トラウマ


 翌朝、いつものようにおばさんが起こしに来た。とてもじゃないが起きたくはなかった。トラウマが重く心に圧し掛かる……とてもじゃないが起きられない……僕は言う……

「熱中症になったみたい……頭が痛いから今日は寝てる……」

「馬鹿なこと言ってないで起きなさい」

 そう言ってシーツをひっぺはがす。おばさんが僕を見ると、びっくりした。

「大丈夫? 本当に顔が青白いわよ……」

 シーツを被ると言った。

「大丈夫! 寝てれば治るから……」

 そう……と力なくおばさんが答える声がする。

「今、薬持ってきてあげる」

 おばさんは、約束通り薬を持ってきてくれた。ぬるま湯でそれを飲むとシーツをかぶって寝た。


 2日目も……3日目も……寝続けた……いつしか……おばさんが朝起こしに来てくれなくなった。そして、4日目……


 寝ている間昔の事を思い出していた。昔と言っても数ヶ月前の話だ。


 図書委員で図書委員便りの編集委員をやっていた頃……ついこの間までだ。2年の3学期までやり切った……あの頃は、色々やっていた……企画に運営……本当に色んな企画があった! 例えば、柔道部に行って柔道の心を学んできたりとか……まあ高校生だからまだ青い所もあるが、逆に高校生ならでは青春を前面に押し出して「この人の輝き!!!」というタイトルで取材とかもやった。あの時は本当に輝いていた……


 しかし! 自分が2年生の冬、とんでもない間違いを犯してしまった……


 それは、後輩を苛めて転校させたのだ……事のてんまつはこうだ。


 新しく入ってきた1年生が面白い企画をバンバン出し、自分の企画が通らなくなってきた。僕は裏工作し、その1年生がハブられるように仕向けた。実際、その1年生は無視されるようになった。1ヶ月後、その1年生は来なくなった……心配になって、その1年の教室に行ってみると、彼はいなかった。内情を聞いてみると、図書委員会でのいじめが教室にも飛び火し、登校拒否になってしまい……結局その後輩は、学校にいられず転校してしまったのだった……


「起きろ~! 根性無し~」

 遠くで声が聞こえる。何度も何度も……なんて言っているのか余り聞き取れない……

「起きろ! 健一郎! お客だぞ!」

 今度ははっきり聞こえた。目を開ける。蛍光灯の光でまぶしい……ってあれっ!


 純さん!?


