第4話 見知らぬ人間

 何も知らず、いつものように学校から帰宅し、窓辺でミルクを飲みながらくつろいでいたミーアが窓の向こうに見たのは、知らない人間を担架に乗せてこちらに向かって来る犬の獣人達の姿だった。


「な、何よ、これ……」


 父と妹以外の犬の獣人は苦手だ。そして自分を仲間はずれにしてくる一部の猫の獣人のクラスメイトは大嫌いだ。


 それでも彼らに関わる事は出来る。犬の獣人にはいくらでも愛想よく出来るし、猫獣人のいじめっこには言い返せばいいのだ。猫獣人は自分と似た容姿をしているのでそこまでは怖くない。


 だが、『人間』などミーアにとっては恐怖の対象でしかなかった。ミーアにとって絶対に関わりたくはない生き物ナンバーワンが『人間』という生き物だった。


 両親の留守を狙い、せっかく両親が頑張って育てた作物を、腐った肉や魚と交換しろとめちゃくちゃな事を言う。

 嫌だと言うと怒鳴り散らし、そこらへんのものを蹴ってミーアを脅す。

 ミーアが大事に育てた花壇の花まで踏みつぶす。

 それがミーアが関わった事のある人間の姿だった。


 まだ二回しか会った事はないが、彼女に取ってはそれで十分だった。むしろ二度と見たくなどなかった。


 おまけに人間の中には不思議な力で相手をコントロールしたり、攻撃したり出来る者がいると授業で習った事がある。だから気をつけろ、と先生が言っていた。

 それを知っているから怖くて抵抗も出来ない。そんな力があれば、ミーアみたいな子供など一捻りだろう。


 ただ、人間はとある作物の収穫期くらいしか来ないし、その時は父がミーアに畑の手伝いをさせる事で守ってくれる。

 家では母が留守番をして収穫後の作物をしっかり見張ってくれる。

 リルは、父とミーアが家に帰り着くまで友達の家で待機して、夕方に母と帰って来る。

 これでほとんど人間の被害は防げたのだ。帰宅途中に待ち伏せされた事はあるが、遠くからミーアが絡まれているのを見た母がすごい勢いで追い返してくれた。


 なのに、自分は今、また人間に遭遇しそうになっている。


——生意気言ってんじゃねえよ、ガキが! お前なんか、どっちの街からも受け入れられないどっちつかずのくせに!

