第12話 南アルプス市

「起きて下さい」


 甲府昭和インターチェンジを通過したところで、後部座席で眠っている鯵沢に声をかけた。鯵沢は目を覚ますと大きく伸びをした。


「痛ッ」鯵沢は伸びをした手を車の天井にぶつけた。

「車壊さないで下さいよ」

「ちっこい車は寝づらいな。体の節々が痛え」ぶつけた手を肩に持っていきみだした。

「イビキかいて眠っていた癖に何言っているんですか。もう直ぐ到着しますからちゃんと目を覚まして下さいよ」


 談合坂辺りで事故渋滞に巻き込まれたが、約束の十時には間に合いそうだった。


 新井とは、現在新井が勤務している県警本部ではなく、当時の特別捜査本部が設置されていた南アルプス中央警察署で待ち合わせる事になっていた。その方が捜査資料を簡単に閲覧えつらん出来るとの新井の配慮はいりょだった。


 私たちが南アルプス中央警察署に到着すると、すでに新井は捜査資料をそろえて待ってくれていた。出迎えてくれた新井は五十代半ばと思われ、ロマンスグレーの髪をキッチリ七・三分けにしていて、れた目尻のシワに優しさが刻まれているような柔和にゅうわな顔をしていた。


 新井から話を聞く前に、私は改めてこれまでの事件の経緯と捜査の進展具合を話した。新井は途中で口をはさんでくる事もなく、黙って話に聞き入ってくれていた。そして県警本部の刑事である新井には、我々が第一容疑者として殺された少女の両親を浮かべていると分かった筈だ。


 話を聞き終わると、新井が口を開いた。


「私が知っている事をお話ししましょう」そう言うと新井は、ジャケットの内ポケットから使い古された手帳を取り出して開いた。


 新井が福丸夫妻について話をするのかと思ったがそうではなかった。


「金沢についてですが、懲役十年の刑を言い渡され、平成十八年に川越の少年刑務所に収監されました。その刑務所を平成二十七年の四月に出所しています。九年超収監されていた事になりますから、ほぼ満期を勤め上げた事になりますね」

「珍しいですね」


 成人も少年も服役するのは刑期の七・八割というのが相場だ。


「ええ、まだ確認出来ていませんが、金沢は多分服役していた刑務所内で問題行動を起こしていたのでしょう。奴なら刑務所に収監されたからといっておとなしく過ごして居られるとは思えませんから。何しろ奴ら四人組は、あの事件を起こす前から甲府周辺では知る人ぞ知る相当のワルでしたからね」

「四人組? 事件を起こしたのは三人の筈でしたが?」

「いや、奴らは元々は四人組だったんです。高岡というこのグループのリーダー的存在の男がいたのですが、高岡は事件当時バイク事故を起こして入院しておりまして、この事件には関与いていないのです」


 それは初耳だった。やはり現地に来て話を聞かないと知り得なかった事実はあるものだ。


「そうなんですか。それでは事件を起こしたのは四人だったかもしれないわけですね」

「いや、それはどうでしょう。私は高岡が居たならば事件は起きなかったのではないかと思っているのです」

「どうしてですか?」

「実は高岡の父親は山梨県の県議会議員でして、高岡はそれまでも喧嘩けんか窃盗せっとうなど小さな事件を起こして父親を困らせる事はあったのですが、さすがに強姦ごうかんや殺人となると次元が違います。高岡も父親の手前、躊躇ちゅうちょしたのではないでしょうか。ですからリーダーの高岡がやらないと言えば誰も事件を起こそうとはしなかったんじゃないかと、私は思っているのです」


 だとすると、高岡が起こしたバイク事故がうらめしい。


「話がれてしまいましたね。それで金沢ですが、少年刑務所を出所した後は、身元引受人になってくれた大阪の親戚のところへ身を寄せていたところまでは確認出来ました。本来なら両親が身許引受人にならなければならないのでしょうが、両親は金沢が幼い頃に離婚しています。金沢は父親の元で育てられていたのですが、その父親は金沢が事件で逮捕されて早々に蒸発してしまいました。世間の風当たりの強さに耐えかねたのでしょう。父親はそれ以来姿を現す事はなく、民事裁判で確定した損害賠償請求にもなしのつぶてです。まったく、この親にしてこの子ありとはよく言ったものです」


