第7話 獣人双子の母親

 あの後、揺さぶられすぎてまた気絶してしまったクレオパスは、いつの間にか別の部屋にうつされていた。先ほどの部屋ほどではないが、いい部屋だ。


 これからどうしたらいいのか心配になる。ミーアを怒らせてしまったクレオパスにこの家にいる資格などあるだろうか。

 でも、クレオパスには他に行く所がない。追い出されたら野垂れ死にするより他はないだろう。


 そんな事を悶々と考えているとノックの音がする。ここの住人が来たのだろう。クレオパスは反射的に通訳魔術を発動した。

 ミーアだったらまた混乱させてしまうかもしれない。でも、これを使わなければ彼らの言葉が分からない。


「起きていますかニャ?」


 聞こえて来た声はリルやミーアよりずっと年上に聞こえた。『はい』と返事をすると、すぐにドアが開き、どこかミーアに似た茶色い猫耳をした女性が入って来た。ミーアの母親だろうか


 後ろにはリルがお盆を持って立っていた。先ほどは体調が悪すぎてよく見ていなかったが、茶の垂れ下がった可愛い耳はどこか二つ結びの髪の毛を彷彿とさせた。きっとそれは彼女の髪が短いからなのだろう。


 彼女の持っているお盆からはほんのりとチキンスープのいい香りがした。風邪を引いた時に家政婦さんが作ってくれるスープを思い出して少し寂しくなってしまう。


「気分はどうですかニャ」

「あ、大丈夫です」


 クレオパスは反射的にそう答えた。


「クレオパスさん、お姉ちゃんがごめんなさい」


 女性の後ろでリルが申し訳なさそうな顔をしている。


「いや……その……」


 これには何と答えたらいいのか分からない。クレオパスは、まだミーアがパニックに落ち入った理由すら分からないのだ。


 リルの『お姉ちゃん』という言葉もクレオパスを混乱させる。リルとミーアは違う種類の獣人のはずだ。『近所の優しいお姉さん』という意味だろうか。


 猫耳の女性はクレオパスの混乱ぶりを見てくすりと笑った。


「初めましてニャ。ミーアとリルの母のミメットですニャ」

「あ、えっと、クレオパス・メランです。はじめまして」


 猫耳の女性が挨拶してくるので反射的にクレオパスもそうした。内心では『リルの母』という言葉に戸惑っていたが、それは表面に出さないように気をつける。


「メランさん、ですねニャ。よろしくニャ」

「え? 『クレオパス』さんじゃないの?」


 混乱しているリルにミメットが人間の苗字について説明している。ミメットはどうやら博識のようだ。


「さっきリルも言いましたけれど、娘のミーアが迷惑をかけてしまったみたいでごめんなさいニャ」

「いえ、ミーアさんはもう大丈夫なんでしょうか?」


 最後にクレオパスが見たミーアは信じられないほどに錯乱していた。


 ミメットによると、あの後、ミーアはリルとその父親になだめられ自室に戻されたそうだ。しばらくは家族の誰かが側についてあげる事になっている。今は父親と一緒にいるらしい。


「あ、そうそう。メランさんに食事を用意ましたニャ。まだ体調が戻ってないかもしれないと思って鶏肉のスープにしましたニャ。しっかり煮込んであるのできっと食べやすいと思いますニャ」