 横にはおばさんもいる。純さんは、ふざけて敬礼した。

「よっ! 見舞に来たぜ!」

 純さんをマトモに見れなかった。目を外しながら言った。

「ありがとうございます……もう大分良くなりました」

 純さんは、おばさんに、2人にして下さいと言った。おばさんは出て行く……

 純さんは、僕の隣に座る。

「まあ、座れや! 仮病なのはもう分かってんだから!」

 びっくりして、純さんを見る。純さんは畳みかけるように言う。

「なっ!」

 観念して布団の上に座る。力なく聞く……

「いつから気づいていたんですか……?」

「う~ん……さすがに3日も熱中症で寝込むってことは普通ないだろ! もうみんな気づいているよ」

 がく然とした。みんな分かってたんだって?純さんは、タバコを取り出すと火を点け吸い始めた。

「そこで、俺が見舞に来たってとこだ」

 僕はタバコの煙の行方を見る。純さんも煙の行方を見る。

「何が悩みなのか教えろよ……力になるからさ!」

 相変わらずタバコの煙を見続けている……あの事件のことを話そうか……迷った……でも、勇気が無かった。純さんは軽蔑するだろうから……純さんは言った。

「俺は、今日は11時まで居れるからさ……待つよ……」

 時計を見る。時間は9時30分だ。迷いに迷った。カチッカチッカチッ……辺りが静寂になり、時計の針の動く音だけが響き渡る……そして……11時になった……


 純さんがぼそっと言った。

「健一郎……お前もっと根性あると思ってたんだがな……」

 そういうと、純さんは立ち上がって部屋を出て行った。


 次の日、朝早く珍しくおじさんが起こしにきた。僕は起きる。僕を見ておじさんは言った。

「しばらく、おばさんの手伝いをしてやってくれや」

 そういうと、おじさんは出て行った。僕はぼーぜんとした。


 その日から、おばさんの手伝いをすることになった。畑には行かなくなった。そして、3日経った。午後、洗濯物を畳んでいると、おばさんは僕に言った。

「今日は、お祭りだから行ってきたら~? 仕事は、後やっておくから」

「でも~」

 おばさんは、笑って「いいから早く行ってきなさい」という。僕は、地図と駄賃をもらって、ポシェットにしまうと外に出た。


 久し振りの外は、蒸し暑かった。夏雲が大空を泳いでいる。人の気持ちも知らないで……やっぱり僕って心がもろいんだな。そんなことを思いながら歩いて行く。途中、小学生が、缶蹴りをしていた……屈託のない笑い声を立てながら……とてもうらやましかった……後悔に生きるってなんて辛いんだろ……ふとした事で思い出してしまい……胸が苦しくなる……ポシェットをまさぐると、シャーぺンが出てきた。純さんのだ……純さんの顔がちらつく……さらにずーんと心が重くなってしまった。


 祭り会場は、何かの神社だった。入り口には、どでかい石の馬がど~んと祭ってあった。祭りの第一印象は、この街にはこんな人が多いのかと云う位に一杯人がいた。そりゃ、東京の祭りに比べれば人は少ないが、それでもびっくりした。どうしてかと言うと、農作業をしている最中、人が通るのはレアだからだ。だから本当にびっくりした。祭り会場では、フランクフルトに、焼きそば、モツ煮などいろいろ売っていた。僕は、焼きそばを買うと、端っこに行って、箸で食べ始めた。食べ終わると、社へと登る石段の1段目に座り、ぼ~と風景を見ていた。子供達が、綿あめを持ってきゃあきゃあ言いながら走り回っている。それを、お母さんらしきメガネをかけた女の人がほほえんで見ている。先ほど買った焼きそば店では、今度は高校生らしき3人組が焼きそばを買っている。2人が男子で、1人が女子だ。女子は、ほとんど化粧をしていなかった。男子も髪を染めていなく、素朴な感じだった。多分、この辺で一番いい高校の生徒なのかな~勝手にそんな事を思いつつ、時間を過ごした。1時間程した時、僕に向かって手を振って来る人がいた。覚えが無かった。じっと見ていると、その人は笑いながら近づいてきた。


「よう! 健一郎君」

 正直戸惑っていた。誰だっけ?その人はあっはっはと笑った。

「そうだよな! 覚えてないだろうな! 俺は、茶口宋之助。みんなは、俺の事を宋さんと呼んでいる。この間の勉強会で一緒に勉強したろ! 思い出したか?」

思い出した! 勉強会でいた宋さん! 確かに記憶がある!

「あ~あの宋さん!」

 宋さんは隣に座って来ると、一緒に景色を眺めた。

「どうだ……楽しんでるか?」

「まあ……はい……」

 宋さんは、ははっと笑うと、タバコを取り出し吸い始めた。

「一つ聞いていいか?」

「はい……」

「本当に、純ちゃんの作品。悪かったか?」

 黙る……宋さんは続ける……

「純ちゃんは、本当に健一郎君が来たことを喜んでいたんだぞ……」

「喜んでいたって?」

「真一さんが、いつも健一郎君の文章の凄さを話していたんで、ここに来ると聞いた時は、本当に喜んでいたんだぞ!」

 うつむく……。真一さんとは、おじさんの事だ。

「純ちゃんは、あんなに明るいが昔は不良だったんだぞ」

 思わず……

「え~」

 宋さんは、笑いながら言う。

「そう見えないだろ! 俺も驚いてる」

「何があったんですか?」

 宋さんは、ふ~とタバコを吹かすと言った。

「聞きたいか?」

「聞きたいです」と必死に言った。宗さんが、しゃべり始めた。

「純ちゃんは、この辺では、トップの高校に行っていて、成績もトップだった。将来は、トーダイか、キョーダイに行って、作家か? 学者か?みんなの期待の星だった」

 思わず「え~」と叫んでしまった。そんなすごいお人だったとは……でも?

