第11話 母の仇

 翌朝の七時。私は鯵沢を愛車ラパンに乗せて山梨へと向かった。渋滞に捕まらなければ二時間弱の道のりだ。


 電車で行く事も検討したのだが、山梨ではあちこちに移動しなければならないと予想されたので、車で行く事にしたのだった。


 軽自動車の車内は狭くて窮屈きゅうくつだと、乗車してからずっと文句を言っていた鯵沢は、中央高速道路調布インターを過ぎた頃には後部座席でイビキをかいて眠ってしまった。


 私はひそかに進行し始めた、お母さんの人生を狂わせた奴に対する復讐計画に思いをせた。


 春山新一を見つける事が出来たのはまったくの偶然だった。


 今から一年前の事だった。私は上野西警察署の少年課に在籍していた。


 その日、私は生活安全課の手伝いに駆り出され、押収した裏DVDの内容を確認する作業をさせられていた。普通そのような仕事は私のような若い女の警察官にはさせないものだ。そうなったのは生活安全課の四十歳独身の門奈の嫌がらせだった。その門奈は私の事を気に入ったようで、何度もしつこく口説いてきたのだが、数日前に『あなたには興味がないからいい加減に諦めてくれ』と最終通告をしたのだった。それがどうやら門奈のプライドを傷付けてしまったらしい。


 門奈は私にそのような仕事をさせれば、私が恥ずかしがって泣きを入れると思っていたらしいようだ。しかし、私はそんなにやわではない。平気な顔をしてDVDを見続けてやった。


 その数およそ三百枚。ただしDVDの中身を全て見る必要はなくて、早回しで見て、要所要所で映ってはいけないものが映っているのを確認すればいいのである。


 それでもそのドギツサに、二時間も見続けていると気持ちがえてウンザリしてしまった。


 DVDに収録されていたのは男女のSEXシーンだけではなく、女を縄で縛り上げ痛めつけるものや、動物とまぐわらせるものや、排泄物はいせつぶつを出させそれを口に含ませるものまであった。


 私はこんなグロテスクなものを作った製作者や、それを見て喜んでいる男たちを心の底から軽蔑けいべつした。


 DVDも残り少なくなった時、その作品に出合った。タイトルは【ハメられた女子高生】、これまで見てきた作品の中ではおとなしめなタイトルだった。


 プレイヤーにDVDを入れてスタートボタンを押した。DVDのわりに画像が荒く見づらかった。隣の席で同じ作業をしていた川島という五十代のベテラン刑事に聞くと、これはビデオテープ時代に制作された作品のコピー商品で、元のテープが劣化しているのだと教えてくれた。


 なぜそういう気持ちになったのか分からないが、私はその作品を早送りせずに見る事にした。


 ホテルらしき部屋のベッドに眠らされている二人の女の子を、複数の男たちが凌辱りょうじょくするドキュメンタリータッチの作品のようだった。


「上手くいったな」

「おう」


 ヒッヒッとゲスな笑い声を交えた二人の男の声が聞こえた。カメラがその声の方へ向けると、すかさず手が伸びてさえぎられた。


「撮るんじゃねえよ。こっちにカメラ向けるなって言っただろッ」

「すみません」カメラマンが謝った。

「女撮れ女」謝られた男がカメラの先を掴み、女たちにカメラを向けた。

「乱暴にすると壊れちゃいますよ。借り物なんですから頼みますよ」


 カメラマンは敬語を使った。どうやらこの場では立場が下のようだ。


「いいから女映せ、顔アップな」


 その言葉を受けたカメラマンは右に寝ている女の子の顔を映した。


 その女の子は十五・六歳くらいに見えた。もしこの女の子が十五歳だとしたら、それだけでこのDVDは違法だし、それ以上の悪質な犯罪の証拠にもなる。しかしそれを証明する為には、この女の子を見つけて告発して貰い、犯罪が行われた事を立証しなければならない。現実的にはそれは難しい話だ。


