「趣味は何ですか。」
人生を生きていく中で「趣味」が人生設計図の中で構築される人が多い。
「趣味は何ですか。」と聞かれることや、プロフィールの記入欄で書くこともよくある話。
私は大人になって「趣味」を書くことが多くなったような気がする。きっかけは様々なのだが、ブログのプロフィールに記入したり、仕事で従業員欄にあったり婚活の時にプロフィール欄にあったりと書く機会が一気に増えた。
そこでいつも手が止まる。私の「趣味」は何だろうと。
パソコンで書いていてもキーボードの叩く手が止まる。自分の趣味とは何だろうと。
今こうしてエッセイをしたためている時もそう。自分の中の趣味の一つでもある。
仕事をしていてもそう。仕事が趣味だと捉えることができる瞬間がある。
白紙の紙にイラストを描いてスキャンして色付けするときもそう。この瞬間が趣味の一つにもなる。
身体を動かしたいと思って走っている時もそう。鼓動が高鳴る瞬間や息切れをするときに達成感を感じる瞬間が趣味でもある。
ではなぜ趣味の記入に手が止まるのか。
それらの行動に趣味と捉えるべき事由がある一方、その趣味を言葉で表すことができないからだ。
今こうして読んでもらっている人は、「創作」「絵を描くこと」「ランニング」
「文章執筆」「仕事」などなど、様々なキーワードが浮かんだと思う。私もこうして素直に書ければ良いだけの話。
でも、どうしてかけないのか。
それは自分に自信がないから。
自分がやりたいこと=趣味になる。趣味は利益を重視しない。どちらかというと、自分の内面的利益を求めたいがための産物ともいえる。
なぜかけないのかは、自信がない=趣味に相当する人材かどうかを自分の中で悲観的に捉えてしまうからなのだ。
うん。この瞬間に自分の技量がうんたらかんたらと難しいことを考えてしまうことこそ私の悪い癖なのかもしれない。
趣味を自分のものだけにすることが、それこそ趣味の始まりだった。
うまくなりたい、こなしていきたい、強くなりたい。
それがいつしか、他の人と利益共有したいと思った。評価を欲しいと思えてしまった。
欲深き自分とも思えるが、実際にこう思い始めてから趣味の欄に書くことが怖くなってしまった。
意気地なし、自分。
そう思っているならもっと趣味を楽しめばよいのに。
なんて言い聞かせながら日々葛藤しつつ趣味を極める。
そんなときに思うことがある。
趣味を一本化する人は素晴らしい、と。誇らしい人生設計を刻んでいる、と。
そういう意味ではうらやましく、妬ましい。
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