——そうそう。お前は大人しく言う事を聞いていればいいんだよ、まがい物猫ちゃん。

——パパとママには黙っとけよ。「あたしが食べましたにゃーん」とでも言っとけばいいだろ。


 九歳の時にその人間達に投げつけられた言葉が蘇って来てミーアは寒気を感じた。自然と彼女の茶トラの耳がぺたんと横向きになる。


「何で……人間が……。まさかうちに来るんじゃないでしょうね?」


 その言葉通り担架を持った犬の獣人は間違いなくミーアの家を目指している。猫の獣人である母と、同じような容姿を持っているミーアへの嫌がらせだろうか。


「ど、どうしよう。……そ、そうだ! 家! 家を封鎖しなきゃ! 閉め出さなきゃ!」


 決して人間なんか家に入れてやるもんかと心に決める。早速、窓を封鎖する板を用意しなきゃと動こうとした。


 その時、ミーアはその集団の中に信じられないものを見た。


「お父さん、とリル?」


 ミーアの目に間違いはない。確かにそこに見えたのは父と妹の姿だった。


 何が起こったのだろう。


 もしかしたら担架で寝てる人間は実は目を覚ましていて、ミーアの大事な家族を例の怪しげな力で操っているのかもしれない。そうやってミーアの家の作物を狙っているのだ。

 そしてその人間の次のターゲットは……。


 そこまで考えてぞっとする。体がカタカタと震えた。


「いやだぁ。リルぅー、おとぉさぁん……いやだよぉー」


 恐怖と絶望のあまりついにミーアは泣き出してしまった。


 その場に、にゃうーん、にゃうーん、と彼女の心細い鳴き声が響いた。


「ミーア! どうした?」


 父の驚いた声が聞こえる。これも幻聴だろうか。


「やめてよ! あたしのお父さんと可愛い妹に変な事しないでよ!」

「ミーア!」


 ひときわ強く呼ばれる。恐る恐る振り向くといつもと何も変わらない優しい表情をしている父と、何で姉が泣いているのかさっぱり分かりませんというようなきょとん顔をしている妹が見える。


「お姉ちゃん、どうしたの?」

「リル? リルなの? 正気だよね?」

「……何言ってるの? お姉ちゃん」


 妹行きつけのジャーキーのお店のロゴが入った包みをしっかりと抱えながら、ちょっと呆れた表情をしている妹に笑いがこみ上げて来る。

 操られていたらジャーキーの袋など大事にはしないだろう。どうやら妹は大丈夫のようだ。思い切り抱きしめる。


「心配したのよ、リル」


 妹の頬に頬ずりとキスをたくさんする。妹も嬉しそうに頬ずりを返してくれる。しばらく姉妹は仲良く甘えあった。


 周りが静かなのに気づいてふと顔を上げると、たくさんの犬の獣人がぽかーんとした顔をしていた。


「な、何なのよ! 見せ物じゃないのよ!」


 恥ずかしくて怒鳴るが、犬の獣人達はぽかんとするばかりだ。


「ミーア、獣人の共通語で喋らなければ他の犬獣人達には通じないワン。今の言葉も『ニャ、フー! シャァーー!』としか聞こえないワン」

「それは……」


 父にさらりと指摘されミーアは恥ずかしくなってしまう。父やリル相手なら通じるのに、と拗ねたくなってしまう。


「皆様、びっくりさせちゃってごめんなさいニャ。突然現れた人間にびっくりしただけですニャ。お気になさらずニャ」


 なるべく先ほどのイメージを払拭するように丁寧に接する。みんなは『珍しい生き物だもんな。そんなのがいきなり来たらそりゃ猫娘ちゃんもびっくりするよな』という形で納得してくれた。


「それでお父さん、さっきの人間はどうしましたニャ?」


 先ほどの光景を思い出して尋ねる。


「ああ、さっきお前達が姉妹愛を見せつけている間に父さんの部屋に運んでもらったワン」

「え!?」

「その事でちょっとミーアに話があるんだワン。子供部屋に行ってもいいかワン?」

「いいですニャ。……ちょっと散らかってるけど許してくださいニャ」

「ちゃんと片付けろワン! 普段から綺麗にしていればそんな事にはならないワン!」

「ひどい! 散らかしたのはリルなのに!」

「お姉ちゃん!? パパにそんな事ばらさないでよ!」


 何故か話の論点がずれて行く。しかも家族で解決すればいい問題をお客様に聞かせてしまった。


 聞いている犬獣人達は、何て仲のいい家族なのだろうとほっこりしているが、当事者からすれば恥ずかしいものだ。


 父が咳払いをする。


「リル、お父さん達が話してる間、人間さんの看病お願いしていいかな?」

「うん、わかった!」


 父の爆弾発言にミーアの目が見開かれる。


「ちょっとお父さん!?」

「大丈夫だワン」


 何でもないように言う。その自信はどこから出るのかと文句を言いたかったが、それより父の話が気になる。


 それに父が大丈夫だと言えば、大体は『大丈夫』なのだ。少なくとも今まではずっとそうだった。


「……わかったニャ。じゃあリル、悪いヤツだったらすぐに子供部屋に逃げて来てねニャ」

「お姉ちゃんは心配しすぎですワン」


 妹はにこにこと笑っている。本当に大丈夫だろうか。ミーアはため息をつきたくなった。

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