a button in the wrong hole 3
隣を歩く奈津の足元で下駄の音がカランコロンと鳴った。群青の浴衣は薄闇に溶け入りそうで、それでいて暮れなずむ夕日に映えていた。
「ねぇ、また何か買ってよ」
「何かって?」
「りんご飴とか」
真顔でせがむ奈津に三年前と同じようにりんご飴を買ってやり、俺はたこ焼きを買った。「チェンジ!」という掛け声で交換し、俺は蝿からりんご飴を守り、奈津はたこ焼きを三個食べた。生ぬるい風が前髪を揺らした。
「ご来場の皆様にご案内いたします。このあと七時から中央ステージにて……」
聞き覚えのあるアナウンスが聞こえる。「……ダンス部の皆さんによるスペシャルパフォーマンスを行います。みなさま、ぜひお集まりください」
「あ、これに友だちが出るんだ。見に行こうよ!」
奈津に導かれるかたちで、俺たちはステージから三列目のど真ん中に陣取った。俺は左右を見回しながら言った。
「なぁ、ちょっと目立ちすぎないか?」
「問題ある?」
「いや、俺はないけど……」
噂話が海風に乗って広まるような狭い田舎町で絶賛女子高生中の奈津のほうはあるんじゃないかと心配したのだが、当の本人はそんなこと気にしていないようだった。
「そう言えば、前にお姉ちゃん、ここで演奏したことあったよね」
奈津があたかもいま思い出したかのように言う。
葵が吉村慎之介と神社の裏に消え、二人がステージで演奏し、俺と葵は一緒に花火を見た。吉村が現れ、葵のことが好きだと言った。葵はそのことについては何も言わなかった。ただ、「信じていいか」という俺の言葉に頷き、そして、その夜に涙をこぼしていたという。
「お姉ちゃんね、高校を卒業したあと東京に行ったんだよ」
「え?」
靴ひもがほどけていることを教えるみたいに何気なく発せられたその言葉に、俺は思わず訊き返した。
「やっぱり知らなかったんだ」
「東京に行ったって、どういうこと?」
「東京に親戚が住んでるんだけど、そこに二年間居候して働いてたの。カズ兄が東京の大学に通い始めてから二年間、お姉ちゃんも同じ街の片隅で暮らしてたんだよ。今年の春まで」
「嘘だろ?」
「嘘じゃないよ」
三年前の葵との会話を思い出す。大学には行かないと言っていた。音楽の勉強をするとも。俺が東京の大学に行くと告げた時も、自分も東京に行くということはおくびにも出さなかった。だから、てっきり高知に残っているか、広島か福岡か、そのへんの地方都市にいるものだと思っていた。
「あいつ、なんで言わなかったんだよ……」
気づけば俺はそう漏らしていた。それを聞いた奈津は笑みをこぼし、それから俺の肩口をグーでパンチした。
「あんたこそ、なんで訊かないのよ」
「え?」
「お姉ちゃんだったら、たぶんそう言うよ」
俺は笑った。そのとおりだ。ちゃんと訊かない俺が悪い。
「カズ兄はそういうところがあるからな」と奈津は言った。「寄ればじゃれるけど、背中を向けても追うことはしない。エサはあげるけど、カゴに入れようとはしない」
「そうか?」
奈津は頷いた。
「『お前は俺のものだ』ってはっきり言わないのに、相手が自分のもとを去らないと信じてる。それでいて、去っても仕方ないと思ってる。カゴに入れておかないと、鳥はいつかいなくなっちゃうんだよ? それは裏切りとか、嫌いになったとかじゃなくて、時間とか環境とか、そういう自分たちじゃどうしようもないことでそうなっちゃうこともあるんだよ!」
俺は驚いて奈津の横顔を振り返った。唇を噛みしめ、俯いた奈津の目から大粒の涙が流れ、鼻緒の先にぼたぼたと落ちた。
「それを仕方ないとか、ボタンの掛け違いでうまくいかなかったって思うのは、暢気すぎるし、努力不足だよ……」
最後に振り絞るようにそう言った。
その時、スピーカーからアップテンポの音楽が大音量で流れた。揃いの衣装を身にまとった高校生たちが歓声を上げ、飛び跳ねながらステージ上に登場する。「みんな、盛り上がってますかー!」 マイクを通した掛け声に観客から拍手が沸く。
奈津は次から次へとあふれる涙を手で拭った。俺はポケットを探ったが、ハンカチはおろかティッシュさえ持っていなかった。なす術もなく、ただ肩を抱き寄せた。
奈津は小声で「ごめんね」と言ったが、俺は聞こえなかったふりをした。
パフォーマンスが終わると、奈津は恥ずかしそうに両手で顔を隠しながら「ちょっとトイレに行ってくる」と言った。
「いいよ、そのままで」
奈津はほとんどメイクをしていなかったし、あたりはすでに表情がわからないくらい薄暗かったが、それでも泣き腫らしていないか気になったのだろう。「いいから、花火の場所取っといて!」と逃げるように駆けていった。
俺は神社の横の空き地を少しの間ふらふらと歩いてから、ちょうど良さそうな場所を見つけ、腰を下ろした。花火が上がる海辺のほうに視線をやる。その景色に既視感があった。すぐに葵と座ったのもこのあたりだったことに思い至る。「タヌキー!」と歓声を上げていた葵の横顔を思い出し、口元が緩んだ。
奈津に場所を伝えようとLINEを開いたところで、新着のメッセージがあることに気がついた。ゆかりだった。
『結局、実家に帰ったんだ?』
『よくわかったね』と返信をすると、すぐに既読になった。
『目がいいから』
『千里眼かよ(笑)』
『何も言ってくれなかったのは、単に忘れてたから? それとも、やましいことでもあるの?』
その段になって初めてゆかりが怒っていることに気がついた。それも無理はなかった。「夏休みの予定が決まったら教えて」というゆかりの言葉を忘れ、帰郷を決めてもゆかりに教えなくてはとは思わなかった。もっと言えば、ゆかりの予定もろくに聞いていない。
——暢気すぎるし、努力不足だよ。
奈津の言うとおりだ。俺は三年前から何も変わっていない。
『ごめん、忘れてた』
そう返すと、少しの間が空いてから『その程度の存在ってことね』と返事が来た。何と返そうかと考えていると、さらにメッセージが送られてきた。
『ひまわりによろしく』
「仲村先輩」
吐いたため息と入れ違いにそう呼びかけられ、俺は我に返った。
振り向いた先で吉村慎之介が微笑んでいた。
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