 新井の今の話を聞けば、普通の人は金沢に同情心を抱くのかもしれないが、私の心には微塵みじんもそのような感情は芽生えなかった。


「金沢はどうして大阪から東京に出て来たのでしょう? 私たちの調べた限りでは大阪で金沢が事件を起こした形跡はなかったのですが、何か聞いていませんか?」


 それまで黙っていた鯵沢が口を開いた。


「いえ、聞いていませんね。事件化されていなくても何かしでかして居づらくなったのかもしれませんね」


 私たちの見解と同じ意見を新井は言った。そうだとすると、金沢本人が言わない限り知るすべは限りなくゼロに近いだろう。


「すみません。大阪の身元引受人の連絡先が分かりましたらお教え頂けませんか。金沢が入院している病院に教えなければなりませんので」忘れないうちに聞いておかないと、病院の事務の職員に怒られるのだ。

「また身元引受人になって欲しいと要請ようせいするのですね」

「はい」

「今日は休日ですから、明日一番に調べてお知らせします」

「ありがとうございます」


 身元引受人がいれば、退院する手続きがスムーズに行える筈だ。


「しかしそんな体になった金沢を引き受けてくれますかね。今までも散々迷惑をかけてきているわけですから、難しいのではないでしょうか」


 確かにその通りなのだろうが、要請するだけしてみない事には仕方ないだろう。それで断られたらその時はその時だ。


「金沢以外の事件の加害者についてはどうしましょうか?」

「お願いします」


 他の二人についてはほとんど何も知らない。もし今回の事件が過去の事件に対する復讐だとしたら、他の二人にも何らか危害が加えられているかもしれない。しかしそうなると、今回の事件が福丸夫妻の犯行だという確率が上がる事になるのだ。


「少年Bこと堂本武士は、平成二十二年の五月に松本の少年刑務所を出所しています。堂本の両親も金沢の父親同様、逮捕後バッシングを受けて行方不明になりました。その為に堂本は出所後、保護司の働きかけで甲州市にあるぶどう農園で二年間働いていました。しかし保護観察期間が終了すると間もなくぶどう農園を辞めたようで、その後の消息はつかめておりません」

「堂本というのは福丸優子の父親の生徒だった少年ですね?」

「そうです」


 だとすると、優子の父親にとっては恨み以上の感情があっても不思議はない。


「最後に少年Cこと轟公介ですが……」


 その名前を告げた新井の表情が明らかにくもった。


「轟は事件当時十四歳でしたので、他の二人とは違い刑罰も軽く、医療少年院に三年の入院で済みました。両親も行方不明になる事なく身元引受人になり、損害賠償のお金もキチンと支払いました。ただし支払ったのは両親ではなく祖父でした。その祖父は韮崎にらさきの土地持ちで、その土地を売って賠償金の都合をつけたそうです。で、その祖父は人一倍厳しい人で、少年院を退院して来た轟をその日に呼びつけて、福丸家へ直接謝罪に行けと命令したそうです」


 確かに厳しい人だが、ある意味それは当然の考えだ。


「轟は謝罪に訪れたのですか?」

「いえ、訪れてはおりません」


 自分の罪に向き合い本当に反省したのなら、謝罪に行くのは当然ではないか。それは怖いかもしれない。被害者家族に罵倒ばとうされるかもしれない。しかしそれを受け止める事が本当の償いではないのか。それを出来ない人間に罪が消える事は永遠に訪れはしない。轟にはそれが出来なかったのか。


「轟は祖父と一緒に福丸家へ謝罪に訪れると約束したその日の朝、祖父の家の裏山で首を吊って自殺してしまったのです」


 予想していなかった言葉が返ってきた。それで新井は曇った顔を見せたのか。


「轟は元々気の弱いところがありました。中学校もイジメに耐えきれずに不登校になっていたくらいで。ですからきっと被害者家族に会う勇気がなくて耐えられずに死を選んでしまったのでしょう。ズボンのポケットに【ごめんなさい】と書かれただけの遺書が残されておりました」


