a summer with two suns 2

 葵の家の前に自転車を停めたところで携帯が震えた。


『悪い、急用できたから先行ってる』


 つまりもう家にはいないのか、まだいるのか。どっちなんだろうと思いながら、「日向」と表札の掛かった門をくぐった。庭の片隅に咲いたひまわりの花が、好奇心旺盛な犬みたいに塀の上から外の世界を覗いていた。


 玄関に辿り着く前に勢いよくドアが開く。すらりとした色白の肌に、ショートカットが揺れる。

「あ、カズにい

「なっちゃん、久しぶり。大きくなったな」

「親戚のおじさんか」と奈津が笑う。

「ひまわりは? まだいる?」

「あそこで風に吹かれてる」

 庭のひまわりに向けられた指先を追う。

「ずいぶんやせたね」

「なんか、さっき慌てて出てったよ。演奏することになったって」

「演奏? 演奏ってサックスを?」

「姉貴はサックス以外は吹けないからそうだと思うけど」

「火も吹けるらしいぞ」

「火って、ゴジラじゃないんだから」

「ゴジラが吹くのは放射熱線だけどな」




 結局、俺は自転車を葵の家に置かせてもらい、葵の妹の奈津と肩を並べて会場を目指した。六時を過ぎていたけど、太陽はまだ沈むつもりはないらしかった。昨日に負けず劣らず暑い一日だった。


 日向ひなた奈津なつ。いっそ「夏」の字にしてしまって、日向葵と日向夏にしたほうがよかったんじゃないかと思う。実際、葵の母親に言ったことはあったけど、「じゃあ、三人目は日向燗ひなたかんにするわ。四人目は日向ぼっこね」と笑って流された。どうも冗談半分だと思ったようだった。たしかに半分は冗談だったけど、残りの半分は本気だった。


「浴衣じゃないんだね?」

「残念?」

「ひまわりに言わない?」

「うん」

「残念」

 大人びた言い方をする奈津をからかったつもりが、頬を赤らめたのでばつが悪くなった。

「一人で見るの? 花火」

「ううん、友だちと」

「彼氏じゃなくて?」

「カレシッテナンデスカ? ソレ、タベラレマスカ?」




 神社の境内には出店が立ち並んでいた。老若男女が笑顔でひしめき合う。年に一度の独特な活気に満ちあふれていた。


 葵からは何の連絡もなかったし、奈津も友だちがまだ来てないみたいだったので、俺たちは金魚をすくい、俺はたこ焼きを買い、奈津にりんご飴を買ってやった。


「たこ焼きちょうだい」

 奈津がりんご飴を渡してきたので、物々交換でおとなしくたこ焼きを差し出す。少し考えたが、口を付けるのは気が引けたので蝿が寄らないように見張ることに専念した。

「カズ兄は東京の大学行くんでしょ?」

「受かればな」

「じゃあ、遠恋だね」

「あいつはやっぱり高知に残るの?」

 言いながら、奈津に訊くことじゃないなとは思った。

「うちはほら、父親がいないから」とたこ焼きを頬張りながら奈津はなんてことなさそうに答えた。金銭的なことを言ったのか、物理的な距離のことなのか。たぶんその両方なんだろう。


「なつー!」

 横から声がして、俺と奈津は同時に振り向いた。見覚えのある女の子が手を振っている。

「いま行くー!」と奈津はたぶん言ったのだろうが、口の中にたこ焼きが入っているので「火が吹くー」にしか聞こえなかった。昨日からゴジラは大忙しだ。


「チェンジ!」

 奈津の謎の掛け声にあわせて、たこ焼きとりんご飴がポジションを交換する。「あれ、食べてないじゃん?」

「なっちゃんは結構食ったね」

 この短時間にたこ焼きが三つも減っていた。

「少しでも元を取ろうと」

「俺の金だけどね」

 奈津が手の代わりにりんご飴を振って友だちのもとに駆け寄っていく。すっかり女性の仕草だった。俺は親戚のおじさんみたいに目を細めて見送った。




 奈津と別れた俺は葵に電話をかけたが、応答はなかった。どうしたものかととりあえずたこ焼きに刺さった爪楊枝を持ち上げたところで、電柱に取り付けられたスピーカーの声が耳に入る。


「このあと七時より、中央ステージにて和太鼓とサックスによるスペシャルライブを行います。みなさんぜひお越しください」


 中央以外にステージはあるのかとスペシャル以外にライブはあるのかが気になった俺は、我ながら暢気すぎたと思う。拝殿の前を横切る二つの人影に気づいたのはその時だった。そのうちの一つにはよく見覚えがあった。さっき電話を掛けたばかりだ。もう一つは……。



 袴姿の男の後に続いて浴衣を着た葵が建物の後ろへと消えていった。爪楊枝の先に引っかかっていたたこ焼きが、ぽとりと地面に落ちた。


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