第21話 虚しさと切なさと

 ホテルの窓のカーテンを開けると朝日が差し込んできた。雪は日付が変わった頃には雨になり、その雨も夜明け前には止んだとテレビの中のお天気お姉さんが伝えていた。建物の敷地内や歩道には雪がけずに残っていたが、車道の雪はほとんど溶けているように見えた。


 鯵沢への報告は正直にする事にした。私の質問に対して高岡が答えた事を話しても、高岡が否定した事だけが伝わるだけで、私が抱いた心証と気付いた事を話さなければいいのだ。


 問題は権藤亜希の件だ。勿論、鯵沢に話すつもりはないが、亜希についてはまだまだ知りたい事が山ほどあった。


 亜希の姉が金沢に傷害を負わせた犯人だったとしても、まだ疑問がいくつもあるのだ。どうやって金沢を見つけたのか? どうやって金沢を拉致したのか? なぜ金沢を殺さずに傷害を負わすだけで済ませたのか? 仲間はいるのか? そしてなぜ金沢の部屋をキレイに掃除していったのか?


 この疑問を解決する為には、やはり本人に聞いてみるのが一番の早道だろう。その場合、どうやって本人に問いただせばいいのだろうか? 『逮捕は考えていないので、真相だけを教えて欲しい』と頼んでみたところで、そう簡単には信じて貰えないだろう。私の境遇とこれまでしてきた不法行為を告白すればもしかしたら……。


 結局、今のところは結論は出なかった。


 今日は東京へ直接帰らずに厚木へと寄り道して行くつもりでいた。堂本に亜希の件をぶつけてみたいと思ったからだ。


 堂本も高岡同様に亜希の事など知らないと否定するのは目に見えていた。それでも高岡同様に何らかの反応はするだろうから、それを見るだけでも会う価値はあると思っていた。


 先月の下旬に福丸家へ訪ねた時、修三は堂本が山中湖付近の別荘建築に駆り出されて通っていると言っていた。今もそれは続いているのだろうか? 続いていれば会えないのだが、それならそれで仕方ない。福丸夫妻の様子も気になっていたので、二人に会って少しでも話が出来れば寄り道も無駄にはならない。


 中央高速道路には雪の影響は全く見られず、順調に厚木に到着する事が出来た。


 車を神社の前の空き地に駐車して、堂本の家へと徒歩で向かった。堂本の家の駐車場には車とスクーターが駐車してあった。


 仕事は休みか。ラッキー。


 妻が出た時の文言もんごんを浮かべてインターフォンのボタンを押した……。反応はなかった。


 その時。


「ギャァー! 助けてッ!」


 助けを求める女性の叫び声が聞こえた。


 声の出どころを探して振り返った。そこには福丸家があるだけだった。


”ブルッ” 体の芯が大きく震えた。


 次の瞬間、考える間もなく体が動いて福丸家へと駆け込んだ。


 玄関を入り、靴も脱がずに上がり込み廊下を進んだ。そこで待っていたのは、キッチンで倒れている頼子に包丁を突き刺している堂本の姿だった。


「何をしているのッ! 止めなさいッ!」力一杯に叫んだ。


 その声に驚いた堂本が振り返った。その堂本の目は完全に狂気の世界へイッている目だった。


 堂本は頼子の脇腹から包丁を引き抜き、私に向かって包丁を振り上げながら突進して来た。


「ウオォォォーーー!」


 奇声を上げた堂本が目の前にせまり、私めがけて包丁を振り下ろして来た。


 私はその攻撃を反転してかわしたが、堂本はすかさず空を切った包丁を横にして、水平に私に切り込んだ。


 私はそれをお腹を引いてかわし、目の前に現れた堂本の首筋くびすじ手刀しゅとうを叩きつけた。


 その一撃で堂本の片膝かたひざが床に落ちた。私はそのすきを逃さず、包丁を持っている右手をひねり上げて包丁を手から落とした。そして床に落ちた包丁を冷蔵庫の下の隙間すきまへと蹴り飛ばした。