「カワイイ」

「ヒットヒット」

「薬効かせ過ぎたんじゃないか」

「いいから眠っている間にヤッちまおう」

「ヨダレが出てるぞ、このスケベが」


 下品な声と笑いが漏れ聞こえた。


「脱がせ脱がせ」


 一人の男がそう言うと、もう一人の男が女の子の上着に手をかけてボタンを外し始めた。


 私はゲンナリして倍速ボタンを押した。女の子の服が早回しで脱がされていき下着姿にされると、今度は隣で眠っていた女の子の方へカメラが向けられ、その女の子の顔がアップになった。


”ハッ!”


 私は自分の目を疑った。慌てて一時停止ボタンを押した。そして女の子の顔をマジマジと見つめた。


 太くてキリリとしたまゆ。天然の長いまつ毛。目を閉じていて分かりづらいが吊り上がり気味の目尻。丸みをおびた鼻。薄いくちびるとがったあご……。間違いない、この女の子は私のお母さんだ。


「何こんなところで止めているんだ。ちゃんと仕事しろ」


 いつの間にか背後に門奈が来ていて、私の手からリモコンをもぎ取り再生ボタンを押した。


 映像が動き出し、男がお母さんのシャツのボタンを外しにかかった。私は画面から目をそむけ、背後の門奈をにらみ付けてリモコンを奪い返した。


「しています。門奈さんこそこんなところで油売っていないで仕事したらどうですか」

「お前な」

「何ですか。まだ見なくてはならないDVDがたくさんあるので邪魔しないで下さい」


 門奈は私の気迫に押されてブツブツ言いながら離れて行った。その間にも映像は進んでいて、お母さんは下着姿にさせられていた。


 この続きを見る事は仕事であろうが私には出来ない。私は停止ボタンを押して、プレイヤーからDVDを取り出して、誰にも気付かれないようにバッグにしまった。


 ドキドキが止まらなかった。


 なぜこんなものがここにあるのだ? 事件が明るみになった時に警察が証拠品として、犯人宅からこの映像を押収していたのではないのか? どうしてだ? 警察関係者が証拠保管庫から盗んだのか? それとも犯人の誰かが押収される前にコピーを取っていて隠していたのか?


 考えても二十七年前の出来事を権限のない私が捜査する事は不可能だろう。


 それならば、誰がこのDVDを作ったかを調べてみるしかない。しかしこのDVDの事を生活安全課の刑事や、留置場に留置されているビデオショップの店長に聞くわけにはいかない。


 他に方法は? ……この手の作品に詳しい人間に聞けば何か分かるかもしれない。しかし残念ながら私にはその伝手つてがなかった。そうなると伝手のある人間を探さなければならない。誰かいるか?


 西内真人の顔が浮かんだ。真人に伝手があるかは定かではないが、当たってみる価値はあるだろう。


 私と真人は警察学校の同期で気が合った仲だ。その真人は現在新宿の歌舞伎町のど真ん中にある交番に配属されていた。


 歌舞伎町は日本一の歓楽街である。裏DVDを取り扱っているショップがある事は公然の秘密だ。その街で交番勤務をしている真人なら、その筋の業界の事に詳しい人間を知っているかもしれないと思ったのだ。望みは薄いかもしれないが、今私が頼れるのは真人だけだった。


 二日後。真人の仕事終わりで会う約束を取り付けた。


 真人が待ち合わせの場所に指定したのは、新宿三丁目にある路地裏の喫茶店【らんぐる】だった。


 地下にあるその店の扉を開けると、それまで感じていた新宿独特の街の喧騒けんそうが嘘のような異空間が広がっていた。オレンジかかった落ち着いた照明の中にクラシック音楽がゆったりと流れている、今どき珍しい雰囲気が漂っている店だった。


