第13話 気持ち

 車内にはラジオの音だけが響いていた。ニュースや音楽、DJの他愛のない話など、どれも耳を素通りしていた。後部座席の鯵沢は、目をつむってはいたが眠ってはいないようだった。多分、福丸夫妻に会って事情聴取する時のシュミレーションをしているのだろう。


 今まで得た証拠と証言から、金沢をあのような目に遭わせた犯人は、福丸夫妻の犯行だという線は濃厚になりつつあった。このままでは福丸夫妻の犯行という線で捜査は進められて行く事になるだろう。


 私はそれを何とか阻止出来ないかと考えていた。


 一人娘を無残に殺された福丸夫妻が、犯人たちに真の償いをさせたいという気持ち。それが分かるのは、警察官の中では私以外いないのだから。


「おい」鯵沢が目を開けて声をかけてきた。

「何ですか」


 今は捜査について話をしたくなかったが、無視するわけにもいかない。


「もし福丸夫妻を逮捕する事になっても、お前出来るな?」

「ええ、出来ます。でもまだ福丸夫妻が犯人と決まったわけじゃありませんよ」


 現時点での精一杯の抵抗だった。


「そんな事は分かっている。だからもしって聞いたんだ、バカ。ある意味福丸夫妻の気持ちが一番分かるのはオメエだからな、同情して逮捕に二の足を踏むんじゃないかと思って確かめたんだ。オメエがつらいって言うんなら俺一人でやってもいいんだぞ」

「いえ、大丈夫です。そんな気遣きづかいはいりません。もし福丸夫妻の犯行が確定されたら、その時は自分の仕事をちゃんとします」

「そうか、ならいい」鯵沢はそう言うと、今度は本当に眠り出した。


 鯵沢にはそう言ったものの、福丸夫妻を逮捕する事になったら平静でいられる自信はなかった。


 やった事は確かに犯罪だが、その行いは犯罪被害者家族の私にとっては理解出来るものだった。ましてや福丸夫妻は、たった一人の娘を拉致され、凌辱りょうじょくされ、監禁され、殺され、遺棄いきされたのだ。


 そんな目に遭った被害者の親が犯人を前にすれば憎しみが込み上げてきて、気持ちが抑えきれずにあのような犯行に及んでしまうのは当然と言えば当然だ。


 その犯行を非難する人たちは、自分が犯罪の被害者やその家族になった事がないから平気で非難出来るのだ。


 私は福丸夫妻に対してして出来る事はないかを考えた。


 福丸夫妻が鯵沢の事情聴取に対して素直に犯行を認めてしまえば、私にしてあげられる事はない。しかし犯行を否認したならば、私にもしてあげられる事があるかもしれない。


 それはたとえば、証拠の隠蔽いんぺいだ。


 私一人が気付いた証拠ならば、鯵沢に知られる前に隠蔽する事は出来るだろう。かなり危険な行動だが、気持ちの分かる者としては、それくらいのリスクはっても構わない。


 他にも福丸夫妻に私の境遇を打ち明けて、信頼を得た上で、私だけに犯行の経緯を告白して貰えれば、犯行を否認する為のアドバイスも出来るだろうし、証拠の隠滅いんめつも手伝えるだろう。


 しかしそれは簡単な事ではない。


 いくら私の境遇を打ち明けたとしても、刑事の私の言葉など簡単には信用して貰えないだろう。その時はお母さんの遺言テープを聞いて貰ってもいい。


 兎に角、福丸夫妻からの信頼を得る事が大事だ。


 その為にも、今日これから行われる事情聴取を、福丸夫妻には何事もなく乗り切って貰いたい。今日の事情聴取では、私には福丸夫妻を助ける事は出来ないのだから。


 私は事情聴取を少しでも先延ばししたい気持ちから、新しく開通した圏央道を通らずに、遠回りになるよう相模湖の出口で高速道路を下りて下道で行く選択をした。


 そんなささやかな抵抗をしているとはつゆ知らず、鯵沢はイビキをかいて眠っていた。願わくばそのまま起きないで欲しいと思ったが、刻々と車は福丸夫妻の住む厚木へと近付いて行った。

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