第2話 準備完了

 放課後の訪れは早かった。というのも、まだ学校が始まって間もないころであり、授業もほぼほぼガイダンスのようなものだったからだ。

 とりあえず、井ノ瀬先生はホームルーム終了後に指定の場所に先に行っていると言っていたので、僕らも少ししてから目的の場所に向かうことにした。

 わが京阪高校は俯瞰で見ると、テトリスなんかで来てくれるとありがたい、一本線の形をしている。ひたすらに、横に長く、また縦も少し高い。だから、毎回移動教室となれば、果てから果ての時もあって、大変だ。特に、体育なんかは移動がかなりめんどくさい。

 そして、そんな中に116教室は僕らの教室の反対側に、三階分の段位を下げたところにある。確か、そこらあたりは職員室からも少し離れていて、部室はなかったはずだ。

 113教室から後の教室は基本的に下足場からかけ離れていたので、その領域に入ってからはかなり静かだった。けれども、完全には静かではなく、どこか遠方からは少し甲高い掛け声が聞こえた。多分、今日からは仮入部の体験が始まるから、どこの部もいい面を見せようとしているのかもしれない。

  115と書かれたパネルを通り越して、僕らはようやく116教室にたどり着いた。

 それと同時に僕は右の肩に大きな手を乗せられ、左の袖は小さな手でぎゅっと掴まれた。

 無論、僕がどうしてこのようなことをされているのかは把握している。

 それは間違いなく扉にカウンセリングルームと書かれた紙が張り出されていたからだろう。

「片野、お前。あんな嘘つかんでも…」

 マスは同情の目を僕にあてる。

「片野、やっぱり悩んでたんだ」

 岩波はマス以上に同情する。いや、同情を通り越して、少し涙目だった。

「ち、違う。違うからな! いや、まじで悩んでたとかじゃねぇから!」

 今一度、目的の場所を思い返した。確か、116教室だったよな。うん、間違いない確かに116教室と言われたはずだ。

 とにかく、僕は再度、こいつらを静かにさせることにした。しかし、今度ばかりはそうはいかず、圧倒されてしまう。

 そうして、その状況が少し続いてから、116の扉が強く開かれた。

「騒がしいと思ったらどうしたんだ?」

 声の主は井ノ瀬先生だった。

「助かりました! 先生、こいつら色々と誤解してるみたいなんで弁解してください」

 井ノ瀬先生はどうするかなー、なんて言っていたが、その言葉とは裏腹にすぐさまうまく口を収めてくれた。

「で、お前たちはどうしたんだ?」

 お前たちというのはマスと岩波のことだろう。

「いやー、片野が部に入る言うてたんで、自分らも入ろうかなと」

 井ノ瀬先生はその言葉を聞き終えると、僕のほうを向いた。その目には説明にふさわしい形容詞が見つからなかった。

「お前はいいのか?」

 そう。目的の達成にはマスと岩波ははっきり言って、いてほしくはない。彼らがいれば、ますます僕が単純化してしまいそうだったからだ。でも、僕にははっきり言って彼らを拒む権利なんかないような気がした。それは僕自身、彼らに常に助けられているからだ。多分、僕には彼らがいなければきっと、今のような自分ではなかった気がするのだ。それはきっと悪い方向で。結局のところ、僕という形は、これが最適なのかもしれない。彼らの間にいて、そこに居心地を感じて。僕はどうしてか今の状況が間違いではないのに、どうしてか強く正当化したい衝動に駆られた。多分、これが僕のいけないところなのかもしれない。

 とにかく、僕は井ノ瀬先生の質問には答えることが難しかった。

 しばらくすると、先生は微笑み口を動かした。

「まぁ、君の気持は非常にわかるな。非常に答えにくいと思う。だから、今は目的なんて考えなくていいんじゃないのか? 確かにそれも大事だが、私があの時言ったのはあくまで極端論の一つだ。一人だと、見つけやすいというわけではない。」

 僕らのやり取りはきっとマスと岩波にはわからないだろう。だから、僕は改めて二人に向き合った。

「なぁ、僕と一緒に部に入ってくれないか?」

 淡々と薄らいだ声はいつもの僕の声とは全く似てなくて、かえってその言葉は心地のいい音に聞こえた。

 僕は今一度、二人の顔を見た。そこには二つの笑顔があった。

「決まりか。それにしても、君たちは非常に興味深い関係性があるんだな」

 井ノ瀬先生は手を叩いて、そう言った。

 そう、決まり。これも間違いではないのだ。きっと、またこの点に戻ってくるのだから。

「さて、君たちが何も聞かずに入ることになった部だが、」

 今思えば、最初から重大事項を聞くのを忘れていた。そうだ、何部に入るんだ?

