第6話 揺さぶる姉妹

 ぼうっとしている意識の中でクレオパスが感じたのは口に何か変な丸いものが放り込まれる感触だった。次いで、背中を反らされる感覚がする。


「わん! わわん!」


 おまけに何やら犬の鳴き声が聞こえる。クレオパスはまだ寝ぼけてでもいるのだろうか。


 それにしても口の中に異物が入っているのは不快だ。なのに、吐き出そうとすると、何故か口を塞がれる。肉球っぽい感触がするのは、やはり犬がいるのだろうか。


 おまけに思い切り体を前後に揺さぶられる。それでクレオパスの意識は覚醒した。でも、こんな事をされると余計に気持ちが悪くなる。


 気持ち悪さをこらえながら頑張って目を開けると、垂れ下がった犬耳と犬の前足を持つ人間の女の子が彼を揺さぶっていた。それもクレオパスが寝ていたらしい寝台の端にぶつけるほどの勢いで、だ。


 これは夢なのだろうかとも考えた。だが、気持ち悪さが現実のそれだ。


「わうっ! わんわん。わんわんわん!」


 犬耳の女の子は何故か喜んだ顔をした後、クレオパスを指差し何かを言っている。口は塞がれたままだ。


 わけが分からず黙っているとまた背中をそらされる。乱暴な女の子だ。


 おまけに文句を言おうとした勢いで、口の中にある謎めいたものを飲み込んでしまった。

 しまったと思った時には、もうそれは喉の奥深くまで落ちていってしまっていた。


 犬耳の女の子はクレオパスが謎の異物を飲み込んだ事を確認すると、一仕事終わったかのように、ふぅ、と額の汗を拭っている。

 次いで、少し起き上がっていた体を寝台の上に横たえられる。そうして何故か布団をかけてくれた。


 一体、自分はどうしたのだろうと考えて、魔術に失敗してどこか知らない所に飛ばされた事を思い出した。


 きっと飛ばされた直後に魔力枯渇で倒れるかなにかをして、この犬耳の女の子にご厄介になっているのだろう。


「にゃん!」


 クレオパスがそう結論づけた直後、部屋のドアが乱暴に開き、今度は猫耳と尻尾、手足を持った女の子が飛び込んで来た。


 犬耳の女の子は猫耳の女の子を見た途端嬉しそうに一声吠え、彼女に駆け寄る。そうして得意満面をしているのだろうというような態度で何かを猫耳の子に訴えている。


「にゃっ!」

「きゃんっ!」


 だが、猫耳の女の子は怒っているようだ。にゃーごにゃーごと犬耳の女の子を叱っている。犬耳の子は先ほどの得意そうな様子が嘘のようにしょぼんとしている。彼女についている犬耳もどこかしゅんとしているように見えた。


 猫耳の女の子の目線がこちらに向いた。そのまま彼女はこちらに歩いて来る。

 そして何かをクレオパスに言った。


 だが、彼女が何を言っているのかさっぱり分からない。かろうじて聞き取れたのは、語尾の『ニャ』だけだ。ただ、その仕草で自己紹介をしている事だけはわかった。

 次に猫耳の女の子は犬耳の女の子を呼び寄せ何かを言った。すると、犬耳の女の子も何やら分からない言葉で話しかけて来る。猫耳の女の子と違うのは、語尾が『ワン』な事だけだ。


 クレオパスがぽかんとしている事で、猫耳の少女も言葉が通じていないのが分かったらしい。明らかに『嘘でしょ!?』とでも言いたげな表情をしている。


 クレオパスも困ってしまう。通訳魔術でも使えばすぐに解決する問題なのだが、その使い手クレオパス自身が魔力不足という体調不良の真っ最中なのだ。

 休んだからか少しずつ治ってきているが、それでもまだ足りない。


「ミイヤァ!」


 いきなり猫耳の女の子が鳴いた。何なんだろうと不思議に思う。


 だが、しっかり聞こうと起き上がって身を乗り出すと、猫耳の女の子はびくっと震え、後ろに下がってしまう。


 これには犬耳の女の子も驚いたらしい。どうしたの!? というように猫耳の女の子に話しかけている。


 相変わらず何を言っているのか分からないが、雰囲気で大体どういう話をしているのかは分かるものだ。


 猫耳の女の子は遠くの方でにゃーにゃーとクレオパスに向かって何やら文句を言っている。


 犬耳の子がそれを見て呆れた顔をした。


「リル」


 犬耳の子が何かを言った。これは鳴き声ではない。先ほどのように耳を近づけようとすると、側に寄ってくれる。そうして何度も自分を指差して『リル』とだけ言う。


 どうやらこの犬耳の子の名前は『リル』というらしい。呼ぶと嬉しそうにワンワンと吠えた。


 同じやり方で猫耳の子の名前もリルに教えてもらった。猫耳の子の名前は『ミーア』というようだ。確認のために呼ぶと、こくんとうなずいたので合っているのだろう。

 もしかしたら、先ほど『ミイヤァ!』と鳴いたあれは頑張って自己紹介をしようとしていたのだろうか。


 自分も同じ要領で自己紹介してみた。ただ、リルやミーアと違って自分の名前は長い。何度も『クレパス』だの『クレオパソ』だのと間違えられたが、何とか分かってもらえた。


 でも、まだ自分が倒れてからどういう経緯でこの家にご厄介にやっているのか分からない。でも、言葉が通じないと何も聞けない。


 ただ、時間が経てば少し冷静になる。そうすると分かる事もある。


 そういえば、昔、師匠から寝物語に獣人という種族についてお話してもらった事がある。クレオパスのいる所から果てしなく遠い所に住んでいて、体の一部が動物のものになっているという不思議な生き物の話。


