第19話 ミーア守り隊

 隣でクレオパスが怒りに震えている。


「獣人攫いって……それ完全に犯罪じゃねーかっ!」

「ミャ、ミャア……」


 クレオパスの怒鳴り声に姉が怯えている。そして間に挟まれたリルはどうしたらいいのか分からないのだ。


 今日は半日授業だった。なので、先週のように温室にいるクレオパスを迎えに行った。そうしたら、先に来ていた姉の様子がおかしかったので、とりあえずクレオパスと共に姉を家に連れて帰り、詳しく話を聞いた。そうして聞かされたのが『獣人攫いの悪い人間』の話だった。姉は教師からその話を聞いたそうだ。


 姉に絡んで来た人間の話も話してもらった。


「それ、何人?」

「え?」

「近くの街の猫獣人を攫ったのってどこの国……いや、どこの地域の人?」

「あ、あたし知らない。ポピー先生も多分知らないと思う」

「じゃあミーアさんに関わって来た人間の特徴は?」

「と、とくちょう……」

「そう。髪の色とか目の色とか。悪態でどんな単語を使ってたかとか、分かる事は教えて欲しいんだけど」

「髪はあたしより濃い茶色だった……それで……」

「それで?」

「にゃぁぁぁ!」


 怒りで我を忘れるあまり、どんどん詰め寄って質問攻めにしてくるクレオパスに、姉はびくびくしっぱなしだ。姉は人間恐怖症だったのだから加減してあげて欲しい。

 少なくともソファーの背に手を置いて逃げられなくするのだけはやめてあげて欲しい。


「クレオパスさん、気持ちは分かるけど落ち着いて。お姉ちゃん怖がってるから」


 たまりかねて止める。クレオパスは『あ……』とつぶやいて姉から顔と手を引っ込めた。『ごめん』とぶっきらぼうに言う。


 その目はまだ怒りに燃えているのが分かる。それほど、この話はクレオパスには相当ショックだったのだ。無理もない。


「脅しを使う貿易とも言えない密貿易に、獣人攫い。これがしっかり繋がってるんなら、それはもう犯罪組織だな」


 クレオパスがため息混じりにつぶやいた言葉にリルも姉も同時にうなずく。別の集団だったとしたらそれはそれで問題である。


 リルもショックだった。両親から悪い人によって姉が酷い目にあったとは聞いていたがそれは想像以上のものだった。


 立場の弱い家を狙い、そこの子供に無理矢理両親の育てた作物を渡せと言う。断ると罵る。さらに断ると周りの植物を踏んだり、そこらへんの物を壊して脅す。そしてさらに嫌だと言うと本人に暴力をふるい始める。


 これでは貿易商ではなく完全に強盗である。


 姉が教師から聞いた話も酷い。


 獣人の子供を失踪に見せかけて攫う。それもどうやってやったか分からない方法で。それが何件か起こっているらしい。

 おまけにその子供の両親には定期的に知らない所からはした金が送られるそうだ。

 姉の教師が知っている子供の両親は、知らないうちに家の前に置かれる金に恐怖し、ついには『こんな物いらない! 娘を返して! あの子はどこに行ったの!』と泣き叫び、ついには発狂したそうである。姉の教師は娘を捜してさまよっているその獣人達を何度か見たそうだ。


 姉ほど頭のよくないリルにも分かる。人間はその獣人でかなりのお金を稼いだのだろう。だからそういう酷い事が出来る。


 その子供は小さい頃に姉みたいな目に遭った事が何度かあったらしい。


 おまけに、彼らの畑は持ち主が発狂した後は他の獣人が世話をしているみたいだが、いつの間にかある作物だけが無くなるそうだ。


 聞けば聞くほど酷い話である。


 だから姉の教師は、教え子が同じように攫われるのを危惧して人間の恐ろしさを説いていたのだ。


「あたしも攫われるの?」


 姉がぽつりとつぶやく。クレオパスはそれを見て、しっかりと首を横に振った。


「ミーアさんはそんな目には遭わないよ」


 姉は疑わしそうな目でクレオパスを見た。当たり前だ。今の話の流れでそんな事を自信満々に言ったら、『お前を油断させて目的を遂行しますよ』という意味にもとられかねない。

 今までのクレオパスを見ていればそれが考えすぎだという事は分かるのだが。


 リルにとってのクレオパスは『ただのドジな年上のお兄さん』である。害はないだろう。


 もし彼がそんな性格だったら、前にリルが『ケチオパス』とからかった時に、怒りで凶悪な本性を見せているだろう。そしてリルは彼によって酷い目に遭わされているはずである。


 あの時、ちらりと見た彼の『素』はクラスのやんちゃな男子とそう変わらないものだった。


「大丈夫だよ、ミーアさん」


 優しい目を向けるクレオパスに、姉はまだ疑わしそうな眼差しを向けていた。



***


 喉が渇いて目が覚めた。


 隣の姉を見るが、すやすやと眠っている。


 外は暗い。どう見ても今は夜中だ。でも、喉は乾いた。


 寝不足になるから夜中に目を覚ましても起き上がってはいけないと両親に厳しく言われているが、たまにはいいだろう。姉が起きていたら烈火のごとく怒られてベッドに押さえつけられるのだが、そんな心配もない。


 姉を起こさないようにそうっとベッドを抜ける。


「にゃうーん……リル……?」


 抜き足差し足をしていると、寝ているはずの姉の声が聞こえた。リルの心臓が跳ねる。そうっと耳をそばだてると寝息が聞こえたので安心する。どうやらただの寝言だったようだ。


 静かにダイニングに向かう。誰にも見つからずお水を飲んで部屋に戻るのだ。


 だが、ダイニングから聞こえてくる声にリルは足を止めた。


 これはクレオパスの声だ。こんな夜中に何をしているのだろう。何やらこそこそしている雰囲気なのもとても気になる。


 こういう時、姉なら扉の近くでそうっと彼が何をしているのか探るのだろう。でも、リルはそういう面倒臭い事は苦手だ。なので、思い切って扉を開ける事にする。


「わんっ!」


 かっこよく登場するときの言葉が思いつかなかったので、とりあえず扉を勢いよく開けながら思い切り吠えてみる。悪巧みしていたとしたら一瞬だけでも焦るはずだ。

 だが、中にいる人たちを見て、リルはたらりと汗を流した。


「何をやってるの、リル。今は寝る時間でしょう?」

「明日また眠くなるぞ。はやく寝なさい」

「ママ……パパ……」


 そこにクレオパスと一緒にいたのは両親だった。


「パパ達こそ何してるの? こそこそと」

「昼間、リルも聞いたんでしょう? ミーアの先生が話してくれた事を教えてくれてたの」

「そうなの? クレオパスさん」

「そうだよ。だっておれ一人知ってても何も出来ないだろ? だからご両親にお話した方がいいと思って」


 夜中にこっそり話してたのはこれ以上姉を不安にさせないようにするためのようだ。


「ごめんなさい」


 素直に謝る。クレオパスと両親が苦笑した。


「さあ、安心した所でもう寝なさい、リル」

「えー、リルのどかわいた。ママ、お水ぅ!」


 目的も達成出来ないまま部屋に戻されそうになるのでおねだりをする。自分から見てもかなりあざといが、まあいいだろう。リルは喉が渇いたのだ。


「しょうがないわね。じゃあ飲んだらすぐ寝るのよ」

「わかったー!」


 母の言葉にリルは元気よく答える。そして台所に行くのを笑顔で見送った。


「ねえ、パパ、クレオパスさん、リルもお姉ちゃん守るの協力したい。いいでしょ?」


 にこにこと、でも母に聞こえないように小声でお願いする。これは大きな事なのでリルも関わりたい。母ならすぐに駄目というが、父なら大丈夫だろう。そうしてクレオパスはお客様だ。ここの家の娘のお願いに『駄目』とは言えないだろう。