 何とも嫌な気持ちになった。


 室内の空気がドンヨリと重くなった。


 鯵沢が一口飲んだお茶の音がやけに大きく聞こえた。


 しかし私は自殺した轟に対しては同情しない。自殺は自分の犯した罪からの逃亡でしかないのだ。自分が本当に悪い事をしたと思うのであれば、生きて一生をかけて償わなければならないのだ。


「被害者家族について聞かせて貰えますか?」


 お茶を飲んで気持ちを切り替えた鯵沢が、山梨へ来た本来の目的である核心の話を振った。


「先生ですか……。やはりけては通れませんね」


 やはり意図的に避けていたのか。新井は一段と顔を引き締めて話し始めた。


「先生とは今でも毎年最低一度はお目にかかっています。時間が許せば優子さんの命日にお宅に伺いお参りをさせて頂いているのです」


 立派だ。次から次に起こる事件に忙殺ぼうさつされるのがほとんどの警察官の中にあって、過去の事件の被害者家族に対して、毎年お参りの時間をくとは思っていても出来ない事だ。それだけ新井にとっては思い入れがあった事件だという証拠かもしれない。


「今年も伺ったのですが、お会いする事は出来ませんでした」

「それは……」


 まさか行方をくらましたという事か。


「お墓の方へ伺いますと、朝早くに夫婦揃ってお墓参りに訪れていたとご住職が仰っておりました。どうやら私とは行き違いになってしまったようでした」


 行方不明になったわけではなかったか。


「確か命日は?」鯵沢が確認した。

「十月十四日です」


 金沢の監禁期間の二・三週間前だ。


「それ以来お会いは?」

「していません。ちなみに昨日そちらからお電話を頂いた後と今朝、連絡を取ろうとご自宅と携帯電話の方へお電話をしてみたのですが、いずれも留守番電話に切り替わってしまいました。お声をお聞きしたいとメッセージを残してきましたが、今もってお返事はございません」


 嫌な予感しかしなかった。


「福丸さんはずっとこちらにお住まいなのですか?」

「はい。優子さんが亡くなられた後、学校は数校転勤になられましたし、役職も副校長・校長と変わりましたが、教職は続けておりました。そして五年前に定年になられた後は、南アルプス市の教育委員会で非常勤で働いていらっしゃいました」

「それは今も?」

「それが、連絡がつかないので調べてみましたら、どうやら三ヵ月前に仕事はお辞めになっておりました」

「理由はお聞きになりましたか?」

「一身上の都合だそうです」


 一身上の都合とは……、私には一つの事象しか頭に浮かんでこなかった。


「後これもお話ししておかなければならないのですが、優子さんの母親の頼子さんは、看護師をしておりました」


 脳天を叩かれたような気がした。これではますます福丸夫妻の容疑が濃くなってしまったではないか。


「ただ現在はしておりません。看護師の仕事は優子さんが亡くなった直後に辞めてしまっています。一人娘を亡くされたショックで仕事へ行けなくなってしまったのです。ですから看護師をしていたからといって事件とは……」

「分かっています」

 鯵沢が椅子から立ち上がった。

「福丸家の場所を教えて下さい」

「私がお連れしましょう。私も是非お話をお伺いしたい。もし福丸夫妻がそちらの事件に関与していたのであれば、ずっとお付き合いのあった私にも責任の一端いったんがあります。そちらの捜査のお邪魔はいたしませんからお供させて下さい」