 その間も、堂本は捻り上げられた右手を外そうとして、体を私に押し当てて流し台へと私の背中を押し付けた。


 私の背中は反り返り、後頭部が水道の蛇口じゃぐちにガツンッと当たった。さらに堂本はひじを私の首に押し当てて圧迫あっぱくしてきた。


「死ね」


 堂本の目は血走っていて、顔は鬼の形相ぎょうそうだった。


 く、苦しい……。


 私は苦しみの中で、右膝みぎひざを限界まで折り曲げた。そして靴先を堂本の腹に当て、右膝を一気に伸ばして堂本を突き飛ばした。


 すると堂本は倒れていた椅子を掴み取り、私めがけて椅子を叩きつけてきた。


 それを私は身をひるがえしてけると、椅子は床に叩きつけられてあしが折れた。堂本はその拍子ひょうしにバランスを崩し、私はその堂本の顔面に正拳を突き、続けざまにのけぞった腹に渾身の前蹴りを放った。


「ウッ」


 堂本は私の前蹴りをまともにみぞおちに受け、腹を押さえながら後退した。そして背中を冷蔵庫に当てたところで尻から崩れ落ち、口から胃液を吐いて苦しみ出した。


 かくして堂本の戦意は完全に失われた。


 私はグッタリとしている堂本へ近付き、右手首を掴んだ。


「堂本、いや前島武士。傷害と暴行の現行犯で逮捕する」


 堂本の右手首に手錠をかけ、もう片方を流し台の下の扉の把手とってにかけた。


「あなた……、あなた……」リビングでか細くつぶやく頼子の声が聞こえた。


 リビングを見ると、脇腹を血に染めた頼子がった姿勢で、ソファーの上でグッタリしている修三の足をさすってり動かしていた。


 私はキッチンにあった布巾ふきんとタオルを取り、スマホで救急車の要請をした。そのオペレーターに警察への通報を頼む同時にリビングへ行き、頼子の傷口に布巾を当てがった。すると布巾は見る見るうちに血で真っ赤に染まっていった。


「ここを手で押さえて下さい。直ぐに救急車が来ますから」

「刑事さん、主人が……」頼子は傷口を布巾で手で押さえ、弱弱しい声で訴えてきた。


 私は修三の傷口にタオルを当て、首筋で脈拍の有無を確かめた。


「大丈夫です。救急車を待ちましょう」私はそう言いながら頼子の腕をでた。


 大丈夫と言ったのは頼子の気力をえさせない為の嘘だった。この時、修三の脈拍はすでに途絶とだえていた。


「どうして……、どうしてこんな事に……」頼子は誰に聞かせるでもなくつぶやいた。


 そう、堂本はなぜこんな暴挙に出たのだ?


 こんな事をしたら全てが台なしじゃないか。


 キッチンに目を戻すと、手錠につながれた堂本は、先ほどまで身にまとっていた狂気の様相は抜け落ちてほうけたようになっていて、何やらブツブツと口籠くちごもっていた。


 何があったんだ? 堂本が更生したと言っていたのは嘘で、やはりコイツは根っからの悪党だったのか……。


 救急車のサイレンが近付いて来た。


 救急と警察がほどなく到着し、のどかな住宅地は騒然となった。


 救急隊員は家に入って直ぐに修三の死亡を確認した。頼子はその結果を知る前に救急車で病院へ搬送はんそうされて行った。


 堂本も私と格闘した際に負傷していたので、警察署へ連行される前に病院へ連れて行かれた。


 私は地元警察に私が福丸家へと駆け付けてからの状況とこれまでの経緯を説明した。そして現場検証に立ち合い、それが済むと警察署へ連れて行かれ、改めて事情聴取をされた。


 その事情聴取は十五時過ぎまで続いた。その途中で頼子の命が助かった事を聞かされてホッとした。それと共に、夫を失った頼子がこの先どのように生きて行くのかを思うと暗たんたる気持ちにさせられた。


 夕方のニュースで、この事件の事が報じられていた。ご近所トラブルの末の殺人事件だと報じられていたこのニュースが、数日後にはセンセーショナルな事件として報道され、世間をざわつかせるであろう事を私は予見した。


