第21話 アミュレット

 温室の扉が開く音がする。それを聞くとすぐにクレオパスは通訳魔術を詠唱した。


「ただいま、クレオパスさん」


 可愛らしい声がする。振り返ると、ミーアが温室に入って来る所だった。顔や手が少し濡れているのは、畑の近くの井戸で顔を洗って来たのだろう。


「おかえり、ミーアさん」

「にゃんにゃにゃーん」


 ミーアは鼻歌を歌いながら慣れた調子でじょうろを手に温室を出て行った。そうして水で満たしてから戻って来る。


「クレオパスさん、ここそろそろですよね。もう水まいちゃいました?」


 そう言いながら、昼ごろに水をやるようにと指示されている植物を指差す。


「いや、ここはまだです」

「分かりました。じゃあ、あたしやっときますね。クレオパスさんは鉢を動かすのをお願いします」

「はい」

「にゃーん、にゃにゃにゃにゃ、にゃーん」


 ミーアは楽しそうに歌いながら植物の苗に水をやり始める。ミーアはお手伝いが大好きなのだ。


「ありがとうございます、ミーアさん」


 お礼を言うと、ミーアは顔だけで振り返って一つうなずく。それを微笑ましく思いながらクレオパスは植物の鉢を指定されている日の当たりやすい所に移動した。


 もう彼女がクレオパスに怯える事はかなり少なくなった。


 クレオパスが自業自得でこの地に飛ばされて一ヶ月くらい経った。なので、もうミーアも多少は慣れてしまったのだろう。毎日顔を合わせているからそこにいるのが当たり前になってしまったのかもしれない。


 ただ、慣れてしまったのはクレオパスに対してだけで、魔術に関してはまだ怖がっているようだ。ミーアが悲鳴を上げる時というのが、大体クレオパスが魔術を使っている時ばかりだからだ。