 ミメットがそう言っている間にリルは持って来たお盆をティーテーブルに置く。そしてお皿のふたを取り、嬉しそうに尻尾を振った。


「わぁ! 美味しそう!」

「リルのじゃないの! あんたはもう夕飯終わったでしょ」

「わ、分かってるけどさー。お鍋にまだ残ってるんじゃない? ママどうせたくさん作ったでしょ」

「それは明日の朝ごはん用」

「ええー。ちょっとだけでも食べちゃダメ?」

「駄目です」


 不満そうな顔をして母を見ているリルがどこか可愛らしく見える。


 それにしても不思議だ。一体この家族はどういう関係で家族になったのだろう。

 クレオパスの混乱が伝わったのかミメットがくすりと笑った。


「まず座って食事を召し上がってくださいニャ。でないとリルに取られますよニャ」


 その言葉通り、リルはまだ食事の皿を物欲しそうにちらちら見ながらワンワンと尻尾を振っている。クレオパスは素直に椅子に移動する事にした。


 食事をしながらミメットの話を聞く。


 驚いた事に、リルとミーアは猫獣人の母と犬獣人の父から生まれた双子の姉妹だという。

 その事で二人はしなくてもいい苦労をする事になった。リルが口を挟んで『リルは何も苦労していないよ』と言うが、それなりの事は体験しているのだろう。

 そうして犬獣人の街でも猫獣人の街でも立場の弱いこの家庭を、遠くから来た人間の悪者が狙って嫌がらせをしていたそうだ。


 おまけに、これはミメット達も先ほど知ったそうだが、猫の獣人の学校には人間嫌いの教師がいる。その先生がミーア達に人間はどんなに邪悪か、人間が使う不思議な力がどんなに恐ろしいか過剰に話して聞かせたのだそうだ。


 そして自身の体験とその教師の話から、ミーアは人間を酷く恐れるようになった。


 クレオパスの事も警戒していたらしい。でも、病人だし、なるべく親切にしようと頑張っていたようだ。

 だが、クレオパスが『不思議な力』を使った事で、クレオパスが自分達を害する存在なのだと思い込んでしまった。そうして妹を、そして家族を守るべく揺さぶり攻撃をしたという事だ。


「それは……ごめんなさい」

「いいんですよニャ。メランさんもミーアも運が悪かっただけですニャ」

「いや、おれが魔術を使う前にきちんと説明すれば良かったんです」

「どうやって? 言葉通じないのに」


 リルの冷静なツッコミに何と言ったらいいのか分からなくなる。ミメットがくすくすと笑った。


「それで、あなたはどう説明するのですニャ?」

「確かにおれたちが使う『魔術』という不思議な力は、相手を害する事は出来ます。でも、使えない者に一方的に攻撃をするのはいけないという決まりがあるんですよ。その力を持つものの中で偉い人がそう決めたのだそうです。ちなみにそれを破るととんでもない罰則があるそうです。どんな罰則なのかはおれも詳しくは知りませんが。破る気すらなかったものですから罰則なんか関係ないと思っていたので……」


 ミメットとリルは似たような顔で神妙に聞いている。改めてこの二人は母娘なのだと実感した。


「そうなのですねニャ。そんな規則があるなんて知りませんでしたニャ」

「だからおれもそれを守ります。絶対にそれで攻撃する事はないと一応ミーアさんに伝えていただけませんか」

「分かった。リルが伝えてくる!」


 リルはそう言うがはやいかすぐに部屋から飛ぶように出て行った。どたどたと走る音が聞こえて来る。おまけに遠くで思い切りドアを開ける音がした。


「本当にうちの娘達がすみませんニャ」


 はぁ、とため息をついてからミメットが言う。


「でもまあ、その話を聞いて安心しましたニャ」


 その言葉通り、ミメットは先ほどよりもどこかリラックスして見える。

 当たり前だ。『娘を怯えさせた人間』に対して少しの警戒心も持たないのは相当ノーテンキな者か、娘に愛情を持っていない者である。


「体調が整うまでこの部屋でゆっくりしてくださいニャ。完全に元気になったら、これからの方針を話し合いますからねニャ」

「はい。よろしくお願いします」


 こんなに親切にされているのだ。感謝するのは当たり前の事だ。


 そのタイミングで食事が終わる。ミメットはそっとお盆を取り立ち上がった。


「そうそう。もし、その規則を破ったら猫の街に来る人間達に報告しますからねニャ」


 パチン、と茶目っ気たっぷりにウインクをしてミメットは軽やかに部屋を出て行った。


 今、ミメットは何て言ったのだろうか。


 クレオパスは、何度もその言葉を反すうしながら混乱する事しか出来なかった。

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