趣味麗

井筒 史

「人生とは。」

 自分が人生を何年生きたら、この質問を胸張っていうことができるのだろうか。


 「人」の「生」と書いて「人生」。私のような人間に人生を語るなんて、なんておもっ苦しい質問なんだ。


 時に、大学生活を満喫していたころ、哲学的な、かつ抽象的なものに浸っていた友人を思い出すことがある。


 「人生ってなんなんだろうな。」「学生って何がゴールなんだろうな。」「生きてるってなんだろうな。」


 あまりにも抽象的かつ大胆な質問に、私はあっけにとられた。成人間近の青年たちが、男女問わず目をうつろにして酒を片手に語っているのだから。


 もちろん、私もその中で、「先の見えないのが人生なんだよ。」と語っていたのが、今となっては恥ずかしい思い出だったりする。


 「先の見えないのが人生なんだよ。」

 「先の見えないのが人生なんだよ。」

 「先の見えないのが人生なんだよ。」


 過去の過ちが、私の頭の中をかき乱す。あの頃の「中二病」のような、とがった自分が恥ずかしくて、道端で歩いていて思い出した時には手を顔で覆いたくなる。「見ないで、こんな私を見ないで。」なんて気持ち。


 と、昔人生について考えていたのは明白な事実だが、今人生について考えるとするなら、それは正しき事なのか過ちなのかなんてあの時から数年たった今でもわからない。


 どれだけ仕事に集中しても、転職したいだの資格を取りたいだの、自分にはもっと合っている仕事があるだのと、考えることもある。


 それが、人生を後悔しているのかといえば、実際はそれもわからない。日中には仕事をして、キーボードを打ち込んだり電卓を打ち込んだり、書類に目を通して書き込んだりと、事務的な作業をしていると、その状態が正しい選択だったのかということも、その場ではわからないことだし帰宅してからも、プライベートを満喫している中で思っても、わからないものである。


 ああ、自分がもしこうだったらな。


 なんて考えていると人にいうなれば、「それは人生を後悔しているんだよ!」と息巻く友達がいるが、その意見も正しいのか、それとも間違っているのかなんてわからない。


 要するに、大人になると職業というものが「自分の人生」の要素的なものを担ってしまうのだと、私は思う。


 「人生」なのに、その言葉にイコールがついて「職業」になっている大人は、きっとこの社会に五万といるだろう。自分の生活の大半の時間を占めているのが仕事。つまり職業。だからこそ、大人になると、自分の人生ってこんなものなのかなと、不意に思ってしまうこともしばしば。


 私も、きっとその一人なんだろうと思う。


 「学生の頃はよかった」ということもよく聞く。そりゃ今は生活のために働かなければならない大人になったから。学生は学び舎でたくさんのことを学んでいることが仕事。その学び舎は自分が年齢を重ねるごとに、自分の興味のある学び舎を選択していく。それは生活のためにともいう人もいるが、学んでいる間は生活を心配するための活動をしているわけではない。


 自分が、「学び」のためではなく「生活」「お金」のために働いていると、昔を考えると今の現実が少しだけさみしくなる。


 しかし、生活をしなければ、何も人生は始まらない。生活を続けなければ、何も見えてこないから。


 だから、私は人生と職業をイコールでつなぐことを辞めたい。


 人生という考え方を、もっと幅広く選択していきたい。


 もちろん、転職をしたいという考えもある。自分がやりたいことでお金が稼げたらいいな、なんて夢を見たこともある。


 でも、それもまた人生の楽しみ方。

 これから何が起こるかまだわからないから。


 自分がまだ、この人間という生を受けて、どれだけ生きることができるかわからないけど、それでも少しずつ前を向いて、生きていきたい。


 「人生とは。」

 「まだ、わかんない。だって生きてるもん。」

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