「でも、不良って言ってましたよね?」

 宋さんは、たばこの灰を落としながら僕を制した。

「まあ待て、ここからだ……話は……」

 宋さんが語り始める。

「純ちゃんの親父は、自営業だったんだがな。倒産したんだよ……」

 宋さんはさみしそうに語る。

「当然、大学進学は無し……純ちゃんは、未来が一遍に見通しが無くなったわけだ」

 宋さんはタバコを携帯灰皿に入れた。

「そうなりゃ、当然荒れるわな~ 今まで勉強してきたことがパーになるんだもんなあ」

 足元にある草をぶちぶち抜く。

「ケンカには明け暮れるわ……真夜中まで仲間とバイクで走り回るわ……酒は未成年なのに飲んだくれるわ……もう自暴自棄になっていた……純ちゃんの暗黒の時代だわな……」

 宋さんは、僕に聞く……

「純ちゃんは、ろくでも無いやつだと思うか?」

 僕は「いいえ」と言う。

「そうだよな……この辺のやつらもみんなその辺の事情を分かっていたから……逆に辛かった」

 僕の待遇を振り返ってみる……恵まれている。大学にも言っていいと言われた……行けなくなるのは、僕のせいだ。情けなくなった。

「そこへ、助け舟を出したのは、真一さんだ。健一郎君のおじさんだ……」

「何で助け舟出したんですか?」

「真一さんの家族は子供が出来なかった……だから小さい頃から純ちゃんを可愛がっていたんだ」

「真一さんは、純ちゃんの家に行くと、無理やり自宅に連れて来て、小説を書けと言った……純ちゃんに聞いたらしつこいくらい来たって言ってたな~」

 宋さんは笑う。僕にとっては笑いごとではなかった……早くその先を聞きたかった。

「そういう真一さんの熱い気持ちに打たれたのか……純ちゃんは少しずつ変わってきて、小説を書くようになった。後で、純ちゃんに聞くと、真一さんのある一言に打たれたと言ってたな~」

「おじさんはなんて言ったんですか」とせがむ。宋さんは笑う。

「自分に打ち勝て! きっと未来が見えてくる!」

 言葉を反すうする。自分に打ち勝て! きっと未来が見えてくる!

「後で聞いた話だが、純ちゃん、最初はまさかと思ったそうだ……でも、真一さんの言葉にすがってみたそうだ。そうしたところ……」

 一言一句聞き洩らさず聞く。

「校内の弁論大会では、最優秀賞を取るわ! 挙句の果てには卒業式の日に答辞を読むことになるわ……純ちゃんは文才があったんだな……それを引き出した真一さんも凄いが……」

「ちょっと待ってください!」

 思わず、横槍を入れてしまった。

「何でところで、小説なんですか?」

 宋さんはああそうかというと言った。

「真一さん……文学部だろ……自分のテリトリーだし、何より純ちゃんが作家になりたかったんだ。だから、頑張れたのもあるんだと思うよ」

「凄いですね……純さん……」

 宋さんは付け加えた。

「純ちゃんは、それ以来真一さんに頭が上がんないだそうだ」

 その時、遠くで……

「お父~さん」

 と呼ぶ声が聞こえた。見ると、小学生ぐらいの男の子だ。宋さんは、その子供に言う。

「今、行くから~お母さんに何か買ってもらいなさい」

 男の子は、「は~い」と言って人ごみの中に消えて行った。

「要はな、純ちゃんの気持ちを裏切るなって事だ。もう一回純ちゃんにあったらちゃんと話し合っておけよ~」

 そういうと、「じゃあな」と言って宋さんはどっかに行った。


 その日は、暗くなるまでずっと座って考え込んでいた。

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