第28話 誠意のかたち
ミーアはじょうろを持ちながら何度目か分からないため息をついた。
昨日聞いた会話が頭から離れない。
——で、リルとは付き合わないの?
——別にその必要はないだろ。
あれは間違いなく、クレオパスが愛妹を振っている光景だった。
あれではリルが可哀想すぎる。
おまけに、ミーアが見たクレオパスは笑顔だった。あんなにこやかな顔で女の子を振るなんて、なんという酷い男だろう。
戻って来たリルは平然としてた顔をしていたが、傷ついていないはずがないだろう。ミーアが寝付いた後で、枕に顔を埋めて泣いている妹の想像が浮かんで来る。
実際には、リルは泣くどころか、美味しいご馳走の夢を見ながら幸せな気分で爆睡していたのだが、そんな事はミーアは知らなかった。
「必要ないって何よ。あんな可愛いリルの何が不満なのよ。これだから人間は……」
悪態をついてみるが弱々しくなってしまう。クレオパスがリルをいじめているわけではない事はミーアにも分かっている。そしてそれが人間全体には関係ない事もきちんと分かっている。これは単に八つ当たりだ。
おまけにリルが可哀想という理由以外にもなんだか心がもやもやするのだ。一体どういう事だろう。
もう一度ため息を吐く。クレオパスは本当に人騒がせだ。
でも、今は文句を言う事も出来ない。クレオパスは父と妹を連れて別の猫獣人の暮らす土地に行っているのだ。
自分を振った男と出かけてリルは大丈夫なのだろうか。辛くはないのだろうか。
「ミーア、どうしたの?」
「にゃぉ……」
母が声をかけてきた。ミーアは弱々しい声でそれに答える。
「クレオパスくんのかわりに今日は頑張るんじゃなかったの?」
「にゃぉ……」
「あら、ミーアは『にゃぉ』しか言えなくなったの?」
「……にゃーぉ!」
からかってくる母に不満声で抗議したが、それも『にゃぉ』としか出てこなかった。母が笑う。
母が何故心配しているのかは分かる。いつもは楽しいお手伝いが今日は全然はかどらないのだ。おまけに口から出るのはため息ばかり。声をかけて当然なのだ。
お昼にしようか、という言葉にうなずく。これでは何も出来ない。
母と二人で、持参したお弁当を広げる。パンにスライスした保存肉を挟んだだけのシンプルなお料理。でも、これがとても美味しいのだ。
つい悩みも忘れてもぐもぐと食べてしまう。悩みすぎてお腹がすいている事にも気づいていなかったのだ。
「ミーア、クレオパスくんと喧嘩したの?」
パンを一つ食べ終わると母が確信をついてきた。ミーアはぽかんとしてしまう。
「何で?」
「だって今朝、クレオパスくんが起きて来た時に軽く睨んでたし、あっちはあっちで困った顔をしてたもの。さっき私が入って来た時も『これだから人間は』とか言ってたしね」
なんと言っていいのか分からない。母はミーアの事をよく見ている。
「リルも心配してたわよ」
リル、と聞いてあの嫌な光景を思い出してしまう。
「あたしのかわいいリルを……」
また口から恨み言が出て来てしまった。
「クレオパスくんがリルに何かしたの?」
母が首をかしげる。喋りすぎてしまっただろうか。
ミーアだって、これがリルとクレオパスの問題だという事は分かっている。リルが『わーん! おねえちゃーん!』と泣きついてこない限り、何もするべきではない。それでも姉としては気になってしまうのだ。
「にゃぉ……」
だからそれしか言えない。母が苦笑する。
「それじゃあ分からないでしょ」
「だって……」
もごもごとごまかす。でも母はそんな事は許してくれなかった。二つ目のパンにのばした手を押さえつけられる。
「話さないと私もどうする事も出来ないでしょ」
それもそうだ。母ならミーアの悩みも解決してくれるかもしれない。
リル、勝手に喋ってごめんね、と心の中だけで謝り、事のあらましを説明する。
話を聞いた母は、首を傾げた。
「リルってクレオパスくんの事好きだったの? そんな気配全くなかったけど……」
「あたしだって知らなかったよ!」
だからこそ驚いた。もし事前に知っていたら上手く根回しするなりアドバイスするなり出来ていただろう。
とはいえ、人間が苦手なミーアに『クレオパスに近づく』と言う事が本当に出来るかは分からないが、少なくとも恋愛アドバイスくらいは出来たはずだ。
「クレオパスさんは贅沢者なのよ」
「ミーア!」
不機嫌声で吐き捨てる。すぐに母に叱られた。ミーアは膨れっ面でそっぽをむく。そうして二つ目のパンに手を伸ばした。
母は呆れた様子でため息を吐く。
「私はクレオパスくんの判断は間違ってないと思うんだけどね」
「リルを傷つける事の何が正しいの!」
「だって、クレオパスくんはうまくいけば夏か秋には北半球に帰っちゃうんでしょ?」
その言葉にミーアはつい口を開けて静止してしまう。そういえばそういう事になっていた。
それで納得がいった。女の子とのお付き合いなんてしてはいけないのだ。それは彼にとっての心残りになる。
リルが好きとか嫌いとか、そういう問題ではなかったのかもしれない。
「無責任に告白を受けて弄んだあげくさっさと帰っちゃうような子じゃなくて良かったじゃない」
「うん」
そう答えるしかなかった。
最初からクレオパスが悪いわけではないのは分かっていたし、理由も——まだ憶測だが——大体理解出来る。この問題はある程度解決したはずだった。
なのに、ミーアの胸にはまだもやもやがうっすらと残っている。悲しいような苦しいような、変な感じだ。
「ま、ただ単にあなたの言う通り、リルが好みのタイプじゃなかったってだけかもしれないけど?」
母が冗談まじりで言って来る。
「それじゃダメじゃない!」
「そうね。でも、本当の所はクレオパスくんにしか分からないんだから」
それもそうだ。母の言う通りだ。
今夜、クレオパスと話してみないといけない。ミーアが見ていた事は彼も知っている。どっちみち話し合いを持たなければいけないのだ。
上手く話せるだろうか。それだけが心配だ。
でも、今はそんな事を言っている場合ではない。はやくお昼ご飯をすませて、止まっていたお手伝いの続きをしなければいけないのだ。
ミーアは、いつもリルがしているみたいに大口で思いっきりパンを齧りとった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます