第13話 人違い

 カーロが頼んで来た仕事は、大きくなった木の世話ではなく、奥の温室にある、苗木の世話だった。

 どうやら、クレオパスを励ますため、そして自分が世話をしている植物が、彼にとっても重要なものだと分からせるために成長した木の所に連れて行ったらしい。


 植物に水をやるのは故郷でもやっていたからあまり問題はない。


 人間と同じく植物もきちんと感情を持っているという。だから丁寧に世話をしたり、やさしい言葉をかけると、立派に育つのだそうだ。

 これは、クレオパスの師匠であるイアコボスがよく言っていた言葉だ。


 それが分かっていても、一人寂しく植物に水をやっているといろんな事を考えてしまう。

 それは当然穏やかな感情ばかりではなかった。


 本当に自分は帰れるのだろうか。帰れたとしても、勝手な事をしたクレオパスを師匠は許してくれるだろうか。


 それに、罪人の息子である自分がこの世の中に必要とされているのだろうか。望まれているわけではないから、こんな風に、季節も違う、よく分からない場所に飛ばされる運命を背負ってしまったのではないのだろうか。


 大体、ここはどこなのだろう。何か大きな力で時空の彼方にでも飛ばされたのだろうか。でもやはりクレオパスにはそんな膨大な魔力はないはずだ。


 本当に何が起きているのか分からない。


 気持ちがどんどんマイナスの方向に向かっていく。


「にゃぁーん!」


 そんな風に考えて内心落ち込んでいると、猫の鳴き声と共に、クレオパスの背中に何かが飛びついてきた。


「にゃーにゃーにゃー。にゃにゃにゃにゃにゃ! にゃんっ!」


 これはミーアの鳴き声だ。昨日や今朝と違って妙にはしゃいでいる。


「にゃ?」


 クレオパスが戸惑っているのを見て、彼女も何かがおかしいと気づいたらしい。背中にかかる彼女の顔がこてんと傾くのを感じた。さらさらの髪の毛が頬をくすぐるのがなんとなく気恥ずかしい。


「あ、あの……ミーアさん?」


 通訳魔術を発動させてから声をかける。背中のミーアが固まった気配がした。


「え? ク、クレオパスさ……?」

「……はい」

「にゃあっ!」


 返事をすると、ミーアは慌てて飛びのく。熱いものに触れてしまったかのような勢いだった。

 だが、その勢いが強すぎた。ミーアはちょうどショコラの木の苗木の上に着地しようとしていた。


「危ない!」


 とっさに植物の周りに結界を張る。だが、ミーアを傷つけても困るので、衝撃は軽いものを選んだ。もちろん彼女が着地するお尻の下にも魔術でふわふわのクッションのようなものを敷く。


「いっ……たくない?」


 ミーアはぽかんとしている。


「大丈夫ですか? ミーアさん」

「あ、はい。大丈夫で……クレオパスさんなにしたの?」


 何故かミーアが責めるような目を向けて来る。どうして助けた自分がこんな目で見られなければいけないのだろう。


「ミーアさんがショコラの苗にぶつかりそうになったから助けただけですよ。変な事はしてないでしょう!? 大体、ミーアさんもさっきのは何? いきなり飛びついたりして! びっくりするじゃないか!」


 軽く苛立った事で、自分もミーアを責めてしまう。このまま喧嘩が始まるのだろう。お世話になっている獣人の娘さんに対する態度としては最悪だ。でももう我慢の限界だった。


 だが、予想に反して、ミーアは何故か恥ずかしそうに体を丸めた。


「お、お父さんと間違えたのよぉ! 同じ服着てるから! おまけに帽子かぶってるから髪の色も分からないし耳も見えないし! 紛らわしいのよぉ! にゃぁぁん! にゃああん!」


 おまけに猫の前足の手で顔を隠している。そんな可愛らしい仕草を見ていると気が抜けて来る。


「……いや、それはカーロさんの服借りてますので」

「そ、そうですよね。あたしが貸すように頼んだんですよね? ごめんなさい」


 指摘すると、ミーアは余計に縮こまってしまった。


「で、ミーアさん、学校は?」

「今日は午前だけの授業なの。リルもそうよ。そのうち帰ってくるんじゃないかしら」


 質問をすれば答えてくれるようだ。


 でも、ミーアがずっとこうやって地面に座り込んでいるのはあんまりよくない。カーロやミメットが見たら何事かと思うだろう。


 でも、手は出せない。また怯えてしまうかもしれないからだ。


 どうしようかと中腰で困っていると、ミーアも察したようだ。ゆっくり立ち上がり、クレオパスのいる所から少し離れた休憩用のベンチに座る。


 そんな風に警戒していても会話をしようとしているのは、昨日や今朝の事を少しは悪いと思っているのだろうか。それとも危険人物だと思われているからだろうか。


「クレオパスさんは何をしてたんですか?」

「水やりです」


 別に隠す必要がないので素直に答える。


「ああ、この苗木の?」

「はい」


 正直に答えたのにミーアは首をひねっている。


「クレオパスさんは水やりが辛いんですか?」


 そして予想外の事を聞いて来た。どうしてそんな突拍子もない事を思ったのだろうと不思議に思ったが、さっきまでの自分の行動を見てすぐ理解した。


 そういえば、ミーアはクレオパスが『帰れないかも』と不安に思って落ち込んでいる所にやって来たのだ。不思議に思うのも無理はない。


「辛くはありませんよ。ただ、いろいろ考えちゃって」

「何をですか?」

「カーロさんは絶対におれを家族に会わせてくれるって言ってました。でも本当に帰れるのかって心配で……」

「そんなに遠いんですか? クレオパスさんの家って」


 クレオパスは黙って頷く。遠いに決まっている。なにせ、季節まで違うのだ。時空の果てかもしれない、という思いはまだ捨てきれない。


 ミーアが、一体どういう事か分かりませんというようにキョトンとしているので、クレオパスはここに来てしまった経緯をざっと説明する。ただ、仕事をサボるわけにはいかないので水をやりつつ話した。


 魔術に関係してくる上に、失敗談なので、怖がられるかと思った。なのに、話を進めて行く間にミーアの目が呆れたものに変わっていく。これもあんまりいい気はしない。


 話し終わると、ミーアは何故かなんとも言えないような表情をしていた。しいて言うなら呆れと脱力が入り交じったような顔だった。


「クレオパスさんって……」

「パパー! ……じゃないな。パパはこんなに痩せてないもん。クレオパスさん?」


 その時、リルが失礼な事を言いながら温室に入って来た。


「リル、どうしたの?」

「だって家に誰もいないんだもん。畑かなって思うじゃない? あ、お姉ちゃん、ただいま!」

「おかえり、リルー!」


 二人の獣人姉妹はニャンニャンワンワンとじゃれ合う。クレオパスなど見えていないようだ。


 これでは話が出来ない。


 クレオパスは、話を後回しにして残りの植物の世話に戻る事にした。

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