第22話 リルの悩み

 姉はまだクレオパスが苦手なようだ。


 友達との買い物の途中で立ち寄ったオシャレなカフェのテラス席で、季節のフルーツミックスジュースとかわいいクッキーを楽しみながらリルはそっとため息をついた。


「どうしたの? リル。疲れた?」

「んー。そんな事はないけど……ちょっと考え事、かな?」

「考え事? 何の?」

「あ、いやー……そのー……」


 どう言ったらのか分からないので、ごにょごにょとごまかしていると、グラスの縁から飲み損ねたジュースがリルの手に一筋垂れて来た。

 もったいないのでジュースのついた肉球を舐める。甘くて美味しい。


「リルったら! お行儀悪い!」

「クレオパスさんに嫌われるよ!」


 途端に友達が叱って来る。リルはむっと口を尖らせた。


「クレオパスさんはそんな事でリルを嫌ったりするほど意地悪な人じゃないもん」

「きゃぁ! リルちゃんがのろけたぁー!」

「え? 何でそうなるの!?」


 意味が分からない。この話の流れで言えば普通はそう思うものだが、『レンアイ? 何それ? 美味しいの? それよりこの鹿肉のジャーキーのが美味しそうだけど』的な思考をしているリルにはちっとも思いつかなかった。


 ついでに言えば、リルがそんな思考をしている事はクラス中に知れ渡っており、だからこそ、珍しい恋愛話にみんなが必要以上に食いついたのだという事もリルは気づいていなかった。


「リルってそういう所はまだまだよね」


 呆れたように言われると気分がよくない。『そういう所』というのがどういう所なのかはまだ分からないが、とにかく心外だ。


 ウーッ、と小声でうなっているとみんながそろって苦笑いをした。


「で? リル、何考えてたの?」

「……お姉ちゃんの事」

「また?」


 みんながあきれ顔をする。心外だ。リルは真面目に悩んでいるのだ。


「またって何!?」

「ごめんごめん。で、何?」


 やっとみんなが聞く体制になってくれた。

 でも、どこから話せばいいのだろう。悪い人間の事は詳しくは話せない。みんなまで人間恐怖症になっては困るのだ。


「お姉ちゃんとクレオパスさんにどうやって仲良くなってもらおうかって考えてたんだよね」

「え?」


 思いがけない話にみんなが戸惑った顔をしている。


「どういう事? クレオパスさんに恋をしているのはミーアちゃんって事? それとも逆?」

「違う違う。そうじゃないの。お姉ちゃんって結構人見知りなんだよね。なんとかクレオパスさんに慣れてもらわないとリルが気まずいというか……なんというか……」


 言葉を選んで話す。嘘をつくのはいけない事だ。でも、言わなくていい事は言う必要はない。


「なるほどね」

「ああ、容姿が違うもんね」

「容姿が違って言えば犬獣人もだけど、それはリルで見慣れてるから大丈夫なんだよね」

「人間って見ないもんねえ」

「そうそう。あたしもクレオパスさんが初めて」


 みんなはすんなり分かってくれた。きっと、クレオパスを連れてきたときの姉の錯乱ぶりを見ているからだろう。


「でもクレオパスさんが中央広場の近くで行き倒れてから一ヶ月でしょ? そろそろ慣れてきたんじゃない」

「リルもそう思って安心してたんだけどねー」


 そう言ってぐいっとジュースを飲み干す。そしてその直後に少しだけ後悔した。カフェのお高いジュースの残りの三分の一くらいを一気に飲んでしまったのだ。

 このジュース代があれば、一番大きい袋入りのジャーキーを買う事が出来る。それくらいの値段だ。

 とてももったいない事をした。もっと味わえばよかった。


「クゥーン……」

「いや、今のはリルが悪いんでしょ!」


 空っぽのグラスを見ながらがっかりしていると、総突っ込みされる。確かにそうなのが悔しい。


「それで、なんかあったの?」

「うん。今日帰ってきたら気まずい雰囲気みたいでさー。リルびっくりしちゃった。ケンカでもしたのかな?」


 本当にあの時は困った。最近の様子だったら快く許可を出してくれると思っていたのに、姉はしょぼくれているし、クレオパスは気まずそうに姉を見つめていた。『何でー!?』と叫ばなかった自分をほめてやりたいくらいだ。


 それにしてもあれは深刻だ。リルも悩んでしまう。お守りを受け取った後の姉はさらに様子がおかしくなってしまったのだ。

 直前まであんなに喜んでいたのに、変だ。おまけに怒りのためか顔が真っ赤になっていた。


 人間に物をもらって喜ぶなんて不覚、と思ってしまったのだろうか。帰って来てリルの服を選んだ後、ずっと猫獣人専用の爪研ぎでパリパリと一心不乱に爪を研いでいた。あれは姉が動揺したときにいつもする仕草だ。


 なのに、『どうしたの?』と聞くと、『何でもないわ。それより、リルは友達と約束してるんでしょ。早くいかないとみんな怒るわよ』なんてはぐらかされてしまった。

 その間も爪研ぎは止めていなかった。


 そしてクレオパスがあげたお守りは、机の引き出しの奥にしまわれてしまっていた。明日、姉はあれを使ってくれるのだろうか。それくらいの分別は残っていると思いたい。


「リルが仲良くして『この人間は怖くないです』ってやればいいんじゃないの?」

「それはもうやってるよ」


 幸い、リルとクレオパスの関係は良好だ。リルはクレオパスの事をお友達だと思っているし、彼の方も同じだろう。


「リルの大事な人なら、リルのお姉ちゃんももうちょっと気を使えばいいのに、意地悪だねえ」

「人見知りなの!」

「ご、ごめんごめん」


 姉の悪口を言われるのは大嫌いだ。なので、ガウッ! と怒っておく。すぐに謝ってくれたのでよかった。


「でもさー、それはミーアちゃんとクレオパスさんの問題だとしか言えないよねえ……」


 リルの話を聞いてからずっと無言を貫いていたキュッカがそんな事を言う。


 クラスメイトがいっぱい来たパーティーがあってから、キュッカは彼女の両親から、リルの家の出入りを許されたようで、時々遊びに来る。そうして姉とも仲良くなったのだ。

 今では『キュッカちゃん』『ミーアちゃん』と呼び合っている。


「リルは関わっちゃ駄目ってこと?」

「そういう事じゃないよ。フォローとかはすればいいと思うよ。でも、解決すべきは本人達でリルじゃないから」


 何も出来ないという事だろうか。自分の無力さが情けない。


 リルは静かに空っぽのグラスを見つめる事しか出来なかった。

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