いじめが終わった

 それから二週間が経った。相変わらず、トイレに呼び出されて、見世物にされている。情けなくて仕方なかった。

しかし、ホームルーム時、ちょっとした事件が起きた。

「ほら、みんな座れ~」

 例の菊池先生が手をパンパンと叩いてみんなを座らせようとする。キツネがガムを噛み、ニヤニヤしながら、菊池先生を見ている。

「ほら、みんな座れ」

 先生が怒ったように声を出す。


みんながドッと笑う。


俺はただただ下を向いていた。その時、岩樹の野太い声が教室中に響いた。

「ほら、菊池のとっつあんも困ってるぜ。みんな、座ってやろうぜ」

 岩樹のその声が響くや、教室のあちこちに固まっていた集団がそれぞれの席へと向かい、キツネでさえも、大人しく椅子に座った。

 菊池のとっつあんは安堵したのかほうっとため息をついた。そして愚痴る様に言った。

「今だけだぞ、好き勝手出来るのは……」

 とっつあんの言葉は最後消え入りそうだった。


切実な心の叫びにみんなシンとなった。


とっつあんは、持って来た資料をとんとんと整えると、ごほんと咳をした。

「さあ、仕切り直して、今日のプリントだ。みんな一部取ったら後ろに回して」

 とっつあんは、それぞれの列にプリントを配っていく。

俺の番になり、一部取って後ろに回す。内容は見ないでカバンにプリントを突っ込む。その時だった。女子の誰かが黄色い声で叫ぶ。

「籐山の読書感想文載ってない?」

「マジ?」

「川端康成の『雪国』だって」

「マジ、すげー調子に乗ってんじゃん」

 そう言いながらも、それぞれが二つ折りにされたプリントのページを開いて読んでいる。俺は恥ずかしくなって、机に顔を伏せた。しばらく教室中がシーンとしていた。


そのままホームルームが終わった。


 ホームルームが終わると、クラスのみんなが俺を取り囲んだ。

「どうやって書いたの」

「どのくらい時間をかけたの」

 とかいっぺんに沢山の質問が飛んで来た。今までクラスのみんなには無視されてきたので、気の利いた言葉が言えなかった。ドモリまくってしまった。視線を全く合わす事も出来なかった。

その時、「ちょいと面貸せ」と野太い声がした。岩樹の声だ。恐怖で固まってしまった。女子が「もう止めてあげなよ~」とか言ってくれる。

岩樹は「ちょっとな」と言って、俺の右手を掴むと強引にトイレへと引っ張って行った。抵抗しようとすると、岩樹に脅された。「抵抗するともっとひどいことになるぞ!」と。

 トイレに入ると、キツネが入口を塞いだ。


岩樹が俺の胸倉を掴んで壁に叩きつける。


「お前、あの文章、お前一人で書いたのか?」

 岩樹が真直ぐ俺の目を見る。

「どうなんだ」

 キツネが野次を飛ばしてくる。

「ママに書いてもらったんだろ」

 その時、岩樹が左手を木製の壁に叩きつけた。壁が凹む。

「うるせえ、お前は黙ってろ」

 岩樹が目を剥き出しにしてキツネをにらむ。

「キツネ、今度また野次飛ばしてみろ! 今度はお前を便器に叩き込んでやる」

 キツネは身体をびくっとさせて顔を引きつらせる。

岩樹はまた俺の目を見た。

「藤山、いや豚、お前、本当にあの文章一人で書いたのか」


 やっとのことでうなずく。


岩樹は胸倉をつかんでいた右手を離して、俺を見たままカバンに手をやる。

そしてカバンの中からノートとボールペンを取り出すと、俺に投げて寄越した。

「ここで証明して見せろ。証明出来たらもうイジメをやめてやる」

 岩樹の尋常じゃない気迫にただただ震えていると、ノートとボールペンを持ってただただ震えていると、

「豚眼鏡って言われて悔しくないのか! 悔しかったら書けよ! 豚!」

 岩樹はそう言うと、便所の床にあぐらを組んで座り、腕を組んだ。

「一時間待ってやる。証明してみせろ!」

 その後岩樹は時計を一瞥し、それから目を閉じ微動だにしなくなった。


 ノートを開く。そこには真っ白い世界が広がっていた。


胸がドクンドクンと鼓動する。


今まさに絶望的な状況なのに何故か時めいてしまう。一文字目に何を書こうか迷う。

脳にあらゆる文字が浮かんでは消えていった。その言葉を書き止めるように文字に起こしていく。殴り書きで書き捨てていく。何枚も何枚も文字を書きつづっていく。次第に何を書いたらいいか、方向性が決まってきた。


 詩だ!


 40分後、一編の詩が出来上がった。20分かけて、詩を推敲する。そうして出来上がった詩が、


 毎日があがきの日々だ

 毎日が絶望の日々だ

 校門の前に立つと、身体が硬直する

 教室に入り席に座ると 心臓がばくんばくんと

 悲鳴をあげる

 

 逃げ出したい、逃げれない

 逃げたら 母親の泣き叫ぶ顔を見なくてはならない

 母親のそんな姿は見たくない

 辛いのは俺一人で十分だ


 だから今日も五人の観客の為、

 一人トイレで道化師になるのだ

 泣き顔の道化師になるのだ


 辛いのは俺一人で十分だ……

 泣くのも俺一人で十分だ……


 岩樹は俺の詩を無言で何十分も詠んでいた。不意にポツリと言った。

「もう帰れよ」

 急に言われたので戸惑ってしまった。

「さっさと失せろ! またいじめられたいのか!」

 岩樹は眉間にしわを寄せている。俺は「すみません」と言って、トイレを出て行く。

そのまま教室に戻ると、女子が数人談笑していた。その中の一人が俺の姿を認めると近寄って来た。茶髪にポニーテールにふさわしく性格も明るく、世話好きな女子だ。名前は中村杏子さんと言う。中村杏子さんは俺の顔を覗き込むと目を大きく輝かせながら言った。

「ひどいことされなかった。何だったらうちがガツンと言ってやるよ」

 中村杏子さんはキラキラした目で俺の目を覗きこんで来る。たまらなくなって、カバンをひったくると、教室から飛び出た。上履きのまま校舎裏に行くと、そのままうずくまった。色んな情報が次から次へと脳に入り込んできて、オーバーヒートしてしまった。


ずっと体育座りをしていた。


夕暮れの冷たい優しい風がさわさわと流れこんで来る。いつまでも風に身を任せる。かすかに部活の野太い声が聞こえていた。


 次の日からいじめられなくなった。

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