「悟りを開きました。」
今、この瞬間、私は悟りを開いている。
突然こう言われても、この人何を言っているのだろうかと不審がられることは百も承知である。
でも、私はこうしてエッセイを書きながら、悟りを開き続けている。
その理由は仕事環境にある。
今、時期的に季節の変わり目ともいわれ、天候が優れなかったり気温が変動したりとせわしない日々が続いているのだが、その時期には人間の心も優れなくなることは良くある話であって。
決して自分の心情的天気が崩れていることはない。しかし私の職場では、その荒々しい天候に合わせて精神的に不安定な人がいるわけで。
今、まさにその人が目の前で荒れているのだ。
もう手の付けようがないくらい荒れている。
周りの同僚や上司もその人を優しい目、というか哀れみをもって見ている。
ではなぜ私が悟っているのかというと、私自身が汚い言葉が死ぬほど嫌いなのだ。それが例え私自身に向けられているものではないとしても、聞くだけで発狂するほどに嫌いなのだ。
でも、不安定な人に乱暴な言葉を重ねるとかえって火に油を注ぐ結果になってしまう。
だから、気持ちを押し殺して自分の意見を消して悟りを開いてこうしてエッセイをしたため仕事をしているふりをしているのだ。できるだけ係ることを避けるために。
ある意味こうした場面で私のメンタルにもダメージが来ているのは重々承知の上のこと。だからこそ、こうして書き連ね、私のストレスの発散減としてこの執筆を利用しているのだ。キーボードをたたき続け、ただひたすら「忙しい自分」を演じ切り、胸の内に溜まっている憎悪と嫌悪感を書き連ね続け払拭している。
この場所でこうして気持ちを書き続けるのはありがたいことだと思う。
こうして書いているうちに不安定な人はドアを乱暴に閉めて帰宅していった。事情を聞く限りでは、どうやら仕事で上手くいかないことがあり、重ね重ね気持ちの優れないことが起きて爆発して荒れ狂ってしまったのだという。
荒れたい気持ちもわかる。
だが、
聞き手の人の気持ちもしっかりと考えてあげたらどうだろうか。
決して気分が良くなることはない。罵声罵倒が連なる汚い胸糞悪い言葉。
すっきりしたのは言った本人だけだ。
私は思う。
なんて自己中心的かつ軽率な人を侮辱した行為なんだろうと。
だが
私は悟りを開くと決めている。嵐が過ぎ去ったあと、隣の席に座る先輩に
「私は悟りを開きました。」
と宣言した。
先輩は意地悪そうな笑みを浮かべた。
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