 堂本があんなに隠したがっていた過去の出来事は、マスコミによって白日はくじつもとにさらされる事になるのだろう。


 夕方過ぎに東京へ帰り課長に事件についての報告をすると、すでに課長の耳には厚木の警察から連絡があったらしく『ご苦労様、大変な目にあったね』と他人事ひとごとのようなねぎらいの言葉をかけられただけで終わった。何が起ころうとこの課長だけは呑気のんきだった。


 その日の夜。仕事終わりの鯵沢に飲み屋へと呼び出された。鯵沢はニュースで事件を知り、私が報告してこなかった事に怒っていた。しかし私の落ち込みぶりを知ると急に優しくなった。


「大変だったな」

「私がもう少し早く福丸家へ着いていれば、福丸さんは殺されずに済んだと思うと悔やんでも悔やみきれません」

「オメエが責任を感じる必要はねえよ。悪いのは堂本のヤロウだ」


 そうなのだろうが、それでもやはり悔いは残る。


「娘を凌辱りょうじょくした人間に今度は父親が殺されたか……。これ以上悲惨な話はないな」

「……」それに返す言葉は何も浮かばなかった。


 厚木での事件の話はそれきりになり、後は鯵沢の特捜に対する愚痴を聞いた。それから甲府での高岡からの聞き取りを差しさわりなく報告をして、そして別れた。


 次の日から厚木中央警察署では、本格的に堂本への取り調べが行われた。気になった私が昨日私を事情聴取した刑事に問い合わせると、堂本は黙秘を貫いているという事を教えてくれた。


 堂本は口をつぐんでいたが、私の予見通りマスコミは朝には早くも騒ぎ出した。


 テレビのワイドショーでは、被害者の福丸夫妻が十四年前に発生した山梨の女子高校生拉致監禁暴行殺人遺体遺棄事件の両親だったと伝え、加害者の前島武士がその事件の犯人グループの少年の一人だったと伝えた。被害者と加害者がどのようにして山梨から厚木へ移り住み、向かい合った家で暮らすようになったかなどの詳細しょうさいまでは朝の時点では伝えられていなかった。


 三日目、四日目と報道は過熱していき、堂本の周辺の人たちもマスコミの取材に応じてテレビに出演していたりした。


 インタビューの中では『真面目な奴だった』『仕事は出来た』『責任感が強かった』『家族思いだった』など肯定的こうていてきなものから『目つきが鋭く怖かった』「昔の事を話しがらず、聞こうとするとマジギレしてきた』『通りかかった女子高校生を見る目が普通じゃなかった』など後付けしたような中傷する証言もあった。


 ある番組では堂本の義父への取材に成功し『騙された』『許さない』『家族には一生会わせない』などの怒りのコメントが流された。


 別の番組では福丸夫妻の親戚だという人物が、福丸夫妻が堂本の家の向かいに越して行った経緯を語っていた。


『修三は私に言っていたよ。娘をあんな酷い目に遭わせておきながら、数年少年刑務所に入っていたくらいで、そこを出て来たら犯した罪が全てなくなったかのように生きて行く事が許せないってな。罪を犯した奴らには、一生その罪と向き合って生きて行って欲しいってね。俺もその通りだと思ったよ。でも本人はそれはかなわぬ事だとあきらめてもいたんだ。それがある日。事件を犯した少年の一人の居どころがつかめたって興奮してやって来たんだ。その少年とは、修三の教え子だった奴だ。修三はずっと行方を捜していたんだよ。だから修三の決心は早かったよ。そいつの家の前の土地が売りに出されていると知ると、直ぐにその土地を購入して、そして家を建ててしまった。退職金をほとんどはたいたみたいだから無茶をしたもんだよ……。えっ? 引っ越して何をする気だったかって?……別に暴力を使って復讐をしようと考えていたわけじゃないよ。さっきも言っただろ、一生罪と向き合わせたいと思っていたと。修三は教育者だからね、向かいの家に被害者の家族が越してくれば、加害者は嫌でも自分の罪と向き合わなければならなくなるだろうって、そう考えたのさ……。更生のさまたげ? ……被害者への償いが終わってもいないのに更生も何もないだろう。更生というのは被害者が加害者の罪を許して、加害者が真面目に生きて行こうとしているのを被害者が認めて、それからが本当の更生の始まりなんじゃないのかね……。違うかね? ……俺はそう思うぞ。修三もそう思っていたんだよ。だから向かいの家に住んで、加害者の生活の様子を観察して、加害者が真摯しんしに真面目に生きていると確信したならば許すと言っていたんだ……。それなのに……、アイツは……、あんな奴は今度こそ死刑になればいいんだ……。でも、何年かしたら社会に出て来るんだろうな……。その時、アイツはどうするのかね……』