 魔術を使ったと言っても大した事はしていない。リルに遠くにあるものを取って欲しいと頼まれた時に使ったくらいだ。


 ミーアがいない事は事前に確認したはずだったのだが、ちょうど部屋に入って来る所だったようで、ばっちり見られてしまった。そして悲鳴を上げられたのだ。


 もちろんきちんと説明をしたが、『これからはずるしないで歩いて取りに行って下さいっ! それが獣人のやり方です!』と逆に叱られてしまった。

 隣にいたリルは『何それ。便利なんだから使えばいいじゃん』とあっさり言ったが、シャーッ! と、とばっちりで叱られていた。


 そんなミーアなのだ。今からやる事は彼女を怖がらせてしまうかもしれない。


 本来なら昨日のうちに話しておくつもりだった。でもお互いにばたばたしてるうちに話し損ねてしまったのだ。


 とりあえず話をするのは仕事が終わってからにしようと決める。なのでなるべく急いで終わらせた。


「あの、ミーアさん」


 水やりを終えて満足な顔をしているミーアに話しかける。


「何ですか?」

「明日の事で話があるんですけど」


 クレオパスがそう言った途端、ミーアの動きが止まる。


「あ、あたしはついて行きませんよ」


 にゃあにゃあと鳴きながら首とじょうろを振っている。その仕草がとても可愛い。

 本当はこんな事を考えてはいけないのだが、ついそんな事を考えてしまうのだ。普段のしっかりした感じとのギャップがあるからだろうか。


「分かってますから!」


 最初からそんな事は期待していない。


 ミーアの教師の知り合いの家にまたお金が現れたらしい。一昨日、定期的に話を聞きに言っているミメットからそんな情報が入ってきた。

 教師はミーアの事を心底心配していた。なので、ミメット経由で阻止するために協力をしてくれているのだ。


 なので、明日現場に行って、それが魔術によるものか否かを調べるつもりだ。

 もし、魔法陣か何かの痕跡があったらそれの出所も調べたい。


 クレオパスの魔術の実力ではそこまで精密な事は分からないかもしれない。でも出来ることはやっておくべきなのだ。


 だから、魔術を怖がっているミーアは絶対に連れて行けないのだ。


 リルの方はピクニックか何かと勘違いしているようなノリで『リルも行くー!』などと言っていたが。


 ただ、今回の事は、違うデメリットももたらす。


「ミーアさん、聞いて下さい」

「嫌!」


 ミーアはぷいっと横を向く。


「大事な話です。聞いて下さい」

「聞かなきゃあたしが攫われるとかなら聞きますけど、それ以外だったら嫌です」

「まさにその危険性があるかもって思ってるんだけど」

「みゃ?」


 クレオパスがきっぱりと言い切ると、ミーアはあんぐりと口を開けた。


「ど、どうせ脅してるん……」

「だったらいいんですけどね」


 逃げ場を奪われ、ミーアの視線がさまよう。やはり魔術についての話を聞くのは怖いようだ。


「みゃぁーーぉぉぅ!」


 ミーアが哀れっぽい声を出す。これはわざとではなく、本当に辛いのだろう。


「ミーアさん……」

「せめてリルが来てからにして!」

「分かりました」


 ミーアの必死の訴えにクレオパスは頷きで許可を出す。確かに能天気で明るいリルが間に入ってくれた方が自分もとてもありがたい。


 だが、現実はそんなにうまくいくものではない。それを二人はリルが飛び込んできた途端に実感した。


「ただいまー! リル、これからキュッカ達とショッピングに行くんだ! だから先に着替えに……えっと、帰りたいんだけど……。お姉ちゃん、帰りはクレオパスさんと二人になるけど大丈夫?」

「え……うん。だい……じょう……ぶ……」


 どう見ても大丈夫ではなさそうだ。でも可愛い妹の手前、強がる事にしたようだ。


 リルは困った顔で首を傾げている。大丈夫じゃない事が分かったのだろう。


「……リル、行ってもいいのかな?」

「いいけど、明日の事でクレオパスさんがお話があるらしいの。それ聞いてからにしてね」


 どうやらミーアはリルをしっかりと巻き込む事にしたようだ。もし、ミーアが強がりで『大丈夫』と言った時点で『ありがとう! 行ってきまーす!』などと言ってさっさと出かければこんな事にはならなかっただろう。


 でも、クレオパスにもこれはありがたいのだ。元々話の内容を知っているリルには側にいて欲しい。


 リルは諦めたようにベンチに座った。


「もうっ! みんなしてリルを引きとめて……」


 ぶつぶつ言っている。みんな、という事はここに来る前に誰かに引きとめられたのだろうか。


「で? どうしたの?」

「明日の事で話があるらしいの」

「明日って……。リルとお姉ちゃんは別行動じゃない!」


 ワーンッ! とリルは文句を言う。


「大体、お姉ちゃんへの話ってお守りの事でしょ。『はい、どうぞ!』って渡して終わりじゃない!」


 そしてクレオパスがなかなか言い出せなかった『用件』をあっさり言ってくれる。これだからリルの存在はありがたいのだ。


「お守り?」


 ミーアが訝しげな顔をする。そうしてクレオパスの顔をじっと見る。その目は明らかに『どういう事?』と言っている。


「はい。明日、留守番するミーアさんとミメットさんが心配で、えっと……その……魔術を使ってアミュレット……えっといわゆるお守りを……作ったんですが……」

「『まじゅつ』って……不思議な力、ですよね?」

「はい」

「し、失敗してませんよね?」


 ミーアのその言葉でリルもクレオパスの顔を見る。


 無理もない。クレオパスがここに来た原因は魔術の失敗が原因だったからだ。

 それはクレオパスも実感している。だから何度も術式を確認して、頑張って作ったのだ。


 そういう事を丁寧に説明する。ただ、真剣な四つの目で見つめられるのはちょっとだけきつかった。


「じゃあ、後で試そっか! 攻撃を遮るんだっけ? リルが蹴るかなにかすればいいかな?」

「リルさん、駄目だ!」


 能天気なリルの言葉にクレオパスは焦る。クレオパスの作ったアミュレットの効能は、悪意を持って攻撃を加えた相手や物を吹っ飛ばすというものだ。試したりしたらリルの方が傷ついてしまう。

