し緊張した様子でそんな事を言う。


「ああ、今日来た男についておれが知った情報とかですか?」

「え?」


 間違いなくその話だろうと思って返事したのに、ミーアはきょとんとしている。

 そして、少し考え、ぶるぶると震え始めた。


「い、いやだ、怖い事思い出させないでよ」


 そんな事を言いながら子猫のような心細い声で鳴いている。刺激してしまっただろうか。そうだったらとても悪い事をしてしまった。


「今日知った情報以外にもいろいろ調べてみるから」


 そう言うと、ミーアは怯えながらもこくりとうなずいた。


「きょ、今日はありがとうございました」


 改めてお礼を言われる。クレオパスも穏やかに、どういたしまして、と返した。


「で、うちにはもう悪い人間は来ないですよね」

「いや、絶対にまた来ると思いますよ。あいつではないかもしれませんが」

「ニャア!」


 ここで現実を突きつけるのは酷なのかもしれない。でも、終わっているつもりになっているのならきちんと訂正しておかなければならない。


「敵、逃げちゃいましたからね。多分、今頃おれの情報はあっちに渡っちゃってると思った方がいいですね」

「大丈夫なの?」

「だからあの時おれとリルさんで追っかけるって言ったんだろうが!」

「ニャア! ご、ごめんなさい!」


 厳しく言うと、ミーアは小さくなってしまった。でも、『蹴られてたし』と付け加えている。相当心配をかけてしまったようだ。


「で、怪我の具合はどうなの?」

「だいぶよくなった、かな?」


 そう言うしかないだろう。起きたら見知らぬ誰かに完治させられていたなんて恐ろしい話は聞かせない方がいい。

 リルなら『良かったじゃん』と能天気に言いそうだが、ミーアはこれの恐ろしい意味が分かるだろう。


 念の為に家の周りも結界で囲んでおいた方がいいだろうか。そしてカーロ達に報告しなければいけない。


 難しい顔で考え込んでいると、ミーアが顔を覗き込んで来る。


「無茶しちゃダメですからね」


 そうして念を押される。クレオパスはため息をついた。


「それはリルさんに言ったら?」


 素直に本音を口に出す。


 今日のリルは本当に無茶をしていた。悪者の軌道上に飛び出した時は本当にひやりとしたのだ。

 結界が間に合ってよかったが、そうでなければリルは誘拐未遂犯に押しつぶされていただろう。


「リル……」


 ミーアは何故か不満そうに唸っている。彼女は誰よりもリルを可愛がっているはずなのにどうしたのだろう。


「……そんな心配するくせに平然と振ったりは出来るのね」

「え? あ! あれはっ!」


 昨日の事を蒸し返されて慌てる。どうやらミーアの『話』はそちらだったようだ。


「『あれは』何? リルの何が不満なの?」


 何でミーアに文句を言われなければいけないのだろう。これはクレオパスとリルの問題だ。


 ため息が出て来る。そうすると、ミーアの目つきが余計に厳しくなった。


 本当の事は話せない。言えば、ミーアにいらぬ気遣いをさせるだろうし、リルだってそんな事は望んでいない。


 かといって、ここで『お前の問題じゃないだろ。口を挟んで来るな!』などと言ってミーアとの関係を悪化させるのも良くない。そうすれば、またリルが『やっぱり付き合ってお姉ちゃんを安心させよう!』と言いかねないのだ。


 ミーアは真剣な目でクレオパスを見ている。嘘はつけない。なら、『もう一つの理由』を話すしかない。


「リルさんのおれに惚れてるっていう気持ちがない事が一番の原因かな?」

「へ?」


 全く予想していなかった返答にミーアが目をぱちくりさせた。


「えっと、どういう事?」

「リルさん、昨日友達と恋愛話をしたんだって。それでその友達に『恋愛って楽しいよ』って吹き込まれたらしい。で、とりあえず一緒に住んでいるおれに声をかけたってだけ。そんなん真面目に取り合う方がおかしいだろ」


 きちんと説明すると、ミーアが頭を抱えた。『恋に恋するお年頃』とつぶやいている。お前も同い年だろ、と心の中で突っ込んだ。


 ミーアの唇が少しほころんだ。頬がどことなくピンクに染まっている気がする。


「ミーアさん?」


 その空気がどことなく居心地が悪くて、クレオパスはつい声を出してしまう。ミーアは小さく『ニャッ!』と声をあげた。


「えっと、違うのよ! いや、違わないけど違うのよ!」


 にゃぁにゃぁと顔を赤くしながら何やら言い訳をしている。そんな反応をされたら『う、うん』としか言えない。


「え、えーっと……もう食事だから行きませんか? きっとリルが待ちくたびれてますから」

「はい。そうですね。『クレオパスさん超お寝坊!』とか思ってそうですね」


 リルの口まねをするクレオパスを見て、ミーアが笑った。それで空気もある程度正常に戻って行く。


 先に行ってる、という言葉にはうなずいておいた。この場合は別々に行った方がいいはずだ。


「……なんで帰るの?」


 ドア越しにミーアの小さな小さな声が聞こえてきた。


 独り言だと分かる。答えは求められていない。


 もちろん、クレオパスは何も答えられなかった。


 クレオパスは『何も知らない』し、『何も聞いていない』のだ。



 そうでなければいけないのだ。

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