 約束の時間の十分前に到着したのだが、すでに真人は席に座りコーヒーを美味しそうに飲んでいた。


「相変わらず早いわね」


 真人は遅刻を絶対にしない人間だ。こういうところが真人という人間が信用に値する所以ゆえんの一つだ。


「久し振り」


 真人は人懐っこい笑顔で私を迎えてくれた。


 警察官としては優し過ぎる真人が、歌舞伎町の交番に配属されたと聞いた時はやっていけるのかと心配したものだが、変わらない笑顔を見てそれは私の取り越し苦労だったと安心した。


 注文したミルクティーがきたところで、私は真人を呼び出した目的の事情を説明した。勿論本当の事は言わなかった。知り合いの娘が家出して、その娘が裏DVDに出演しているのが判明したので、それを制作している会社を突き止めたいのだという作り話をした。


 人の良い真人はその話を信用してくれ、自分が出来る事なら協力してくれると言ってくれた。疑いの欠片かけらも持たない真人に対して罪悪感が芽生えたが、いつかきっと恩返しをすると心に誓って、その気持ちを閉じ込めた。


「でも弱ったなぁ、歌舞伎町の交番に勤務しているからといって裏DVDの店に知り合いはいないよ」

「受け持ち区域にはその手の店はあるんでしょ?」

「あるけど、そういうところは生安課の風紀係の担当だからなぁ……」真人は困り顔をした。

「誰か知らないかな」卑怯な手だと思ったが、手を合わせておがむポーズをして懇願こんがんした。

「弱いんだよなぁ、女子にそういう事をされると」真人はウンウンうなって考えてくれた。


 私の心はズキズキと痛んだ。


「どうするかなぁ……。一人心当たりがないわけじゃないんだけど」

「ホント、ありがとう」

「御礼を言うのはまだ早いよ。そいつがその情報を手に入れられるかどうかは分からないからね」

「どんな人?」

「それが、調子がいい奴なんだ。だからあんまり紹介はしたくないんだけど」

「いいわよ。会うだけでも会わせて」

「うん、分かった」

「何している人?」

「風俗案内所って知っている?」


 知っていた。色々な風俗店の情報を客に提供している場所だ。真面目な真人がそんな店に出入りしていたとは意外だった。


「真人も普通の男だったんだね」

「えー、違う違う。勘違いしないでよ。そいつとは客として知り合ったわけじゃないよ」真人はドキマキして必死に否定した。

「いいからいいから」

「本当に違うんだって。そいつは刀根とねって男なんだけど、少し前にパトロールの途中でヤクザにボコボコにされているところにたまたま遭遇して、助けてやった事があったんだ。だから店で知り合ったわけじゃないんだ」


 真人は必死に言い訳したが信じられなかった。なぜなら真人は格闘技が苦手で、私と柔道の試合をしても一度も勝った事がないのだ。


「制服を着た警察官には余程の事がない限り、今時のヤクザは刃向かって来ないものだよ。だからこんな僕でも助けられたんだ。その事で刀根は僕に恩義を感じてくれるようになって、それから色々な事を教えてくれるようになったんだ」


 そういう経緯いきさつがあったのならと、私の誤解を解いてあげた。


「じゃあその刀根って人が真人の情報屋になったんだ」


 警察官の中には情報屋を持っている者がいるが、そういう人は刑事になってから十年以上経つ者ばかりだ。真人のような交番勤務の若い警察官に情報屋がいるなどという話は聞いた事がない。


「そんな立派なものじゃないよ。情報っていっても、あそこの自動販売機に麻薬が隠してあるらしいとか、最近出来た飲み屋がぼったくりの店だとか、聞かなくてもいずれ耳の入る事ばかりなんだから」