 クレオパスの説明にリルが残念そうな顔をする。


「だったらボールとかぶつけてみるしかない?」

「そうだな……それが無難かな?」

「待って! あたしはそのお守りってやつを持っていなくちゃいけないの?」


 ミーアの疑問にクレオパスとリルは同時に頷く。


 別に人さらいはショコラの収穫期でなくても出来る。むしろ、人間が少ないので、収穫期の直前である今の時期の方がやりやすいのだ。


 とはいえ、今、ターゲットであろうミーアの家にはクレオパスがいる。人間がいては、向こうもやりにくいだろう。ミーアを攫うつもりなら、今、誰が同居しているくらいは調べているはずだ。


 狙うとしたら、クレオパスが留守にする明日しかない。


 向こうはクレオパスが明日留守にする事は知らない確率の方が高い。ただ、用心はしておいた方がいい。


 だから、クレオパスはミーアの家族と相談して、ミーアとミメットの為にお守りを作る事にしたのだ。

 ただ、一から物を作るのには時間がかかるので、お店に売っているアクセサリーに魔術を付与する事にした。


 ミメットのアクセサリーは、カーロとミメットが一緒に選び、魔術を付与した上で渡してある。ミメットは久しぶりの夫からのプレゼントに大喜びした。


 そしてミーアのはクレオパスが選んだ。リルに選ばせる事も考えたのだが、ミーアは猫耳なので、猫の街で買った方がいいだろうと考えたのだ。


 ただ、明日一日つける必要があるので、畑仕事や家事の邪魔をしないものと考えて髪飾りにしてみた。ちょうどいい感じの石がついているものがあったのだ。これなら動きやすいように髪をまとめられるので一石二鳥だ。


「どうぞ。これです」

「ミャアッ!」


 クレオパスが髪飾りを渡した瞬間、ミーアの目が輝いた。食い入るように髪飾りを見ている。


「かわいい……」


 嬉しそうに手にとってじっくりと眺めている。


「わぁ! いいな、お姉ちゃん」


 羨ましそうに声をかけるリルにミーアは得意げな顔をする。


「これはお姉ちゃんのよ。ほら、似合う?」

「似合う似合う! お姉ちゃんかわいいよ」


 よほど嬉しかったのか、リルと一緒になってはしゃいでいる。こんなミーアを見るのは初めてだ。


 そしてお礼を言おうとしたのだろう。はしゃいだ顔のままクレオパスの方に振り向く。そして固まった。


「ニャ、ニャオ……」


 何故かミーアがうつむいてしまった。そしてどうしてか分からないが、不機嫌顔をしている。


「あの……ミーアさ……」

「ありがとう!」


 いきなり怒鳴られた。それがお礼の言葉なのでますますクレオパスは混乱する。


「リル! お友達と買い物の約束してるんでしょ! お姉ちゃんがコーディネートしてあげる」

「は? いや、別に普段着でいいんじゃない?」

「駄目! ショッピングに普段着なんてあり得ないからっ! オシャレしなきゃ店員さんに舐められるのよ!」

「……そんな事ないと思うけどなー」


 ミーアの突然の意味の分からない言葉にリルが混乱している。


 正直、クレオパスも混乱している。


「ごめんなさい、クレオパスさん。後片付けお願いします。行くよ、リル!」

「ああ、待って! お姉ちゃん!」


 怒りのためか、耳を真っ赤にしながらずんずんと温室を出て行くミーアをリルが慌てて追いかけている。

 念のため、急いで後ろから簡易の防御結界を張っておいた。


「お姉ちゃん? どーしたのー? おねーちゃーん?」


 遠くからリルの困惑声が聞こえる。ミーアは相当早足で歩いているようだ。


 一体、ミーアはどうしたのだろう。悪い事をしてしまったのだろうか。そんな不安を抱きながら、クレオパスは後片付けに取りかかった。


 まっすぐ家路に向かって行くミーアが、大事に大事に髪飾りを胸に抱いている事など、クレオパスは全く知らなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る