 そんな責任は新井にはないと思うが、新井の気持ちは分からなくもなかった。


「いいでしょう。一緒に行きましょう」


 鯵沢にも新井の気持ちが通じたようだ。


 それから、私たち三人は警察署を出て福丸家へと向かった。


 福丸家は警察署から車で十分ほどの場所にあった。竹垣に囲まれた茶色い二階建ての家は、雨戸が全て閉じられていた。


 私たち三人は互いに顔を見合わせた。


 家には人が住んでいない事は容易に想像出来た。それでも新井はインターフォンのボタンを押した。


 案の定反応はなかった。


 すると新井はスマホを取り出し、電話帳から福丸家を見つけ出し発信ボタンを押した。


 耳を澄ますと、家の中からかすかに呼び出し音がれ聞こえてきた。


「留守番電話に切り替わりました」


 新井は連絡をして欲しいと言うメッセージを残して、電話を切った。続けて携帯電話にもかけてみたが、結果は同じだった。


「どこへ消えてしまったのかな……」


 消えたと言った言葉に、刑事としての新井の本音が出たと思った。多分、鯵沢も同じ意見なのだろう。


「ご近所に聞き込みをしてみましょう。都会と違ってこの辺りは近所付き合いが濃いですから、何か聞いているかもしれません」


 新井はそう言うと、右隣の家へと歩いて行った。私と鯵沢も続いて行った。


 お隣は在宅していて、人の良さそうな六十過ぎの女性が応対してくれた。


 女性は木島と言い、突然の警察の訪問に驚いて警戒の表情を浮かべた。しかし新井が福丸優子の事件を担当した刑事だと自己紹介して、福丸家と連絡が取れないので心配して訪ねて来たのだと告げると、その警戒は解かれた。そして福丸夫妻について知っている事を饒舌じょうぜつに話して聞かせてくれた。


「福丸さんとこ、先月急に引っ越して行かれたのよ。三十年以上のお付き合いがあったから驚いちゃったわよ、ホントに。私思うのよ、あの家にずっと暮らしている事が実はつらかったんじゃないかって。奥さん、優子ちゃんの事件が起こった後に私に言ったのよ『優子の思い出がたくさんまったこの家にいるのは辛いけど離れられない』って。先生の方も転勤になった学校まで二時間以上かかった時もあったのに、そんな時だってこの家から通っていたのよ。優子ちゃんの部屋は今も手つかずで、亡くなる前のそのままにしていてね。そばで見ているこっちまで居たたまれない気持ちにさせられたものよ。亡くなった子供の事をいつまでも忘れられない親の気持ちは分からないでもないけれど、いつまでも亡くなってしまった子供の事を思って生きていくのもねぇ。そのせいだろうけど、二人とも元気がなくなって随分ずいぶんと老け込んでしまったのよ。奥さんと私の歳はあまり変わらないのに、めっきりやつれて白髪も増えてしまって、私よりとうは老けて見えていたんじゃないかしらね。奥さん、若い頃はキレイな人だったのよ。まあね、少し家を離れて、それで傷がえればいいんだけれどもねぇ」


 木島は私たちに口をはさませるすきを与える事なく話し続けて、やっと一息ついた。


「突然越して行かれたのですね?」木島の話が再開する前に新井が尋ねた。

「そうよ。私のところへ挨拶に来たのが引っ越しの前日だったのよ」

「正確にはいつですか?」鯵沢が新井にばかり任せていられないと、前に出て来て尋ねた。

「いつだったかしらねぇ……。先月の……、えーと、中頃……。それは間違いないのよ」

「十四日が優子さんの命日で、私こちらに訪ねて来たのですが、その時はいらっしゃらなくて」

「十四日……。そうそう、それなら十二日だわ」

 木島は一つ手を叩いて思い出してくれた。

「十二日十二日、私が『優子ちゃんの命日が近いのにいいの?』って聞いたら、『明後日の命日の日にはお墓参りにちゃんと戻って来るから』って言っていたもの」

「どうして引っ越すのかを具体的に理由はおっしゃっていなかったですか?」

「具体的じゃなかったけれど、やる事が見つかったって言っていたわ」


 私はそのやる事を想像して固唾かたずを飲んだ。


「やる事とは何です?」鯵沢が思わず木島に詰め寄った。

「何、近い」その勢いに、木島は驚きひるんだ。

「やる事とは何かを聞いているんです」鯵沢の顔が木島の鼻先まで迫った。

「分からないわよ。ちょっと、あなた本当に警察の人? 顔怖いんだけど」


 それを言ったら可哀想。 


 木島は鯵沢に対してあからさまな嫌悪感を示した。


「俺は刑事だ。この顔は生まれつきだ」鯵沢の唾が木島の顔にかかった。


 おかげで木島の嫌悪感が倍増した。


「良く分かります。慣れないとこの顔怖いですものねぇ。私も最近やっと慣れてきたところなんです」


「オメエまで言うか」

「まあまあ」くだらない言い争いをしている時ではない。


 新井が鯵沢の背中をポンッと一つ叩いてなだめた。


 鯵沢も大人げないと気付いてくれたのか、不承不承ふしょうぶしょう退しりぞいてくれた。が、顔はまだ不満顔だった。後で八つ当たりされるのだろうと思ったが、今は木島の話の続きを聞く事が最重要事項だ。