「ぼったくりは兎に角、麻薬の方は凄い情報じゃない」

「凄くない凄くない。探しに行った時には結局なかったんだから」

「ガセつかまされたの?」

「かどうかは分からないけど、その程度の情報だって事。だからそんな奴でもよければ紹介するよ」


 何の伝手もない私にとっては、そんな男でも会ってみる価値はある。


「いいわ。お願い、紹介して」

「分かった。でもああいう奴の言う事は百パーセント信用しちゃ駄目だからね。それだけは頭に入れておきなよ」真人はキャラにない頼もしい事を言った。


 真人は警察官として確実に成長していると感心した。


 その足で、真人は私を刀根のところへ連れて行ってくれた。


 歌舞伎町一番街を入って直ぐのところにあるその店には、ド派手なネオンで【歌舞伎町風俗案内所】と書かれた看板がかかげられていた。


 案内所から少し離れた路地で待っていると、真人が二十歳そこそこの見るからにチャラそうな男を連れて来た。男はカレーうどんは絶対食べられない真っ白なスーツを着ていて、耳にはキラキラ光ったピアス、首と手首にはそれぞれ金色のネックレスとブレスレットをしていた。


 一目見て、こいつ苦手という文字が頭の中にデカデカと浮かんだ。


「刀根」真人が刀根の肩を叩いて紹介した。

「ちっす」

 刀根はその風貌を裏切る事なくチャラい挨拶を寄越した。

「アニキ、彼女っすか?」

 刀根は真人の事を自然にアニキと呼んだ。

「その言い方よせって言っただろ」

「他にどんな呼び方があるんすか?」

「西内さんとか真人さん」

「そんな他人行儀な呼び方俺イヤっすよ」

「お前な」

「まあまあ、そんな事より彼女紹介して下さいよ」

 刀根は私にニコッと笑顔を向けた。前歯が一本欠けているのが見えた。

「そんな軽口叩いているとみぞおちに正拳突きされるぞ。こう見えてこの人は空手の有段者なんだからな」

 

