Love is like...

Nico

太陽が二つある夏のように

a summer with two suns 1


 太陽が二つあるような夏の日だった。


 どこまでも青い空のキャンバスを、絵の具をこぼしたみたいにくっきりとした雲が悠然と泳いでいた。蝉の声が途切れることなく世界を包み込んでいる。一日中その声を聞いていると、もしかしたらそれは地球の回る音なんじゃないかという気がしてきた。


「ニコー!!」

 信号待ちをしている自分の影がコンクリートに焼きついてしまわないか心配していると、ずいぶん遠くから名前を呼ばれた。


 坂を下る自転車の上で両手を振っている彼女に、俺は恋をしていた。


 もちろん俺の名前はニコなんかじゃなかったけど、彼女はいつも俺のことをそう呼んだ。「にこやか」の「ニコ」らしい。なぜ「にこやか」なのかは訊いたことがない。


 日向ひなたあおい向日葵ひまわりみたいな名前の彼女を、俺は「ひまわり」と呼んでいた。「ニコ」と「ひまわり」。今となってはこっぱずかしいけど、高校生の時の俺たちはいたって真剣に恋をしていた。太陽が二つあるような夏の日よりも熱い恋だ。


「あれ? 部活は?」

「夏すぎて休み! ねぇ、外海そとうみ行こうよ」

「暑すぎって、吹奏楽は室内だろ?」

「暑すぎじゃなくて、夏すぎ。こんなにいい天気なのに、部屋の中で金属に必死に息吹き込んでるなんてもったいないじゃん!」

「サックス奏者としてあるまじき言い草だと思う」

 そこで信号がやっと青になった。俺は小さくジャンプして肩に掛けたバッグを正すと、ポケットに両手を突っ込んだまま歩き出した。


「ねぇ、外海行こうよ」

 聞こえていないと思ったのか、自転車から降りた葵がもう一度言った。ちなみに、学校からまっすぐ続く一本道を突き当たりまで行くと、三日月形の海岸線の付け根に出る。そこが内海うちうみ。三日月の上の部分を外海と街の人たちは呼んでいた。

「なんで?」

「理由があるならもう言ってる」

「やだよ、熱いもん」

 暑い、じゃなくて、熱い。夏の日射しをもろに受けた砂浜は驚くほど熱い。

「なんでよ?」

「理由はあるからもう言ってる」

「えー行こうよ! 海に入っちゃえば大丈夫だって」

 砂の熱さを知っていて、俺が砂の熱さのことを言っていることも知っている葵は言った。

「海に入っちゃうなら内海でも一緒だろ?」

「内海なら行ってくれるの?」

「やっぱりそういうふうに聞こえるよね」




 結局その少しあとには、俺たちは靴と靴下を脱ぎ、俺は制服のズボンを捲り上げ、彼女はスカートの裾を押さえて、内海の波際で本当の外海を眺めていた。果てしなく続く海原。どこまでもきらきらと輝く生ぬるい水面みなもの上を海風が吹き抜けた。


「ニコはさ、私のどこが好きなの?」

 葵は手で太陽をひとつ隠しながら言った。

「おまえ、よく恥ずかしくもなくそんなこと訊けるな?」

「恥ずかしいよ。口から火を吹くほど恥ずかしい」

「顔から火が出る、な。ゴジラかよ」

「ゴジラが吹くのは放射熱線」

「なんで口から火を吹くやつが放射熱線は知ってんだよ」

「好きなんだよ、ゴジラが」

「とりあえず吹くのはサックスだけにしとけ」


 質問に答えない俺に葵は不満そうだったけど、不満そうな葵を見るのが俺は好きだった。




「明日、何時に待ち合わせる?」

 葵は自転車に跨ると、振り向きながらそう尋ねた。

「午後は部活だから、一回家に帰って六時に迎えに行くよ」

「オッケー。じゃあ、待ってる」

 明日は花火大会だった。この海沿いの小さな街の、年に一度のビッグイベントだ。一緒に行く約束はしてなかったけど、一緒に行くことになっているらしい。もちろん異論はない。

「また明日ね」

 葵はそう言うと、さっき下ってきた坂に向かって自転車を漕ぎだした。葵の家は坂の上。俺の家は海のそば。俺たちがこの街に生まれてから十七年間変わらない事実だった。


「またな」

 声なんか到底届かないところまで葵が離れてから、俺は呟いた。どうして葵に届くように言わなかったんだろう。坂道をふらつきながら上る背中を眺めながら、俺は少し後悔した。小さくジャンプして、肩のバッグを直す。




 相変わらずゴジラが放射熱線を口から吹いてるみたいに暑かったけど、二つあった太陽のうちの一つは葵が持って行ってしまったような気がした。


 蝉の声はまだ止まない。地球はいまも回っているらしかった。


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