 このインタビューは波紋はもんを呼んだ。


 福丸夫妻の考えや行動を理解し支持する者。反対にやり過ぎだと非難する者。また堂本に対して同情する者もいた。


 このまま報道が過熱していけば、福丸優子の事件の首謀者しゅぼうしゃである金沢の現在についてもあぶりり出される日も近いと思った。そして現在の金沢の状況を知ったマスコミが大騒ぎするであろう事は火を見るより明らかだった。


 そんな事は起こって欲しくはなかったが、起こるにしても少しでも先に延ばしたかった。なぜなら、これから私がしようとしている事をマスコミに邪魔されたくなかったのだ。


 五日目。厚木の刑事の話によると、堂本は落ち着いたからか諦めたからかは分からないが、少しづつ供述きょうじゅつするようになったそうだ。堂本はその供述の中で、自分は福丸に追いつめられて混乱してしまい、あのような犯行に及んでしまったと、自分のした事を弁解するような言葉が含まれていたそうだ。


 事件発生から十四日目。私は一人で厚木中央警察署へおもむいた。堂本の供述と私の供述との間に齟齬そごがないかを確かめる為であった。


 私はそのついでに、かねてより要請していた堂本への聴取の実現を改めて願い出た。その願いは堂本の検察への送致の目処めどが立った事と、堂本を逮捕した私に対する配慮がなされて特別に許可された。


 取調室に連行されて来た堂本は、そこにいた私の姿を見て戸惑いの顔を浮かべた。しかし抵抗するそぶりは見せずにおとなしく私の向かいの席に腰を下ろした。


 室内には私と堂本の二人が残された。厚木の事件とは関係のない聴取だと言って、渋々ながら二人きりの聴取を承諾して貰ったのだ。


 目に前に座っている堂本は、二週間前に私と対峙した時の堂本とは別人のようだった。頬はこけ、血走っていた目は焦点しょうてんの定まらないうつろな目に変わっていた。


 福丸さんを殺害した事に対して嫌味いやみの一つも言ってやろうと思ったが、これから聞こうとする事の前に心を閉ざされても厄介やっかいなので自制した。


「今日私がここに来たのは、あなたにどうしても教えて欲しい事があったからよ」


 耳に届いていないのか、堂本は何も反応しなかった。


「聞こえている?」


 堂本は上目遣うわめづかいに私を見て、かったるそうに口を開いた。


「キムについてなら知らないと言っただろ」投げやりな言い方だった。

「今日聞きたいのは金沢の事じゃないのよ。いえ、金沢が関係していないわけじゃないけど、金沢の傷害事件とは別の昔の事件について教えて欲しいのよ」

「またそれかよ。いい加減にしてくれよ……。終わった事だ……。散々ここの刑事にも話したんだ……。もう話したくない」


 終わった事だと。堂本は全然分かっていない。終わりになどなっていない事を。終わらせる事が出来たのに、福丸さんを殺害してしまったが為にまた始まってしまったのだ。


 十四年前から伸びていた糸を、産まれたての自分の子供につなげてしまったのだ。


 その子供はいつか父親が人殺しの強姦犯だった事を知り、苦しむ時がくるかもしれないのだ。


 この男に冷静で思慮深い頭があったなら、こんな悲惨な結果にならずに済んだのだ。それもこれも最初の道の選択を誤ったから起こったのだ。


「私が聞きたいのは福丸優子ちゃんの事件ではないのよ。あなたたちが優子ちゃんの事件の少し前に起こした、権藤亜希ちゃんの事件について聞きたいのよ。憶えている? 権藤亜希ちゃんを?」