「まぁ、ここに書かれている通りだな」

 先生は扉に貼られた紙に指をさした。そこにはさきほどに僕が誤解された文字。まぁ、ですよね。

「君たちには生徒運営のカウンセリングルームをやってもらう」


その言葉が告げられた後、先生は僕に一枚の紙を渡し、部室は自由に改良してくれてもかまわないと言い、手を振りながら去っていった。

とりあえず、じっとしているのはなんなので、率先して僕が先に入ることにした。

 中は光の舞踏のように、窓から差す日がステージを作っていて、また広かった。おそらく、教室二つ分のスペースはあるんじゃないのだろうか。一番後ろ側にある黒板の文字は目を凝らさないと見えない。

 しかし。

「えらく、殺風景な部屋だな」

 そこら見渡しても、物という物が全くと言っていいほど何もない。まるで、借金取り立て人が金を返さないゆえに、金目の物を全部持っていったようなそんな部屋だった。唯一あるのは、不思議と違和感のある長机と、年季の入ったパイプ椅子が二つ。

「ほんまやなぁ。こんなところで、カウンセリングなんか絶対やりたくないわ」

「こんなところでやると逆にストレス感じるよな」

 むしろ、カウンセリングどころが、刑事の取調室みたいに感じる。

「というか、なんでこんな広いんや?」

「さぁ。なんか広いと心が和らぐ心理的効果でもあるのじゃないのか」

 適当に言ったが、僕自身は密室は嫌いだ。例えば、満員電車とかな。ほんと、あんな狭い空間にあんなけ人を入れるとかほんとストレス。あっ、でも密室トリックものとか女子と二人きりの密室(願望)とかは好きだ。

「そういえば、先生が部屋を自由に改良してもいいって言ってた」

 僕の横で岩波は言った。

「確かに言ってたな。でも、改良って言ってもこれ以上付け加える要素あるか?」

 そう。別に、部屋が広い分、物があんまり置いてないから、殺風景だの、空虚だの、そう感じるだけで、よくよく考えてみれば、カウンセリングをするアイテムとしては普通に整っていると思う。むしろ、これが最新のインテリですとか言われたら、ちゃっかり信じてしまう。

 しかし、岩波とマスの顔を覗いたところ、さすがにこればかりだと不満そうだ。

 まぁ、確かにこれだけだとさすがに寂しすぎるか。

「けど、たしかにこれは少ないか。なんか入れるか」

 そういうと、マスは興奮気味に指を折り始めた。

「何やってんの?」

「いや、筋トレ器具を家から何個ぐらい持ってこよかなって思うてて」

「は? 筋トレ器具置く気か?」

「まぁ、筋トレ器具ゆうても、片野の思っとるほどでかいのやないで。ダンベルとか、腹筋ローラーとか、後、マットとか、その他小道具や」

「いや、この際筋トレ器具の大小は別にどうだっていい。お前、カウンセリング来た人が筋トレやってる人を見てどう思うよ?」

 マスははてなと首をかしげる。なに、そのわかってない顔? 

「まぁ、そんな気にせんでも大丈夫やろ。なんかやってるなぁ程度や」

「んなわけないだろ」

 なんなら、教室間違えたんじゃね、ここ松本人志の楽屋? とか思うレベルだろ。

 とにかく、僕は却下したので、マスは今考える人のポーズをしている。

 思考中。

「そや、じゃあ、真ん中をカーテンで仕切ったらどうや? それやったら、向こう側で何やってるかわからんやろ?」

「いや、シルエットでわかるだろ」

 しかも、カーテン越しとなれば、筋トレ中にきつい負荷をかける際にでる声とかが喘ぎ声に聞こえたりして、向こうで何やってんだ状態になる。

「けど、井ノ瀬先生は自由にしていいって言ってたから、いいんじゃないの?」

「言ってたけど、自由の範囲がな」

 僕が思うに、自由というのはある程度の領域がある。さすがに、校外学習とかで自由に行動していいとかいう自由じゃないからな。後、グループワークの時に、自由にしてていいよって言われたときの虚無感は半端じゃない。