 彼女達がそうなのだろうか。伝説上の存在だと思っていたが、実在したようだ。

 と、いう事は、自分はミュコス国から、かなり遠い場所に飛ばされたのだ。国の中ではこんな生き物など見た事がない。


 現実を知ると落ち込んで来る。そんな遠い場所に、おまけに言葉も通じない場所にいるのだ。帰るすべなどこの獣人の少女達は知らないだろう。


 もう一度転移魔術を、とも思うが、あんなに魔力を消費するようでは無理だ。第一座標が分からない。


 絶望的な気持ちで布団に潜り込む。


「わん? わわん?」


 リルが心配したのか、何かの瓶を持って側に寄って来た。その瓶を見せて何か訴えて来る。こんな瓶が今のクレオパスの問題を解決してくれるなら喜んで使うが。そんな簡単なものではないだろう。


「にゃにゃにゃにゃにゃ!」

「わん、わわん! わんっ!」


 ミーアが何故か止め始めるが、リルは大丈夫だというように彼女をなだめている。それでもミーアは納得しないらしく、困ったような顔をする。


 二人はしばらくにゃんにゃんわんわんと相談をしていたが、結局その瓶についてミーアが説明する事で決着がついたらしい。彼女はクレオパスの事を怖がっているようだったが、大丈夫なのだろうか。


 ミーアは恐る恐るというようにクレオパスに近づき瓶を開ける。中には丸くて茶色いものがたくさん入っていた。


 一体これは何だろう。状況的に考えて丸薬かなにかだろうか。

 だが、よく見ようと身を乗り出すと、ミーアは驚いたように飛び退く。これではどうしようもない。


「ミーアさん、それ、見たいんですけど、いいですか?」


 何とかジェスチャーで意思を伝え、丸薬を一つ渡してもらう。薬らしきものはどこか懐かしい香りがした。


 これを飲んでいいのだろうか。戸惑っていると、リルがワンワンと寄って来た。どうやら飲むのを手伝うつもりらしい。正直それだけは遠慮したい。


 一体これは何だろう。記憶を反すうしてみる。それで思い出した。


 これは魔力を回復する薬だ。クレオパスも師匠に一度飲まされた事がある。噛んで摂取するタイプの薬なのに、信じられないほど苦かった事をうっすらと覚えている。

 でも、これなら害はない。クレオパスは思い切ってそれを噛み砕いた。


 苦い。そしてエグい。あまりの味につい吐き出しそうになる。


 だが、リルがワンワンと鳴きながら手を伸ばしてきたのでこらえる。もう口を押さえられるのも揺らされるのもごめんだ。表情はクレオパスを心配している感じなので余計にたちが悪い。


 何とか飲み込む。そうして少し休んでいると。少しずつ魔力が回復していく。これは本当に魔力回復薬のようだ。先ほどそこまで回復しなかったのは、噛まずに飲み込んだからか、一つでは足りないほどクレオパスが弱っていたかのどちらかだ。


「ありがとう、リルさん、ミーアさん」


 小声で詠唱し、通訳魔術を発動させてから話しかける。これで意味は通じるはずだ。


 突然自分たちの言葉がクレオパスの口から聞こえたからだろう。リルもミーアもぽかんとしている。


「喋れたんですか?」


 リルが驚いた目をしながら尋ねる。クレオパスは首を振った。


「違います。通訳魔術……この身に宿る魔力という力を使って言葉が通じるようにしたんです」

「え!?」


 クレオパスがそう言った途端、ミーアの目が驚愕に満ちる。どこか恐怖に怯えているように見えるのは気のせいではないだろう。ミーアはどうしたのかと心配になる。


「い、いや……」


 ミーアが何かをつぶやいた。魔術を通しても小さくて聞こえない。どうしたのだろうと不安に思う。でも近づくとまた怯えるので何も出来ない。


「いや! いやよぉぉぉぉぉーーーーーーーーっ!」


 だが、近づいて来たのはミーアだった。おまけにクレオパスの襟首を掴み前後に揺さぶり始めた。


「ミ、ミーアさん?」

「お姉ちゃん!?」


 クレオパスとリルが話しかけてもミーアは反応しない。明らかにそれは『錯乱状態』と言える態度だった。


「止めて! 今すぐそれを止めてよぉー! あたしたちに変な事しないでよぉーー!」


 いつまにか彼女の目から大粒の涙がこぼれ落ちている。


 クレオパスはどうしたらいいのか分からず、揺らされるがままになるしかなかった。

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