 堂本の顔には? が浮かんでいた。


「権藤……、亜希……。誰だそれ?」


 コイツは自分が襲った相手の名前も知らないのか。


「あなたたちが優子ちゃんの事件を起こす前に襲った女の子の名前よ」


 堂本のこめかみがピクついた。


「し、知らないな」と言いながら目を泳がした。


 どうやら思い出したみたいだ。


「まったく、あなたたちときたら……」私はあきれ過ぎて、心の声が漏れてしまった。

「そんな女知らねえよ」

「呆れちゃうわね。あなた、高岡と同じリアクションしているわよ」


 堂本はなぜ私が高岡の事を知っているのか? という疑問の顔をした。


「高岡勇気。あなたたちが少年時代に悪さしていた頃のリーダーだった男よ。知らないとは言わせないわよ」

「……」堂本は口を強くむすんだ。


 どうやら私が何を聞きたいのかをさっしたみたいだ。


「高岡にも教えてあげた事だけど、強姦罪の時効は十年よ。だから今更この事件であなたが罪に問われる事はないのよ」

 

 堂本は私の言葉が信用出来ないのか、真偽しんぎ見極みきわめる為に私の目の奥を覗き込もうとした。そんな事をしても無駄なのにと思いながら私は話を続けた。


「私としては罪をさばけないのは残念だけれども、今私が言った事は本当よ」と言いながらスマホで強姦罪の時効について検索をかけた結果の画面を見せてやった。


 堂本はその画面を食い入るように見て、私の言っている事は本当だと納得したようだ。


「だから何があったのか、本当のところを教えて欲しいの。ここで話した事は誰にもらさないと約束するわ。私の胸の中だけにとどめておくわ」と言って胸に手を当てた。


 ちょっとやり過ぎか……。


 それでも堂本はまだ疑心暗鬼ぎしんあんきのようだ。


 もう一押しか。


「私が捜査しているのは金沢への傷害事件よ。金沢があんなに酷い目に遭わされなくてはならない理由と犯人を知りたいのよ。だから金沢が過去にした事を知りたいのよ」

「……その女が金沢をやったのか?」


 堂本がやっと言う気になってくれた。


「権藤亜希ちゃんよ」

「名前は知らないよ。高岡さんも知らなかったんじゃないかな。生意気な女としか言っていなかったからな。当然キムも知らなかった筈だ」

きずりの女の子を襲ったっていうの?」

「それは違う。その女は高岡さんが通っていた高校の生徒だ。女は高岡さんの事を知っていたが、高岡さんは知らなかったのさ」


 それは初耳だった。高岡が通っていた高校までは調べきれていなかった。


「俺たちがコンビニの前で喋っていたら、その女が生意気な口をきいてきて注意して来たんだ。それにムカついた高岡さんが襲っちまおうって……」


 コイツらはやっぱりクズだ。


 そんな些細ささいな出来事で何の罪もない女の子を奈落ならくそこへ突き落すような事をするなんて、信じられない。


「言っておくけど、俺はその時そんな事をするのは反対したんだからな」


 お前の言い訳は聞き飽きたよ。


 反対しようが結局は参加したのならば罪の度合いに変わりはない。


 私が声に出して堂本を非難しなかったので、堂本はその当時の事を思い出しながら事件の顛末てんまつをポツリポツリと話し始めた。


 予想はしていたが、聞いているうちに怒りで頭から湯気が出そうだった。


「……救いようがないよ、あなたたちは」


 怒りの沸点ふってんを超えた私の言葉は、なぜか穏やかな言いようになっていた。コイツをなじっても無駄だとさとったのだ。


「……認めるよ」


 今更認められても遅い。過去は変わらないのだ。


「あれがなければその後の事も起こらなかったのかもしれないな……」堂本はひとり言のようにつぶやいた。


 きっとそうなのだろう。この事件にならなかった事件がその後に起こる全ての悪夢の根源なのだ。


 ふと疑問が浮かび、それを堂本へぶつけた。


「ねえ、あなたは高岡がどうして入院したのかを知っていたの?」

「バイクで事故ったんだろ、倒れた自転車をけようとして」

「その自転車に乗っていた子が誰かは知らないの?」

「そんなの知るわけないだろう」それが何なんだという顔だ。


 もしこの自転車の子が、数日前に自分たちが襲った女の子だったと知っていれば、福丸優子を襲う気など起こらなかっただろうに。