「井ノ瀬先生もかなり自由な人やし、ある程度のことなら容認してくれるんとちゃうか?」

「筋トレ道具持ってくるのはある程度レベルの自由じゃない気がするけどな」

 ていうか、もうそこまでくればフリーを通り越したフリーダムだろ。

 しかし、あんまり否定しすぎるも良くないのだろうか。なにせ、僕がこいつらを誘ったわけだしな。

 という事で、考えた末。まったく答えは出なかったので、像を通さないカーテン案、+アルファ極力声を出さない案を採用することにした。

 僕がそのことを告げると、マスは勢いよく走りだし、道具を持ってくると言い残し退出していった。筋トレ狂すぎる…。

 さて、残った岩波だが。

「お前はなんか持ってきたいものとかあるのか?」

 岩波は頷く。

「私、本棚と家に置いてある大量の未読の本、ここに持ってきたい」

 頭が痛くなった。ちょっと、待て。

「まぁ、本はどうにでもなるが、本棚を持ってくるのか?」

「そう」

「でも、さすがに本棚は学校にまで運べないことはないが、持ってくるのはかなり大変だと思うぞ」

 さすがに、岩波もその点に関しては理解しているだろう。しかし、相変わらず本好きなのな。

「わかってる」

「なら」

「組み立ててればいい」

 岩波の表情には大して変化がなかったが、目には変化があった。この目を僕は知っている。なにせ、妹がいるからだ。この目はおそらく願望と依頼を要求している目だ。さすがに、このような目をされては断ることができない僕なので、しぶしぶ承諾することにした。そのうち、こいつとは言葉を交わさずともコミュニケーションを円滑に取れそうだ。


 外は朝と比べて、少し冷えていた。あたりを見渡せば、未だに冬服を着ている人がちらほらいたりして、季節の変わり目としてはまだ早いのだろうかという感覚になる。だが、日の眩しさとちらほら見られる桜の木々なんかを見ているとやっぱりもう春は来ていると感じる。そろそろこの時期となれば、冬眠していたクマと共にリア充云々の連中も力をため込んだ翼を羽ばたかせ、騒がしくなるのだろう。そろそろ、クマ除けの鈴ならず、リア充除けの鈴を販売してほしい。

 歩いていくと岩波の住宅路は学校からはそれほど遠くはなく、自転車にまたがっていくほどの距離ではなかった。

 今思えば、僕は岩波と一年近く友人として付き合ってきたが、未だに岩波の家を見たことがなかった。けど、さすがに異性となれば家に上がりこませるというのは難しいのかもしれない。特に部屋なんかは最もそうだろう。僕も、未だに部屋は家族すらも立ち入りを許していおらず、常にATフィールドを張ってるからな。あいつらいつもぶち破って入ってくるけど。

「ここが家」

 岩波が言った。

 見上げると、かなりご立派であった。だが、僕はあまり家の良さを言葉にして伝えることはできないので、これは最新技法を用いた建築ですねとかしか言えない。最新技法かどうかも知らないけど。

「じゃあ、待っとくよ」

 さすがに、僕が岩波の家に入るとご近所さんから噂になりかねないので、考慮して待つことにする。さすが、僕。こういったところはしっかりとわきまえている。

 だが、岩波にはその考慮が通じなかったのか、『入っていい』と言われた。

 僕は何か言おうとその場に立って考えていたが、彼女は僕の袖を引っ張って半ば強制に家に招き入れた。

 えっと、それじゃあ、お邪魔します。そう言って、ドアをくぐった。

これが僕の初めての異性宅へのご入場だった。

 シトラスかバラか僕はあまり芳香剤に関しては詳しくないので、わからないが玄関は心地の良い匂いに満ちていた。

「ご家族さんは?」

「今週はいない」

「そうか」

 そう。岩波の家族は基本的に出張仕事が多いらしく、年からして家にいることは少ないそうだ。だから、時折僕と岩波はよくよくそういった日には外食に行ったりすることが多かった。

