月に家族
守は、しょうがない子です。勉強しろと言ってもしない。早く起きろと言っても起きない。服装はだらしない。靴は踏む。
聞いていて恥ずかしくなった。こんな事お袋は書いていたのか。
でも、守は、絵が本当に好きな子です。本当に……。暇があれば絵を描いています。怒っても怒っても描いています。絵で賞を取った事もあります。私の過ちでビリビリに破かれてしまいましたけれど。今でも大切に取ってあります。この道に進んだあの子です。だから、どうか一人前になるまで面倒見て下さい。どうかどうかお願い致します。
「お前の母ちゃんはお前の事を認めてんだよ。今すぐ、行ってやれよ。それが家族ってもんだろ」
混乱していた。どうすればいいんだろう。その時、右頬に激痛が走った。飛ばされる。右肩から落ちて、キャンパスがガラガラと崩れる。師匠が泣きながら、拳を作っていた。
「お前の事を待ってんぞ」
俺は鞄を取ると、入口まで走った。
病院に着いたのは夜中の12時だった。窓口で引っかかって、待合室で待つ事になった。そこへ親父と弟が来た。二人とも泣きはらした目をしていた。
「いつからお袋がガンだった?」
親父は煙草の火を点け、煙を吐きながら言った。
「お前が出て行ってから1年後だ」
「どうして言ってくれなかった」
親父は煙をふうと吹くと、
「母さんが言ったんだよ。守の邪魔をしちゃいけないってね」
そこへ看護師がやってきた。
「症状が落ち着きました」
俺達は、お袋の病室に向かう。病院特有のツンとした臭いが鼻につく。ドアをがらっと開けると、そこにはお袋が寝ていた。
「お袋……」
反応は無い。すーすーと寝ている。俺が出て行ってから、見るほどもなくやせ細っていた。両腕には点滴を打っている。
「余命2カ月だそうだ……」
親父が言った。
「お袋はいつもお前の事を心配してたんだぞ。杉並先生に電話して「あの子をお願いします」っていつも電話越しに頭下げていたんだ」
俺はベッドの横に腰かけた。
次の日、お袋の一言で目が覚めた。
「あんた、何でここに居るの?」
「何でって、お袋倒れたじゃん」
お袋は、うっと吐きかけた。
「大丈夫?」
「私ももう長くないのかね」
親父と弟が慌てて否定する。
「そんな事ないよ」
お袋は天高く登る秋雲を見ながらぼそっと言う。
「みんなには苦労かけたね。私は、龍の成長を見たかった。そして、守の作品をもっと見たかった。みんなの成長を肌で感じたかった」
親父は涙をそっと拭く。俺は一言言いたかった。
「お袋、俺が画家の道に進んだ事。親不孝じゃなかった?」
お袋は黙って俺を見る。
「お袋は言ったね。画家なんて夢物語を見るんじゃなくて、堅実に生きろって。でも、魂が俺の魂が絵を描きたがっているんだ。親不孝って分っているんだけど……」
その後は、声が出なかった。泣くしかなかった。お袋は黙って俺の手を取った。
手はしゃがれていて骨と皮だけだった。
それから親父は会社出勤で土日以外来れなかったし、弟は高校があるから自然とお袋と二人きりになる事が多かった。
昼になると、俺は病院に付属している弁当屋で弁当を買うのだが、ちょくちょくお袋が病院の給食のデザートをくれた。「お袋食べろよ」と言うと、「守に食べてもらった方が、私の心は一杯になる」って言った。
俺は泣くのをこらえて、俯いてそれを食った。ミカンだった事もあるし、リンゴだった事もある。もう昔の事なんか忘れていた。今はただ、一緒に居られる幸せを噛みしめていた。
そんな温かい温もりに触れて幸せだった。ある日、お袋は絵を見たいと言った。
「すぐさま取って来るよ」
お袋は黙って首を振って言った。
「守が絵を描いている姿を見たい」
俺は走ってA3の画板紙と鉛筆を買ってくると、お袋の言われるままに絵を描いた。ミカン、病院から見える景色。色んな物を描いた。お袋は満足そうだった。
その内、絵の構想が浮んで来て、ラフスケッチを描き始めた。何枚も構想を絵に描いてはまた破く。
「守……。頑張ってね。応援してるから」
俺は黙って絵を描いていた。
それからしばらく静寂が訪れた。ふとお袋を見ると、目を閉じていた。
「お袋? お袋?」
肩を揺するが起きない。ナースコールを押す。
「お袋が起きないんです」
すぐさま、看護師が来た。大騒ぎになった。
それから数時間後、お袋が死んだ。何故か涙が出なかった。数日後の葬式の後、お袋の遺品整理が行われた。中からは、俺がビリビリに破いた賞状が出て来た。セロハンテープで直してあった。そして、そこには、封筒が入っていて、守の夢への一歩と書かれていた。
親父がぼそっと言った。
「いつも母さん、にこにこしながら賞状見てたよ。悲しい時もうれしい時も、ずっと……。お前がこの家を出て行ってから、お袋は毎日賞状を見て泣いてた。でも杉並先生に筋があるって言われてからは、にこにこして賞状を見るようになったなあ。俺、そっちのけで」
涙が出て来た。鼻水が垂れて来た。親父が言った。
「守、母さんの想いを忘れるな。俺と龍もいるからな」
弟も泣いてうなずきながら言った。
「俺、昔からずっと兄さんの事、誇りに思ってた。ただ、うらやましかったんだ。自由に生きてる兄さんが……。ごめん……」
俺は認められたかった。その為、色々反発してきた。でもそうじゃなかった。家族みんな、俺の事応援してくれていたんだ。
泣きながら、画板紙を取り出すと、構想を絵に描いた。何枚も何枚も。それしか、俺の自己表現がなかったから……。
一年後、俺は小さな賞に入賞した。タイトルは、『月に家族』。月夜の下で、お父さんとお母さんが二人の子供と月を眺めている絵だ。二人の子供は、幸せそうな顔で、月を指さしている。お父さん、お母さんは月の光で照らされた二人の子供をそっと抱き寄せている。
師匠からはまだまだ先は長いと言われるが、俺は今精一杯の絵を描いたつもりだ。そして、これからも絵を描き続けて行く。お袋、親父、弟の龍、そして俺の意志がある限り。
了
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