 真人は私の名前を紹介する前に、私が怖い女であると警告してくれた。


「マジっすか」

「口のきき方さえ間違わなければ手は出さないから安心して」


 この手の人間には最初が肝心かんじんだ。なめられたら負けである。


「警察学校で同期だった諸星凛さん」

「よろしく」私は手を出して刀根に握手を求めた。

「ああ、よろしくっす」


 握手してきた刀根の手を強く握りしめてやった。


「痛ッ」刀根は手を離し、一歩後退した。


 怒らすとマズい相手であると駄目押ししてやったところで、刀根に真人にした話と同じ話をした。


「了解っす。その女を俺に探せっていうんですね」

「女を探すんじゃなくて、DVDを作った制作会社の方を見つけて欲しいの」

「制作会社っすね。なるへそ」


 こいつ、まだなめていやがる。にらみ付けてやったが、刀根はそんな視線に気付かずに話を続けてきた。


「俺はアレっすけど、そっちの方面に詳しい人間は何人か知っているっす」


 そういう事なら睨むのは止めてやる。


「じゃあその人たちに聞いてみてくれない」

「勿論聞くのはいいっすけど……」刀根は何か言いにくそうにして真人の方を見た。

「何? 言って?」

「あー……、あの、俺はアニキの頼みっすからボランティアでやるっすけど、聞きに行く奴らはそういうわけにはいかないんじゃないかと……」

「ああ、お金?」

「俺はいらないっすよ、俺はね、マジっす」刀根は両手を振って否定した。


 こいつ、見た目ほど悪い奴ではなさそうだ。


「いくら必要?」


 刀根は真人に顔を向け、うかがった。


「いいから言えよ」


 その言葉に勇気を貰った刀根は、指を一本立てた。


「これで」

「その指の後ろにはゼロがいくつ付くの?」


 刀根は指をゆっくり折りながら数えた。


「五つっす」

「十万円ね。いいわ」


 それくらいの出費は覚悟していた。


「もし情報が得られなくてもお金は戻ってこないかもしれないっすけど、それでもいいっすか」

「いいわ」


 それくらいのリスクはわなければならない。


「その代わりいい加減な仕事はしないでよ」

「最大限の努力をするっす」いい返事をした。


 その返事を聞いて、この男は案外信用出来るのかもしれないと思った。


 刀根は探している女の写真を求めてきたので、私はアルバムからがしてきたお母さんの高校生の頃の写真を渡した。その際、写真は絶対に返却するようにと念を押した。


 刀根は一週間時間をくれと言った。お互いの連絡先を交換し合い、お金を渡してこの日は別れた。


 刀根から連絡があったのは、約束の一週間より早い五日目の事だった。会う場所は喫茶店【らんぐる】を指定した。


 刀根は約束の時間より三十分遅く現れた。この日の刀根は、人気にんきのないホストが着ているような紫のスーツに鰐皮わにがわのセカンドバッグという格好だった。


 なんというセンスだ。この店で待ち合わせたのは失敗だったと後悔した。


 刀根は店内の客とウエイトレスがざわつく中、笑顔を見せて私の方へと近付いて来た。私は直感で十万円が無駄になったかなと思った。


 刀根は席に着くなりメニューも見ずにクリームソーダを注文した。


「こんな店新宿にあったんすね、知らなかったっす」


 刀根と世間話をするつもりはない。調査した結果を早く知りたかった。


「どうだった? 分かったの?」

「早速っすか。せっかちっすね」


 殴りたい。この話し方、どうにかならないのか。


「お互いいそしい身でしょ」

「俺はそうでもないっすよ」

「私が忙しいの。収穫しゅうかくがなかったらないでいいから早くそう言ってちょうだい。私はあなたとここで恋人同士のようにダラダラと語り合う気はないんだから」

「そうっすか。じゃあ、忘れないうちにこれを返しておきます」刀根は貸していたお母さんの写真をテーブルの上に置いた。

「やっぱり収穫はなかったのね」覚悟はしていたが、がっかりして写真をしまった。

「そんな事言っていないじゃないっすか」

「はあ」

「もうー、早とちりっすね」

「それじゃ分かったの?」

「いやー、分かったというか……。どうなんすかね」刀根はヘラヘラと薄笑いを浮かべた。


 こいつ、凄くイラつく。


「ヘラヘラしているんじゃないわよ。私を怒らせたら怖いって真人が言っていたでしょう?あれホントだからね」と言いながら、拳を握り締めてテーブルの上にそっと置いた。

「分かったっすよ。言うっすよ」

「結論から言いなさい」

「はい。その写真の女のDVDを制作していた会社は分かりませんでした」


 やっぱり。こんな奴に頼ったのが間違いだった。時間を無駄にしてしまった。


 私は立ち上がり財布を出した。


「どこ行くんすか? 話はまだ終わってないっすよ。最後まで聞いて下さいよ、せっかちなんすから、もう~」

「そうよ、せっかちなの。だから話の続きがあるのなら早く言いなさい」

「お待たせしました」間の悪いウエイトレスがクリームソーダを持って来た。


 ウエイトレスが私の事をいぶかに見ているので、私はしょうがなく再び腰を下ろした。


 刀根はそんな私をしり目に、クリームソーダのアイスにスプーンを差し込もうとしていた。


「飲むのは話が済んでから」グラスを手元に引いてやった。

「そんなぁ、アイス溶けちゃうっすよ」

「だったら溶ける前に話して」

「分かったっす。あれ、どこまで話したっけ?」


 こいつは人をイラつかせる天才か。


「ほとんど何も話していないわよ。写真の女の子の事は分からなかったのよね」

「そう、そうっす。だけどDVDの内容の女子高生がホテルに連れ込まれて眠らされてレイプされるウッ」


 私はあせって刀根の口をふさいだ。


「シッ、大きな声出さないで。レイプについて話をしているなんて思われたくないんだから」声を潜めて注意して、手を離した。


 そしててのひらに付いた刀根のつばをおしぼりで拭き取った。


「ああ、そうすっね。じゃあ、声を落として」

 刀根はテーブルの上に体を乗り出して、顔を近付けて来た。

「えーと、で、そのDVDと同じシチュエーションのビデオを見た事ある奴がいたんです」

「ビデオ?」

「ビデオテープの時代だそうです。二十世紀にあったでしょ?」


 そう言われると随分ずいぶん昔のように思えるが、十九年前の事だ。私が小学生の頃はまだVHSのビデオテープが全盛だった。あのDVDもビデオテープからのダビングだという事は分かっているので、興味のある話だ。