「なら、今週も何か食いに行くか?」

「行く」

 岩波はローファーを脱ぎ散らしそういった。僕も、靴を脱いで、その後ろについていく。

 岩波の部屋は二階にあるらしいが、当然のごとく「入らないで」と言われたので、忠犬ばりに部屋の外で待機する。

 廊下を見渡しているとそこには何枚かの賞状だとか、メダルが掛けられていた。しかし、そこに記された名前は岩波の名前ではなかった。誰のだろうか。

まぁ、詮索するのはよしといたほうがいいか。

 とりあえず、何も見ないように感じないように目を瞑りひたすら待機することにした。

 しばらくすると、風が少し出始めたのか、廊下に貼られた窓からは自然的なノックの音が聞こえる。その音に耳を傾けると、今度は岩波の部屋から物音がした。多分、色々と探っている音なのだろう。

そうして、二つの音がちょうど調和し始めたころ、岩波の部屋から扉が開いた。

「待たせてごめん」

「気にすんな」

 岩波は大きな紙袋を三っつ抱えており、総数にして本は百冊ほどありそうだった。

「それにしても、えらく未読の本が置いてあるんだな」

「うん。おばあちゃんが一年に数回か何十冊分の本を送ってくれるから、そのストック」

「なるほどな」

 祖母からそういったものが送られてくるあたり、よっぽど本好きなのだなと思う。俺も時々お小遣いプリーズのお伝えを送るが、見事に何も同封されておらず、送った分量の数十倍ぐらいの手紙が返ってくる。もし祖母が現代っ子で、このようなことをメールで行っていたら必ずドン引きされていただろう。

 そんなことを考えていると、僕はすぐさま岩波の細い腕が振るえているのを見た。

「そういや、忘れてた。持つよ」

 僕は手を差し出し、紙袋を受け取りやすいようにする。岩波は申し訳なさそうに、ゆっくりと僕の手のひらに紐をくぐらせ、手を放す。結構重いな。まぁ、そりゃそうか。

「いつもありがとう」

 岩波は少し俯きながら言った。

「ん、気にすんな。男っていうのは少しでも異性に対していいところを見せたがる生き物なんだよ」

 僕の言ったことは間違いではない。多分、男というのは大半がカッコつけたがりで、学校の体育でも女がいないときと、いる時では全く態度が違うのだ。かくいう、僕ももちろんそうだ。

「そういや、後本棚は?」

「庭の倉庫に」

「了解」

 僕は紙袋を落とさぬように慎重に岩波の背後についていき、階段を下りていく。そして、偶然にも一度振り返ると、そこにはまた一枚の賞状が見られた。けど、僕は何も聞かなかった。なんだか、そのことを聞くのはよくないような気がしたからだ。

改めて、靴を履いて倉庫へと向かった。

倉庫は二つあり、片方はえらく錆びたような倉庫で、少し離れた場所でも酸化銅のような匂いがした。

岩波が手をかけたのは、もう一方の大きく綺麗な倉庫で、その扉をゆっくりと慎重にスライドさせた。

 中は角度的にはよく見えなかったが、資材のようなものがいくつかは見られた。岩波の小さな体はその倉庫へと入っていき、目的のものを探しに行った。

 しばらくして、岩波は縦長い段ボールを引きずって出てきた。

「これが本棚か?」

 岩波は段ボールを床に置く。

「うん」

 見た感じ、中々の重量はあるのだろう。しまったな、これならマスもつれてきたほうがよかったな。ちょっと後悔だ。連絡して、アポとんのも普通はありなんだけど、あいつの場合一週間、一度も充電しないぐらい携帯一切見ないからなー。ほんと、携帯電話の意味を成してない。

 という事で、自力で運ぶことにする。えんら、ほっら。

 重いものを頻繁に持つことはありますか? という問いをテーマに街角インタビューが行われていたら、僕は即答してイエスと答えるだろう。まず、休日は普通に妹だの姉だのに連れまわされ、要りもしないものを買っては僕に持たせるし、母親すらも僕を週一の食糧買いだめにこき使う。最近では、父親までもが僕に荷物持ちをさせるようになってきた。ただでさ、世間的ヒエラレルキー低いのに、家庭内でも最下とかまじで病む。