「駄目だよ、リルさん」


 だが、最初に反対したのはクレオパスだった。


「何で? お姉ちゃんと二人で一緒に行動すれば犯人も近寄って来ないんじゃないの?」


 リルはクレオパスを睨む。のけ者にされるのは腹が立つ。大体、これは他人の問題ではない。姉の危機なのだ。リルだって関わる必要があるだろう。


「ミーアさんの先生が言ってた『ターゲット』は十代半ばくらいの獣人の女の子なんだろ? 分かる? リルさんも入ってるんだよ」


 それは考えもしなかった。でも、何となく後には引けない。


「だ、大丈夫だよ。そんな奴が出て来たら蹴っ飛ばしてでもお姉ちゃん連れて逃げるから」

「何言ってんだよ! もし、その悪者達が『こいつでいいやー』ってリルさんを攫ったらどうするんだよ。そうなったらカーロさんとミメットさんとミーアさんが悲しむだろーが!」

「でもリルは……」

「お前はミーアさんを苦しめたいのかよっ!」

「キャンッ!」


 クレオパスがテーブルを叩いた。衝撃でリルの耳が跳ねる。

 こんなに怒られた事は初めてだ。


「クレオパスくん……」


 カーロも複雑そうな顔でクレオパスを見つめる。


 ダイニングが何とも言えない空気に包まれた。それを見て、クレオパスも言い過ぎに気づく。


「す、すみません」

「いいの。むしろしっかり怒ってくれてよかったわ。リル、あなたは今年もいつも通りキュッカちゃんの家に避難していなさい。それが一番安全だから」


 ミメットが人数分の水のカップの乗ったお盆を持ってこちらに来た。


「ほら、クレオパス君もあんまり興奮しないようにね。リルとミーアが心配なのはよく分かったから。まったく。向こうで成人しているって言っていたけど、感情的になるところはやっぱり子供ね。ほら、これを飲んで落ち着いて」

「すみません、ありがとうございます」


 クレオパスはお礼を言ってカップを受け取っている。その後しばらくはみんな無言でお水を飲んだ。


 クレオパスは悪意があって怒ったわけではないだろう。リルや姉の事を思って叱ってくれたのだ。それはさすがのリルにも分かった。


 でもそれだけで『そうだね。リルが悪かった。気をつける。はい、終わり!』で済ませては駄目だろう。


 だが、リルに出来る事などあるのだろうか。クレオパスの指摘通り、リルは無力な獣人の子供だ。何も出来ない。そしてそれがたまらなく悔しい。


 それにしても、毎年、ショコラの実の収穫が忙しい季節に、リルがキュッカの家に毎日お邪魔させてもらったのはそういう意味があったのだという事は初めて知った。自分はものすごくぬくぬくとしたところで守られていた事が分かる。


 なのに、姉はリルがキュッカの家で楽しく遊んでいる間、両親のそばで畑仕事をして自分の身を守っていた。


 きっと、今年も同じなのだろう。今年はクレオパスがいるから仕事は楽かもしれない。でもそういう問題ではない。


「お姉ちゃんもキュッカの家に行けないのかな?」


 ぽつりとつぶやく。すぐに三人の目がこちらに向いた。そんなに注目されると緊張するのでやめて欲しい。


「どういう事だい? リル」


 父が真剣な顔で聞いて来るが、別にリルは大した事は考えていない。


 なので素直に話す。生暖かい目で見られるのが悔しい。リルは姉ばかりに負担をかけていた事を素直に反省しているのだ。


「そうね。あいつらはミーアが家か猫獣人の街にいると思っているみたいだから、避難させるのはいい方法かもしれないわ。送っていくのは私がすればいいんだし」


 母の言葉にクレオパスも父もうなずく。


「ほら、リルも役に立つ!」

「調子に乗んなー」


 クレオパスに得意げな顔を見せるとすぐに突っ込まれた。いつものふざけたやり取りにほっとする。


「とにかく明日ポピー先生のところに言って詳しく話を聞いて来るわ。そうでないと何も始まらないもの」

「頼めるか? ミメット」

「任せてください、あなた」


 話が締めに入っている気がする。確かに母の言う通り、真偽を確かめなければどうしようもない。


「リル、あなたは明後日学校でキュッカちゃんに軽く話を通しておいてくれる? 何にせよ、避難場所は必要だから」

「うんっ!」


 リルは元気に返事をする。そうして水の残りを一気に飲み干した。

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