第30話 陣の跡地(後編)

 そこは家の裏手だった。


 なるほど、とクレオパスは心の中で冷たくつぶやく。


 誘拐犯達はこれでラーティク達と秘密の取引でもしているつもりなのだろう。そんな事を両親が了承するはずがない事は分かるはずだ。間違いなく彼らはと同類だ。


「クレオパスさん、ラーティクさんが怖がってるってば!」


 リルが腕をぽふぽふ叩きながら注意して来る。彼の方を見ると、ご近所さんにつかまってぶるぶる震えている。自分は相当怖い顔をしていたようだ。


 そういえば、前にも似たような事があった。その時の被害者はミーアだった事を思い出す。


「ごめん」

「謝るなら怖がらせたラーティクさんにするの!」


 慌てて表情を戻すが、リルは厳しかった。


「すみません、ラーティクさん」

「ニャア……」


 ラーティクはまだ怖がっている。悪い事をしてしまった。


 猫獣人達は何故いきなりクレオパスが謝ったのか分からないようでぽかんとしている。


 犬獣人父娘は獣人共通語が使えるので、クレオパスは自分だけの為にしか通訳魔術を使っていないのだ。彼らにはリルの犬語は『わんわん』というようにしか聞こえない。


「クレオパスさんは犯人に関する何かに気づいたんだと思いますワン。それで犯人に怒っているんですワン。決してここにいる方々に怒っているわけではないんですワン」


 リルが親切に説明してくれる。ありがたい。


「ありがとう、リルさん」

「いえいえワン」


 リルは役に立った事が嬉しいのか、ニコニコと笑っている。尻尾まで振ってとてもご機嫌だ。


「では改めて調べさせていただきます」

「どうぞニャン」


 許可を出すのがラーティクでないのは仕方のない事なのだろう。


「怖かったら下がっててくださいね」


 そう断ると、猫獣人達は大人しく一歩下がってくれた。リルは間近で見たかったようだが、カーロによって強制的に後ろに連れていかれていた。


《クレオパス・メランの名において命ずる。この場にある魔力の跡よ——》


 長い長い呪文を唱え始める。かけているのは術式、または魔法陣探索と復元の魔術だ。もちろん復元した陣か術式が発動しないようにする術も組み込む。


 これを失敗するわけにはいかないのだ。別に失敗したからといって、クレオパスや猫獣人達、そして犬獣人父娘に何かがあるわけではない。でも信用は失う。


 呪文や魔術式は言語の一つだ。そして、その『言葉』が、魔力を望むものに変えてくれる。だから丁寧に、一字一句間違いないように気をつけなければいけないのだ。

 呪文を『言語の一つ』として認識しているのはミュコスの民と大国アイハの王とその直系の王子王女、そしてイシアルの大魔導師くらいだろう。

 上級文字——外国人のいう所の『魔術文字』は文字として認識しているのに不思議だ。


《——して我の前に姿を現せ!》


 呪文を唱え終わると同時に自分の術に大量の魔力を一気に注ぎ込む。


 猫獣人達から『に゛ゃぁっ!』という悲鳴が聞こえた。術式の跡が綺麗に再現され、光ったからだろう。

 でもそんな事に構ってはいられない。クレオパスは素早く術式に歩み寄り、文字を読んだ。


 まず、使われている魔力の跡が薄い事に気づいた。これは相手の能力が大きすぎて再現しきれなかったか、魔石などを媒介にした術なのかのどちらかだ。

 多分、これは後者だろう。実力の高い魔術師が使った魔術なら、跡は間違いなく綺麗に拭われている。がクレオパスの術に反応するわけがない。


 次に座標を確かめる。これで術者が大体どこの国の者なのかが分かるはずだ。


 昨日のうちにミーアから借りた地図帳を開く。最初は訝しげな目で見られたが、理由を言ったら快く貸してくれた。ミーアだって事件の解決を望んでいるのだ。

 そうして方角と距離から国を推測してまた眉をひそめる事になってしまった。


「……レトゥアナ?」


 小声でひとりごちる。


 これは予測していなかった。レトゥアナ王国は王族とその血を濃く引く貴族しか魔力を持たない国だからだ。


 この国はとても歴史が浅い。初代王のビバルが王位についてから三百年前後くらいしか経っていない。

 それ以前にも、国として成り立っていたが、王族が魔力を持たなかった頃は権力もとても弱かった。

 歴史の授業でビバル王を初代王として教えているという事は、ミュコスもその頃はレトゥアナ王国を国として見ていなかったという事だ。前に読んだことのある歴史書にはビバルの母親のノエリア——イシアル王国という国の上流貴族出身で当然魔力持ちである——を初代王としているものまであった。


 とにかく、レトゥアナ王国は民が魔力を持たない国である。それなのにどうして、と考え先ほどの薄い魔力の事を思い出す。


 それで彼らは魔石を使ったのだ。魔力の塊である魔石の中には魔力持ちでない人間が魔術を使えるものも存在する。そういう者が魔術書を読み解いて術を使う事も出来るのだ。算術を使えば距離を計算して式に書き込む事も可能だろう。


 クレオパスの推理が当たっていればこれは大問題だ。世界魔術師協会に連絡して動いてもらわなければならない事案だろう。


 とはいえ、今は動けない。どうやって北半球に行けばいいのか分からないし、その間に犯罪は増えるだろう。もしかしたらミーア達も巻き込まれてしまうかもしれない。


 となると、希望はもうすぐ来るであろうシンガス家の者しかいない。

 会うのが怖いとか言っている場合ではない。これは重大問題だ。


 これから一ヶ月あまりで犯人に行き着かなければならない。そして犯人を突き出すか、レポートを出すかしなくてはならないのだ。

 それにはまだ情報がいる。


「すみませんが、現れたというお金を少し見せていただけますか?」


 クレオパスは猫獣人達にお願いをした。

 調査はまだ始まったばかりなのだとクレオパスはしっかりと自覚していた。

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