 とりあえず、僕らは家を出て、再度学校を目指す。あれだよな、学校に着いても、組み立てやんないといけないんだよな。しかし、原則としては僕は岩波の頼みごとを一度も断ったことはないので、ここでその記録を途絶えされるわけにはいかない。

 そういえば、僕はここまでの過程で岩波に聞いていないことがあったので、聞くことにする。

「なぁ、岩波。お前、あっさり僕と同じ部に入るって言ってたけど、大丈夫なのか?」

 岩波は一度僕のほうを向いてから、再度前を向いた。

「…片野がいれば何でもいい」

 ほんとそんなこと言われたら照れる。岩波さん、男前すぎでしょ。仮に、これ僕が言ってたら、事案ものか末代までのネタにされてる。ほんと、人によって言葉の使い分けは大事だよな。

 しかし、毎度ながら岩波の僕に対しての気遣いには感服する。それほど、人目を置いてくれているのだろうか。いや、それはないか。

「その理由はうれしい限りだな。あやうく、昇天するところだった。けど、あんまりそういうことは言わないほうがいいぞ。思春期の男子っていうのはやばいほどに勘違いしやすいんだよ。ちょっと、見られただけで、『あれ、今俺のこと見た? やばい、俺のこと気になってるんじゃね?』とか勘違いしてしまうしな」

そうそう、思い出すな、そんなことねぇのに。てか、誰もおめぇのこと見てねぇから! なんてことには、だんだんと年取ると気づいていくんだよな。けど、ああいう経験も大人になっていくゆえには必要なことなのかもしれない。そうして、世界と自分の関係性っていうものを知っていくんだから。

 岩波は僕の言葉選びが間違っていたのか、少しだけ顰めっ面をして、いつもよりも何倍もトーンを下げた声で何かを話した。

「勘違いしてくれもいいのに」

 何かを言うと、岩波はすぐさまそっぽを向いた。

 何と言ったのだろうか。時々、岩波は風のように消えそうな声を出す時があるから、聞き取れないのだ。再度、聞き返そうかと思っていたが、やめておくことにした。

「しかし、岩波よ。お前、部に入るのはいいけど、ちゃんと活動できるのか?」

 そう、確かカウンセリング部だから、何か悩みを打ち解けられるたびに、『そうだねぇ、辛いねぇ。けど、僕も辛いんだよ』なんて、言わなくてはならないのだ。けど、こんなことを僕が言ったところで、効用なんてものはむしろ嫌悪か憎悪しかなくなるので、効果は薄々だ。だが、岩波が同じ言葉を言ったとすれば、それは効果増し増しだ。なんなら、悩みとは? に到達するレベルで解決させることができるかもしれない。マスも然りだ。あいつは顔もガタイもいいから親近的な安心感なんかを与えたりして良さそうだ。そう思うと、絶対僕いらない。定食のつけものにすらなっていない。こんなんでアイデンティティ云々、その他諸々のものが見つかるんですかね? そう考えると、僕は井ノ瀬先生の話に早乗りしすぎたかもしれない。怖い、将来、詐欺にすぐ引っ掛かりそうで怖い。ハニートラップとか、仕掛けてなくても掛かりそう。

 そして、しばらく岩波の返答を待ったが、中々遅いので顔を伺う。どうやら、聞いていないふりをしているらしい。なるほど、答えはノーか。そろそろ、岩波の仕草バリュエーションの把握度については英検準二級の単語ぐらいには覚えた。しかしながら、ほんとこいつは仕草が多くて困る。まじで、仕草界のダルビッシュ有とはこいつのことだろ。

「だよな。さすがに、やらんよな」

 まぁ、知っていた分、何も驚きはない。こいつ、あんまり人とは話さないからなぁ。そのうちに、打ち解けあえるほどに話せる人と会ってくれたらいいんだけどな。てか、今思えば、岩波は部に入る意味あんのかと思ってきた。明らかに、休憩所目的で入ってそうだ。現に、今こうして大量の本と本棚もって行ってるしな。マスに至っては筋トレ道具。

 ため息がつく。白息こそは出ないが、なんやらのちょっとした不満が目に見えて出たように感じた。

 元よりといえばそうなんだが、多分というか、間違いなく、僕一人で部を切り盛りしないといけない…。

 



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ノンアイデンティティな僕と彼ら 人新 @denpa322

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