a summer with two suns 3

「あ、タヌキ!」

「ドラえもんだろ?」

「あ、キツネ!」

「ピカチュウだよ」


 小高い丘の頂上にある神社は、海辺で上がる花火を見るにはちょうどよい場所だった。俺たちは神社の隣の空き地に腰を下ろし、うちわを仰ぎながら花火を見上げていた。


「あ、パンダ!」

「キティーちゃんだな」


 葵のボケだか真面目なのかわからない歓声に都度つっこみながら、俺の意識はともすればさっき目にした光景に舞い戻りそうになる。




 よせばいいものを、俺は二人の影を追って神社の拝殿の脇へと入っていった。最後のたこ焼きを口の中に放り込んだ。なぜその段に及んで、たこ焼きに固執していたのかはわからない。いや、本当は気づいていた。嫌でも感じる嫌な予感から目を背けようとしていることに。


 辺りはすでに薄暮の中だった。建物に身を隠し、見習いの探偵みたいに薄闇に浮かぶシルエットを見守った。話している内容までは聞こえないが、身振り手振りを交えて何かを話し合っている。


 男のほうは一つ下の学年で、つまり高二で、名前を吉村よしむら慎之介しんのすけといった。家が和太鼓教室で、祖父と父と三代で和太鼓を叩いていた。その業界では少しばかり名の知れた奏者一家らしく、高知の田舎町で行われる祭事はもとより、大阪や福岡で行われるイベントでも演奏をしているらしかった。


 つまり和太鼓奏者とサックス奏者がそこにいた。二人がこのあと中央ステージで行われるというスペシャルライブの出演者であることは、おそらく間違いなかった。


 その時、吉村の視線が不意にこちらに向けられた、気がした。暗くてよくわからなかったが、俺は反射的に顔をひっこめた。何をやってるんだ、俺は。次に恐る恐る顔を出した時、二つのシルエットは重なり合っていた。




 ステージの上で踊るように演奏する二人を、俺は会場の隅っこからぼうっと見つめていた。ホルストの「木星」から始まり、DAOKO×米津玄師の「打上花火」、俺の知らない曲を挟み、最後は葵のソロで「少年時代」と「星に願いを」を演奏して締めくくった。


 惜しみない拍手が送られる。俺は微動だにすることなく、並んでお辞儀をする二人をやはりぼうっと見つめていた。




「急にお願いされたんだよ」と葵は言い訳をした。「本当は三味線だかお琴だか、とにかく和楽器で演奏するはずだったらしいけど、演奏する人が来れなくなったって言うんで急遽代役を頼まれた」

「そのわりにはえらく息が合ってたな」

「そう? ミスばっかでひどい演奏だったけどね」

「どっちが?」

「私が」

「練習はしたのか?」

「今日の放課後に合わせる程度ね」


 さすがに「直前に神社の脇で何をしてたんだ」と訊くことはできなかったので、直前に神社の脇で何をしてたのかはわからなかった。心にわだかまりを抱えながら、知らずに済んだことにどこかほっとしている自分がいた。




 スターマインが残した煙を黄金色のすすきのような光の尾が包み込んでいく。次から次へと上がる花火は、次第に見慣れた生まれ故郷の夜空を染め上げていった。こじんまりとした花火大会は徐々に終焉へと向かう。俺たちは無言で最後の花火が消えるのを見送った。


「終わっちゃったね」

「だな」

 俺も葵も花火の消えた夜空をいつまでも見上げているようなタイプではなかったので、すぐに腰を上げる。ズボンについた土やら草やらを払っていると、後ろから視線を感じた。見ると、袴姿の吉村慎之介が微笑んでいた。


「どうも」

 そう言った声は俺に向けられているようだった。ちなみに、その時まで俺は吉村とろくに言葉を交わしたこともなかった。

「葵さん、さっきはありがとうございました」

「こちらこそどうも」

「やっぱさすがですね。俺が見込んだだけのことはある」

「そんなことない」

 葵のことを下の名前で呼ぶ吉村の態度は馴れ馴れしかったが、それに応じる葵の態度はどこか素っ気なかった。いつもの突拍子のなさもノリの良さも鳴りを潜めている。

「よかったら一緒に帰りませんか?」

 これにはさすがに俺も戸惑った。どう考えても野暮な申し出だった。思わず「だよな?」と葵に念を押したくなったが、寸でのところで声にはせず、視線だけを送った。

「ニコが送ってくれるんだ。だよね?」と反対に確認される。

「もちろん」

 そう言ってすでに歩き出した葵の後につく。

「仲村先輩」

 吉村は俺を呼び止めた。目の前の掴みどころのない男が次に何を言うのかと俺は身を固くしたが、呼び止めた当の本人も何も言葉を発しない。と思った次の瞬間、屈託のない満面の笑みを浮かべた。

「僕、葵さんのことが好きです」




 葵の家に着くと、どちらともなく足を止めた。結局、神社からのほんの五分ほどの道程はどちらも口を開くことはなかった。俺たちの間に、いままで感じたことのない重苦しい空気が漂っていた。



「僕、葵さんのことが好きです」

 突然の告白に俺は反応することができなかった。ややあって、後ろを振り返る。少し離れたところで、葵がこちらに背を向けたままスマホをいじっていた。吉村の言葉はおそらく聞こえているはずだった。

「俺に言われても」

「本人にはもう言いました」

「……それで?」

「完膚なきまでにフラれました」

 安堵のため息をつく自分がいた。もちろん葵を信じていた。けど……。

「じゃあ、そういうことだろ?」

 踵を返し、葵の横に並ぶ。吉村はそれ以上なにも言わなかった。



「じゃあね」

「ひまわり!」

 足早に玄関へと向かう葵を俺は呼び止めた。「信じていいんだよな?」

 葵は振り向かなかった。俯いたまま、絞り出すように「もちろん」と言うとそのまま家の中へと入っていった。


 俺は置いてあった自転車に跨ると、ペダルを漕ぐことなく坂道を下った。湿気を帯びた風が頬にまとわりつく。花火が消えたあとの夜空には、満天の星が輝いていた。




 奈津からあの夜葵が泣いていたと聞いたのは、それから一カ月以上経った夏の終わりが近づいたころだった。


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