「えーと、何でしたっけ……。そう、やる事だ。福丸さんはやる事が見つかったって仰っていたんですね?」

「そうよ」

「それは先生の方? それとも」

「奥さんに決まっているじゃない。私が話をするのは奥さんの方だもの。先生とは挨拶程度」

「そうですか。それで具体的にそのやる事が何か言っていましたか?」

「いいえ。私も気になったから聞いてみたのよ。でもね、教えて貰えなかったのよ。水くさいと思わない?」

「そうですね。で、その時の奥さんの様子はどんな感じでしたでしょうか?」

「感じ?」


 木島は質問の意図いとが分からないようだった。


「嬉しそうとか、悲しそうとか、あるじゃないですか。何か感じませんでしたか?」

「そうねぇ……」木島は下唇に右手の人差し指をさすりながらしばらく考えた。

「何でもいいんです。漠然ばくぜんと思った事でも」


 人が感じる第六感的印象があなどれない事は、七年の警察官人生でも幾度となく体感していた。


「あっ」


 やはり何かは感じていてくれたようだ。


「何でしょう?」

「ただちょっとアレッて思ったのよね」

「ええ、どうアレッと思ったんでしょうか?」


 じっくりと答えを待った。あせらすのは禁物だ。


「何となくの印象よ」

「それで結構です」

「生気がよみがえったと言ったら大袈裟おおげさかもしれないけれど、目に力を感じたのよ。そう見えたのはやる事が見つかったからなんだろうけど……。まあ、元気になる事は良い事だから心配しなくてもいいんだろうけどね。ねっ、そうでしょう、刑事さん」木島は私と新井に同意を求めた。

「そうですね」


 私が答え、新井はうなずいた。鯵沢は蚊帳かやの外だ。


 優子の母親が言っていたやる事とは何なのか。今まで分かった事をつなぎ合わせると、おのずと一つの結論へみちびかれる。福丸夫妻は娘の優子の復讐の為に姿を消し、そして金沢への制裁を加えたのだと。


 蚊帳の外の鯵沢も考えは同じだろう。


「ちなみに福丸夫妻の引っ越した先の住所は御存じありませんよね?」駄目もとで聞いてみた。


 復讐する為に姿を消したのだとしたら、引っ越し先を教えて行く筈はないだろう。答えは見えている。


「ええ、知っていますよ」


 えっ! 知っているの! 意外な返答に驚いた。


「知っているんですか」新井も驚いたようだ。

「当たり前じゃない。だって刑事さんたちみたいに引っ越し先を知らない人が訪ねて来た時や荷物が届いた時に、新しい住所が分からないじゃ困るじゃない。東京じゃそういう事を教えないのかもしれないけど、このあたりはね、そういうところはキチンとしているのよ。ましてや先生のお宅だもの、ちゃんと教えていってくれたわよ」木島は、私たちが驚いているので怪訝けげんな顔をした。


 どういう事だ? 隣の住人に引っ越し先を教えていったという事は、優子の復讐の為ではなく、ただ単に引っ越しをしたという事なのか? 分からなくなってきた。


「どこへ引っ越したのですか?」

「厚木。神奈川県の」


 厚木へは行った事はなかったが、東名高速道路の海老名サービスエリアの先のインターチェンジがあるところだとは知っていた。私の家からだと、車で三・四十分ほどで行ける筈だ。


「どうして厚木なんでしょう? 親戚の方でもいるのでしょうか?」

「さあ、それは聞いていないわね」


 話はそれで終わった。最後に木島に厚木の住所を教えて貰い、辞去じきょした。


 新井とは金沢と堂本についてさらに調査して貰えるとの約束を交わして別れた。


 それから私と鯵沢は、福丸夫妻に会いに行く為、厚木に向かい車を走らせた。時間は十二時十七分。順調にいけば二時頃には厚木に到着するだろう。

  


 


 

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