「教えてくれたのは六十過ぎのハゲたジッさんすから」


 ハゲていようがジイさんだろうがどうでもいい。早く続きを教えろ。


「そのビデオの制作会社の名前は分かったの?」

「分かったっす。そのジイさんに書いて貰ったっす」刀根はセカンドバッグから新聞の切れ端を出してきて差し出した。


 切れ端には油性ペンで汚い文字が走り書きされていた。


「何て書いてあるの?」

「【ニューワン映像】っす。会社の名前っす。業界では古い会社らしいっすよ。し、し、し」

老舗しにせ

「それっす。あとこれ」セカンドバッグからドギツイパッケージのDVDを取り出してテーブルの上に無造作に置いた。

「ちょっと、こんなもんここに置かないでよ」素早くテーブルの下に隠した。


 こいつは学習能力がないのか。


 周囲に気付かれないようにパッケージを見た。【けがされた女子高生・鬼畜レイプ】というタイトルと破かれたセーラー服を着た半裸の少女が、縄で縛られている写真がせられていた。


「ビデオがなかったんで参考までにその会社が制作しているDVDを買って来たんす。その会社、レイプものが得意みたいっすね」


 そんなものを制作して得意がっている会社などロクなもんじゃない。虫酸むしずが走る。


「まだあるの、この会社?」

「あるっす」

「これって裏もの?」


 私の見た裏DVDはこんなちゃんとしたパッケージには収まっておらず、市販のプラスチックケースにタイトルだけが書かれてあるものだった。


「表ものっす。この会社は一応正規の会社みたいすから」

「正規品か、だったらハズレかもね」

「そうっすかね。正規の会社からだって裏ものは出てるっすよ」

「そうなの?」

「アネさん、警察官なのに知らないんすか?」


 アネさんて、このお調子者が。でも注意していると面倒なので、今はスルーしておいてやる。


「私は少年課なの。知らないから教えて」

「いいっすよ。一番多いのは盗まれるってパターンす。会社とめてクビになった奴が腹いせに修正前のマスターテープからコピーして、それを裏の業者に売るんすよ」

「へえ」


 ありそうな話だ。


「もっと悪質なのは、盗まれてもいないのに会社が盗難届を警察に提出して、自分たちで裏の業者に流してもうけるってパターンもあるそうっすよ」

「そうか、それだと警察に摘発されても盗まれたものだとシラを切れるものね」

「そうっす、セコイっすよねやる事が」


 だとすると、この【ニューワン映像】という会社を調べてみる価値はありそうだ。


「あのー」

「何、まだ何かあるの?」

「いいっすか、それ」刀根は遠慮気味に私の元にあったクリームソーダを指した。

「あっ、いいわ」


 良く調べてくれた。これくらいのご褒美ほうびをあげても全然いい。


「好きなだけ食べなさい」刀根の元へとクリームソーダを返してやった。


 刀根はお預けを解かれた子犬のように、ソーダを飲みアイスを美味しそうに頬張ほおばった。


 私はそんな刀根を無視して、スマホで【ニューワン映像】について検索をかけた。すると会社のホームページが直ぐにヒットした。1997年設立、代表者・夏川新一とあった。

 

 夏川新一。私はこの男がお母さんの人生を狂わせた男の一人でカメラを担当していた、春山新一の事だと確信した。春じゃなくて夏、山じゃなくて川、単純な偽名作成のパターンだ。そして新一を英訳すればニューワンだ。おそらく本名の春山新一だと過去の犯罪歴が露見ろけんして、仕事や普段の生活に支障をきたすとの考えから改名したのだろう。


