読書感想文

 気がつくと、ベッドの上だった。上着は脱がされていた。ここは……。仕切られていたカーテンをどかす。保健室だった。

「気がついた」

 眼鏡をかけ、白衣を着た若い女性が座って本を読んでいた。女性は本を置くとこっちに近づいて来た。保健室の先生だ。

「辛かったね」

 保健室の先生の目には涙が溜まっていた。強烈に恥ずかった。若い、綺麗な憧れの保健室の先生にこんな姿なんて見られたくなかった。

「親御さんには連絡しといたから、病院行ってきなさい」

 先生がベッドの隣の椅子に座った。恥ずかしいってもんじゃなかった。


ふと……


頭に『雪国』のヒロインの姿が一瞬ちらついた。ゲロを吐き、先生に同情され、恥ずかしいという姿にダブったのだった。孤独、絶望、イジメられることへの諦め、そんな感情が頭の中を駆け巡った。これだ! このことを書けばいいんだ。

「先生、紙はありますか?」

 先生は、顔を自分に近づけて「何に使うの?」といった。胸のふくらみが目の前にあり目のやりどころに困った。また少し、香水の匂いがした。

「今度の読書感想文のテーマが閃いたんです」

「分かったわ」と先生は言うと、コピー機から一枚のA4の紙を取り出した。

俺はお辞儀をして受け取ると、ボールペンで、関係図を描き始めた。そもそもの出発点は何だ。『雪国』のヒロインと自分の接点は。それをボールペンで殴り描いた。

親が迎えに来て、病院で精密検査を受けている間も頭の中のもやもやしたものを書き殴った。この日は精密検査で一日を費やしてしまったが、結果は何とも無かった。家に帰ると、母親は泣き崩れていた。

「なんで洋介が!」

 そんなことを言いながら泣き続けていた。そんな母親に話しかける術は無かった。机に向かうと、関係図、アウトラインをみて、読書感想文を書き始めた。


途中、頭痛がしたので、頭痛薬を飲んだ。


 翌日、出来上がった作品をカバンに詰め、朝の冷やりとした空気を吸いながら登校する。

もし仮にこれが採用されなかったとしても後悔はない。全力を尽くしたんだから。満員電車に揺られながら大事にカバンを抱える。

 周りを見ると、みんなそれぞれにそれぞれの生活をしている。その中で、それぞれのお互いのポリシーなどが影響し合い、この世界は鳴り合っているんだと思う。いつかそのような壮大な小説が書けたらなと思う。


ただし、今じゃない、まだ経験が足りな過ぎる。いつかきっと……。


 学校に着くと、真っ先に図書委員の先生に作品を持って行った。職員室はまだしんとしていた。

先生はその中で、大きく伸びをしている所だった。

「先生!」

 先生は気付かない。

「菊池先生!」

 菊池先生は身体をびくっとさせてこっちを見た。そして、「藤山か」と呟く。

「どうした。こんな朝っぱらから……」

 菊池先生は伸びをした手をゆっくりと降ろしながら言った。俺はカバンから原稿用紙の束を取り出すとシワを伸ばして、心を込めて渡す。

「今度の読書感想文の作品を持ってきました」

 菊池先生はぱ~と流し見すると、

「分かった」

 と言って、原稿用紙を受け取った。


それきりだった。


なんか拍子抜けした。あっと言う間だった。事務作業だった。心がからんからんと道路を転がる缶コーヒーのように虚しく音を立てていた。

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