a button in the wrong hole 4
「久しぶりですね。いまは東京ですか?」
吉村は人懐っこい笑顔を浮かべた。この男は、三年前の今日も同じ屈託のない笑みを浮かべながら、「葵さんのことが好きです」と言った。
愛想が良くて、明け透けで、それでいてどこか
「あぁ、都内の大学に通ってる。そっちは?」
「相変わらず太鼓を叩いてます。東京も行きますし、海外のイベントに出ることもあります」
「へぇ、すごいな」
「一応それで食ってるんで」
「プロってことか?」
「まぁ、一応」
「一応」を連呼するその顔はどこか得意げだった。あまり長話をするつもりはなかったが、吉村は俺の隣に腰を下ろした。奈津が戻ってこないかと後ろに目を走らせた俺の様子に気づき、吉村もあたりを見渡す。
「誰か待ってるんですか?」
「あぁ、まぁな」
曖昧に答えた俺の顔を見つめ、「葵さん」と呟き、「だったりして」といたずらっぽく笑った。
「僕、葵さんに告ったことがあるんです」
吉村が幾分改まって言った。
「それ、たぶん聞いたよ。フラれたことも」
「一緒にプロとしてやっていきませんかって誘ったんです」
「え?」
「和太鼓とサックス。二人で音楽活動しませんかって」
「……それで?」
「『プロにはなりたいけど、あなたとじゃない』って言われました」
その時のことを思い出したのか、口の端にやや自嘲じみた笑みを浮かべた。「あと、今じゃないとも言ってました」
「今じゃない?」
「働いて金貯めて、海外にサックスの修行に行くって。行ったんですか? 海外」
海外?
そこでしばらく間が空き、やっとのことで吉村が俺に尋ねているということに気がついた。
「さぁな」
「連絡とってないんですか?」
「……そういう関係じゃないんだ」
俺のセリフに吉村は驚いたような表情を浮かべた。その反応が意外だった。それから、フッと笑いを漏らし、「そういう関係がいいんでしょうね」とわかったようなことを呟いた。
不意に吉村の視線が上がる。その先を追うと、俺の背後に奈津が立っていた。
「葵さん……じゃないですよね?」
少し待ったが奈津が何も答えないので、俺が「奈津。妹だ」と説明した。
「なるほど。どうりでそっくりだ。いや、ほんと双子みたい」
その意見には同意するしかなかった。奈津は本当に葵によく似ていた。吉村は立ち上がると、ズボンの尻をはたいた。
「お邪魔しました。仲村先輩、またいつか、どこかで会いましょう」
そう言って右手を差し出す。
——いつか、どこかで。
具体性も積極性もない、約束とも言えない言葉。けれども社交辞令でもなく、おそらく本心からそう願っている。そんな言葉をなんの躊躇もなく口にしながら、握手まで求める気障な振る舞い。悪いやつじゃない。それだけに、やっぱり俺はこの男が苦手だと思った。
「まだ諦めてないのか?」
太鼓のバチを握っているからだろう。年齢の割に節くれだった手を握り返しながら、そう投げかけてみた。吉村は一瞬何のことかわからなかったようで不思議そうな顔をしたが、やがてすでに見慣れた感のある微笑を浮かべた。
「『今じゃない』はどうにかなりますけど、『あなたじゃない』はどうにもならないですからね」
吉村がいなくなり、ふぅっとため息を吐いたのは奈津だった。見ると、苦虫を噛み潰したような表情をしていた。俺は思わず笑った。
「どうした?」
「私、あの人、苦手」
「同感。でも思ったより悪いやつじゃないみたいだけどな」
奈津は上がる花火に歓声を上げはしたが、どちらかと言えば静かに観賞をした。ドラえもんをタヌキ呼ばわりすることもなく、すべての花火が終わったあとも煙に霞んだ夜空をしばらく見つめていた。葵と奈津は外見はよく似ているが、性格は全然違う。知っていたけど、再認識した。
「終わっちゃったねー」と奈津が名残惜しそうに呟く。
「だな」
周囲にいたカップルや家族連れが徐々に去り、神社の横の空き地は人影がまばらになる。
「そろそろ行く?」
俺が尋ねると、奈津は「うん」と頷き、腰を上げた。
「あっ」
不意に奈津がよろめき、俺の腕を掴む。慌ててその上半身を支えた。奈津の顔が鼻先に来る。ふわりと甘い香りがした。
「大丈夫?」
「ごめん、下駄で浴衣の裾踏んじゃった……」
奈津の体を押し戻そうとした腕に抵抗を感じた。俺の胸元に顔を沈めたまま、離れようとしない。何かに耐えるようにきつく握られた白い指先が、俺のシャツに食い込んだ。
「なっちゃん?」
次の瞬間、奈津の細い腕が俺の首に飛びついた。視界が塞がれ、唇から柔らかく、冷たい感触が伝わる。甘い匂いに包まれていた。
突然のことに身動きさえできず、塞がれた口が言葉を失うその直前。一瞬だけ見えた奈津の表情は、泣いているように見えた。
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