 とうとう見つけた。思わず笑顔がこぼれた。


「アネさん、そんなに喜んでくれて俺嬉しいっす。でもAVのDVDを隠し持ってニタニタしている姿は気色悪いっすよ」


 こいつ、気安い口をきいてきやがって。ドンドン垣根かきねを低くしてきやがる。


「うるさい。黙ってそれ飲んでなさい」


 刀根は肩をすぼめて可愛い子ぶり、クリームソーダに口を戻した。


 刀根の仕事に対しては抱き締めてキスしてあげてもいいくらいの成果があった。ただそんな事を実際にしてやるのは無理なので、ご褒美ほうびに一万円を渡してやりお別れした。


 春山が設立した会社の設立が1997年という事は、春山が刑務所を出所してから間がない頃だろう。春山はあんな事件を起こしておいて、出所早々AVの制作会社を設立するとは。事件について何一つ反省していない証拠だ。


 私の怒りに新たな火が点いた。


 【ニューワン映像】は、墨田区両国三丁目の京葉道路沿いの古い雑居ビルの三階にあった。


 私は仕事終わりと休日を利用して、【ニューワン映像】と春山新一について出来るだけ詳しく調査した。


 【ニューワン映像】の従業員の正確な人数は分からなかったが、社長の春山を含めた社員数人とアルバイトで成り立っている小さな会社だった。設立から数年は業績を伸ばしたようだが、ここ数年は業績はジリ貧状態で、年に数十本の汚れた作品を制作していた。


 春山新一は社長業の他に【無茶小路突き麻呂】名義で監督兼男優をしている事も判明した。その作品を手に入れて見たが、やはりジャンルはレイプもので、女優を襲う春山のおぞましく醜悪しゅうあくな顔が私の中の怒りの炎を大きくさせた。


 春山の住んでいる家も尾行して突き止めた。場所は両国からほど近い都営新宿線森下駅から徒歩五分のマンションの六階にあった。1LDKの部屋で一人暮らしをしていたが、時折不特定の女を家に連れ帰って泊まらせていた。


 調べれば調べるほど、私は春山を許せなくなっていった。そして私は警察官としての一線を越える決心をした。


 ずは金物屋の正樹に教わったピッキングの技術を使って、春山の会社と自宅に忍び込み、お母さんが映ったマスタービデオテープを回収する事にした。


 会社には警備システムが備わっていたので侵入するのは難しかったが、自宅の方は簡単に侵入する事が出来た。

 

 春山の住むマンションの入り口にはオートロックはなく、築年数が経過している部屋の玄関ドアの鍵は古いタイプの鍵だった。だから私の未熟なピッキングの技術でも簡単に開錠する事が出来た。


 

 仕事終わりに春山が自宅にいない事を確認して部屋に侵入して、目当てのビデオテープを捜索した。


 寝室の棚にはたくさんのAVのVHSビデオやDVDが収められていたが、目当てのビデオテープはその中にはなかった。他にもクローゼット。冷蔵庫。本棚の本の裏。ベッドの下。靴箱。トイレの水タンクの中などあらゆる場所を捜索したが、ビデオテープは見つけられなかった。


 ただしデスクトップのパソコンと金庫の中は調べられずにいた。パソコンのパスワードと金庫の暗証番号が分からなかったからだった。


 そこで、パソコンのパスワードと金庫の暗証番号を知る為に、秋葉原で盗聴器と盗撮カメラを手に入れた。そして再び春山の部屋へ侵入して、盗聴器と盗撮カメラをパソコンと金庫が見える位置に複数仕掛けた。


 それから一週間。有給休暇を取得して、買ったばかりの愛車ラパンをマンション近くの駐車場に駐車させて、二十四時間体制で監視を続けた。


 そのおかげで、四日後にパソコンのパスワードが判明して、六日後には金庫の暗証番号も判明した。


 翌日、部屋へ侵入して金庫を開けると、中にタイトルに数字だけが書かれたVHSのビデオテープが三本とDVDが五枚、現金三百万円、印鑑、各種の契約書、そして少量のマリファナと覚醒剤と注射器が一緒に隠してあるのを見つける事が出来た。。


