「興味があるもの」
ある日のこと。
職場での業務が一通り終わり、おやつタイムたるものを嗜んでいたときのこと。
休憩しながらパソコンで検索エンジンを立ち上げてニュースを見るのが日課。その日のニュースとか、天気とかが“e”を押せばすぐわかる。
で、私はよくヤフーを使う。地図のみググってるのだが、そのヤフーの右下あたりに“リアルタイム”という項目がある。
最近、そこをチェックするのが好きになってしまったわけで。
そこのリアルタイムで私が好きなアーティストさんの名前とか、私が大好きなアニメの情報とか漫画の情報とかが載ってくると、途端に「やばばばば」ってなるわけで。
その気持ちをどうしても伝えたくなって、ついつい「今リアルタイムで――」なんて言いふらす。
私は、テンションが上がると途端に早口になってよくしゃべる。
だから、不審者扱いをされる。
また、好きなジャンルも個性や情緒あふれるものばかりだから、職場で「変態扱い」されている。
決して、そういう自分が嫌いなわけではなく、むしろ好きなわけで。自分の好きなものを口で伝えることのできる今の職場環境も好きで、そういう自分を受け入れてくれている先輩や上司も大好きなのだが。
ふと気づく。
自分が「興味」のあるものを相手に強要させようとしているのではないかと。
ふんふんと私の話を聞いてくれる職場の神々。その神々が、私の話に苦痛を強いられているのではないかと、そう思うわけで。
途端に、大失敗を犯したと後悔した。
いや、失敗といっても“何に”失敗したかというのは自分でもよくわかっていない。
かといって、「私の話興味ありますか?」なんて聞いたら、とんでもない天狗野郎だって思われるんじゃないかって察した。
私自身、自分のノーマルからアブノーマルな趣味をリアルな環境で口に出すまでの道のりは、それはもう長く険しいものだった。
中学生のころからこうした“言いたいけど言えない”趣味や好みを胸にしまい、当時の大衆に認められる流行ものが好きと公言するだけの窮屈な生活を強いられていたこともある。
高校生になり、少しずつだが共感してもらえそうな友人を見つけ、こうした話をして楽しむこともできたが、集団というのは怖いもので、そうした面を見られてからは、別の集団にいじる材料として見られてしまったことで大学に進学するまでの間伏せてしまったこともあった。
大学生になって、心から信頼できる友人と出会い、こうした自分を少しずつ作りあげていて、職場でも初っ端から自分の趣味を言うように心がけ、自分を見てもらうよう努めてきた。
でも、これが自分の満足のみで終わっているのではないか。
そう思った。
これに気づいたのが先月ごろ、今は先輩とか上司を少しずつ気にかけながら、人の話に耳を傾けるように意識している。当たり前のようなことかもしれないけど、こうした自分を変えたいと思って行動することも、自分を良くしてもらえるきっかけになるかもしれないと感じた。
大人になっても、まだまだ学ぶことって多いのね。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます