第11話 制服のしみ
「んー! お腹いっぱい!」
ぴょこぴょこと楽しそうに跳ねている妹を見ながらミーアは苦笑した。
リルは本当に食い意地がはっている。おまけに着ている学校の制服にスープのしみがついていた。
替えの制服を出しておかなくてはいけない。リルはこういう事に無頓着なのだ。だから朝ごはん前に室内着でなく制服に着替えてしまう。
「リルー! 先に部屋戻って着替えてるわよー!」
「はーい!」
犬の学校の生徒はどうして『制服』という同じ服を着るのだろうとミーアは前から不思議に思っていた。
いつもいつも同じ服を着ていて飽きはしないのだろうかと不思議に思ってしまう。
もっともリルからすれば、『お姉ちゃん、お洋服選びにどんだけかかってるの? もうっ! 猫の学校も制服着用にすればいいのにね。だったら朝の支度ちょー楽なのに』となってしまうのだが。
さっさとリルを追い抜き部屋に戻る。
「あれ? あの……リルさん」
だが、部屋に到達する直前、ミーアは聞きたくなかった声を聞いた。クレオパスだ。
「どうしたの? クレオパスさん」
「服にシミがついてますよ。さっきのスープこぼしちゃったんじゃ……」
ミーアは自室のドアの影でぎりぎりと歯を噛み締めた。
何で人間にこんな事を指摘されなくてはいけないのだろう。それもかわいい妹が。
「うわぁ、やだ、本当だ。着替えなきゃ」
なのにリルは何も気にしない様子で困った顔をしている。むしろ着替えるのが面倒くさいとその顔が言っていた。
「あらあら、リルったら」
ミーアが悔しさを噛み締めながらも何も出来ないでいると、母が歩いてきた。
「あ、ママ」
「何汚してるの。はしゃぎすぎたんでしょ」
「……ごめんなさい」
さすがのリルも母には敵わない。しょんぼりとしている。さっさとリルを子供部屋に引き込んで着替えさせれば良かったと反省する。そうすればクレオパスにも母にも捕まる事はなかった。
そんな事を考えていると、いつの間にか母はクレオパスに向き合っている。
「メランさん。不躾なお願いなのですが」
「何でしょうか?」
「例の『不思議な力』で、このしみをどうにか出来ないでしょうか」
「へ?」
「え?」
リルとクレオパスがきょとんとした顔をしている。ミーアも声をあげたかったが、そうすると、自分が覗き見をしていた事がクレオパスに知れてしまう。
『お前! よくもこそこそ覗いてたな! 悪い猫め!』と怒って自分の耳を引っ張るクレオパスを想像して、ミーアはぶるぶると震えた。
「出来ますよ。出来ますけど、ミーアさんは大丈夫なんですか?」
いきなり自分の名前を出され、声をあげそうになる。だが、すんでの所で必死にこらえた。
「ミーア、ですか?」
「お姉ちゃん? 何でお姉ちゃんが関係あるの?」
リルは何でそこでミーアの名前が出るのか分からなくてきょとんとしていた。母は、分かっているようだったが、わざと知らないフリをしているようだった。
「ミーアさんはどうも魔術の類を異様に怖がっているように見えたんです。学校で先生に言い聞かされたんですよね? 言葉が通じるようにする魔術はどうしても必要ですけど、他の事で怖がらせる必要ってあるのかなって思ったんです。魔術を使っていた時に、ミーアさんが通りかかったらやっぱり怯えてしまいますよね?」
「ミーアに怖がられるのはやはり嫌ですか?」
「嫌ですよ! おれ何にもしてないのに!」
クレオパスの素直な言葉に母が笑った。リルが申し訳なさそうにうつむいている。
「ごめんね、お姉ちゃんが。いつもはこんな事ないんだけど……」
妹の悲しそうなキューンという声を聞いていると、ミーアの方も罪悪感が沸いて来る。
クレオパスの方もどうしたらいいのか分からず困っているようだ。
「あ、あたしは大丈夫だからっ!」
その重苦しい空気に耐えられず、ミーアはつい声をあげてしまった。三人の視線がこちらに集まる。
「……お姉ちゃん?」
リルに呆れた目を向けられるのがいたたまれない。
どうしようと悩んでいると、クレオパスがこちらに足を一歩踏み出した。ミーアはつい『ニャッ!』と小さな悲鳴をあげてしまう。それを見て、彼は申し訳なさそうに足を止めた。
「やっぱりおれの事怖いですか?」
「……ご、ごめんなさい。ちょっとだけ」
「それでもリルさんの事が心配だったんですね」
何もかも見透かしたような事を言う。悔しかったが、当たっていたので何も言えない。ただ、こくりとうなずいた。
「ミーアさん」
「なんですか?」
「おれは、悪い魔術は使わない。ミーアさんの家族は絶対に傷つけない。それだけは約束します」
そう言っているクレオパスの目はしっかり澄んでいて、とても嘘を言っているようには思えなかった。
ミーアはもう一度うなずく。
続いて、クレオパスはこれからどんな力を使うか教えてくれた。どうやら水と風を使って、瞬間的に洋服を綺麗にするものらしい。故郷では雨で洗濯が出来ない日にいつもそうやって洗濯をしていたと言う。
「リルさん、一瞬冷やっとするけど、我慢して下さいね」
「う、うん」
リルがそわそわし出した。『冷やっとする』という言葉が気になるのだ。
「じゃあ行くよ」
クレオパスがそう言ってすぐ、リルが『ワウッ!』と鳴いた。
「リル!?」
慌てて呼びかける。だが、リルはもじもじするばかりで嫌がっている様子はない。
「リル? 大丈夫?」
「ちょっとくすぐったかっただけ。あはは」
どうやらリルは、ただ、はしゃいでいるだけだった。ちょっとだけ心配して損したと思う。
リルの制服を見ると、しみは綺麗に取れている。本当にしみを取る力だったようだ。
「これ楽しい! ねえ、もう一回やって!」
「え? 洗濯の魔術ですよ! これで終わりです」
「えー、ケチ」
「おれはケチじゃない!」
「お姉ちゃーん、ケチオパスさんがぁ!」
「ミーアさんを味方につけるなんて酷いじゃないか! ってか今聞き捨てならない言葉が聞こえたぞ!」
クレオパスとリルがわけの分からない言い合いをしている。それにしてもこちらはいっぱいいっぱいなのだから振ってこないで欲しい。
それにしてもリルにここまで言われてそんなに怒らないという事は、クレオパスはそんなに怖い存在ではないのだろうか。
そういえば朝食の時もおもてなし料理ではなかったのに、美味しそうに食べてくれていた。
そして今のリルの暴言も『仕方がないなぁ。そんなに楽しかったんだね』などと言って許してあげていた。
だったら他の人間に酷い目に遭わされたからといって悲鳴をあげたり、揺さぶったりした自分はどれだけとんでもない事をしてしまったのだろう。クレオパスから見たらミーアの方が悪者なのだ。
「今日はやく帰って来るね! そしたら不思議な力の話、もっとして!」
物怖じしないリルを、ミーアはとても羨ましく思った。
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