 ビデオテープを部屋にあったビデオデッキで再生すると、二本目のビデオテープに女子高校生時代のお母さんが映し出された。


 他のビデオテープやDVDにも作り物でない女の子のレイプ画像が録画されていた。


 次にパソコンのフォルダーも確認すると、そこにも女の子への犯罪映像が残されていた。


 私はパソコンと録画物と現金三百万を持ち出して車に入れた。


 しかしそれだけではこの日の私の怒りを鎮める事は出来なかった。


 私は再び部屋へ戻り、電気ブレーカーを落とた。用意していた黒い毛糸の目出し帽をかぶり、皮手袋をはめた。そして玄関とリビングの間にあるトイレの中に身をひそめた。ドアを少し開けて、春山が帰宅するのを待った。


 それから一時間後。私の目が暗がりにすっかり慣れた頃、春山が一人で帰宅して来た。


 春山は玄関で電気のスイッチをパチパチやっているようだったが、当然灯りは点かなかった。すると春山はブツブツ言いながらスマホのライトを頼りに廊下を進んで来た。私は耳に全神経を集中させた。そして春山がトイレの前に差し掛かるタイミングを見計らい、ドアを力一杯押し開けた。


”ドスンッ” 春山が尻餅をついた。


 私は間髪入れずに廊下に飛び出し、春山の顔面目掛けて怒りの拳を放った。


 鈍い音と共に春山がうめいた。


 私は続けざまに膝蹴ひざげりをアゴに炸裂さくれつさせ、さらに前蹴りを腹に放ち、後は拳で体中を滅多打ちにした。


 春山は、予期せぬ突然の襲撃に反撃する事も出来なかった。ただ両手で顔を守り、体を丸めて防御ぼうぎょするのが精一杯だった。


 やがて春山はボロキレのようになり、グッタリと倒れたまま動かなくなった。


「これで終わりだと思うなよ」私は春山に吐き捨てたが、意識が朦朧もうろうとしている春山の耳には届かなかったかもしれない。


 春山の部屋を出て帰路についた。マリファナと覚醒剤はえて残しておいた。その訳は、麻薬中毒になって廃人になればそれでもいいと思ったからだ。


 春山はこの件で警察に被害届を出さないと確信していた。違法なビデオを所持している薬物の常習者は、警察と関わり合いになりたくない筈なのだから。


 パソコンとビデオテープとDVDは再生不可能にして廃棄し、現金は犯罪被害者の団体に匿名で寄付をした。


 しかしお母さんの悪夢の根源を絶つ事が出来たとは思っていなかった。すでに拡散されてしまっていたソフトの行方を追う事は不可能であるからだ。


 春山にはこれからも苦しんで貰うつもりだ。私は引き続き春山の動向には注視する事にした。薬物中毒になる姿も見たかったし、さらなる罰もいつか加えてやるつもりでもいた。


 春山襲撃から一ヵ月。私に世田谷西警察署への転属命令が発令された。私が職務以外で何か怪しげな行動をしていると、鯵沢に伝わったのかもしれないと思った。


 鯵沢は『俺に人事を動かす力はねえよ』と言っていたが、私は信じていなかった。私の父親代わりを自負しているこのベテラン刑事は意外に顔が広いのだ。人事の誰かと懇意こんいにしていて、怪しげな行動をしている私を目の届くところに置いておく為に、人事に働きかけるくらいの事はやりかねない。


 世田谷西警察署に転属になってからは、鯵沢の目が気になり春山の動向を注視する時間がなかなか取れなくなってしまった。


 しかし春山ともう一人の名前さえ知れない少年Aの事を決して忘れたわけではなかった。

 



 



  


 


 

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