「亜希ちゃんよ。高岡のオートバイの前に倒れた自転車に乗っていた子は」


 堂本の口がアングリと開いた。


「……嘘だろう」

「こんな話は冗談でもしない」

「じゃあ何か、高岡さんはその女に復讐されたのか?」

「さあ、どうかしら……」

「復讐に決まっているじゃないか。偶然なんてあり得ないだろう」


 私はこの話を知ってから何度も想像した。亜希があの道路を自転車に乗って、高岡のオートバイが走って来るのを待ち伏せして、何往復もしていたのではないかという事を。


 そう、偶然なんてあり得ない。十八歳の少女にとってあの出来事は、悲しみであり、苦しみであり、怒りであり、絶望だ。


 少女はその全ての気持ちが爆発してあのような行動に出たのだろう。


 私には分かる。お母さんも亜希と同じ気持ちになった事があった筈だ。お母さんと一緒に被害に遭った親友の多香子は立花を刺し殺したが、お母さんは私をお腹に宿していたから復讐をしなかっただけだ。その無念さを晴らそうと私が行動しているのと同じように、亜希の姉も妹の残した無念を晴らす為に行動を起こしたのだ。


「亜希ちゃんはね、その事故の時に亡くなったのよ」

「死んだ……」


 堂本は思わぬ話を聞かされて戸惑とまどっているようだった。


「それはそうと、あなたは高岡が今どうなっているのかを知っているの?」

「知るわけないだろう。高岡さんとは入院する前に会ったきりだ。親父おやじが金持ちだったからいまだに親のスネかじってお気楽に暮らしているんだろう」

「スネをかじっているのは間違いなさそうだったけど、お気楽には暮らせてはいないようだったわ。高岡は事故の後遺症こういしょうで半身不随になって車椅子の生活をいられているからね」


 話を聞いていた堂本の顔が歪んだような気がした。


「高岡さんもキムと同じ目に遭っていたというのか?」

「同じじゃないわ。高岡の方は下半身以外は正常に機能しているもの」

「それだって真面まともな体じゃなくなった事に変わりないだろう。と言う事はキムをあんな体にしたのはあの女の家族なのか?」

「それは違うわ」


 この男に真実を教えてやる必要はない。


「私もそう思った事もあったけど、それは間違いだった。亜希ちゃんの両親はすでに亡くなってしまっているから、復讐は出来ないわ」


 両親にはね。


 亜希に双子の姉がいる事は言わない。この事件の関係者には教えない私だけの秘密だ。


「だから誰が金沢にあんな事をしたのかはいまだに不明なのよ。もしかして、あなたたちが起こしてまだおおやけになっていない犯罪が他にもあるんじゃないの?」

「そんなものはない……。女を……、アレしたのは……、二回だけだ」


 私は堂本をおどかすように強くにらみつけた。

 

「……ホントだよ」

「レイプ以外はどうなの? カツアゲや喧嘩、行き過ぎた暴力を振るった事はなかったの?」

「それは……、なくはないけど」

「だったら金沢はそんな人たちの中の恨みを持続していた誰かにやられた可能性はあるわね。やった者は忘れるけれど、やられた者はいつまでも忘れないっていうからね。偶然にでも金沢に遭遇そうぐうして、昔の恨みが爆発したのかもしれないわね」


 そうだ。よし、この線でこの先の捜査を誘導していこう。


 堂本は右斜め上に瞳を寄せて、過去にしてきた悪さの記憶を辿たどっていた。


「あなたは安心していいわよ。この先何年も刑務所で過ごす事になるのだから。もし復讐者がいてもあなたには手出しは絶対に出来ないものね。でも恨みを忘れる事は容易よういではないから、刑務所を出て来た時には気を付ける事ね」


 最後に嫌味を我慢しきれず言うと、堂本が言葉を発する前に席を立って取調室を出て行った。


 亜希は性被害者の汚名を着せられる事を拒否して、自分の身を投げ出して加害者の一人に罰を与えたのだ。そして金沢に罰を与えた者は、その遺志いしを受け継いだのだ。


 私に言わせればそれは正しい選択だ。だからこそ私はその人を守りたい。

 


 


 

 

 


 

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