健一郎の柔道

 健一郎は、何をやってもすぐあきてしまう少年です。そんな様子を見かねてか、健一郎のお父さんは、健一郎に柔道をするようにすすめたのでした。こうして、健一郎は、五年生の春から柔道教室に通うことになったのでした。しかし、始めて二カ月であきてしまいました。そして……

 六月の半ばの日曜日。健一郎は、正座してお父さんにこんなことをたのみこんでいました。

「もう、柔道やめたいんだけど……」

 お父さんは、その言葉を聞いて、はあとため息をつきました。

「健一郎、せめて一年間は続かないか? なさけないぞ」

「柔道は、ぼくには合わないんだ。柔道止めたら時間が空くから、他の事をがんばりたんだ」

「何かしたいことがあるのか?」

「……これから見つける所」

お父さんは健一郎のその言葉を聞くと、何も言わずに居間を出て行ってしまいました。お母さんも、だまって立ち上がり夕食のじゅんびを始めました。この日は、一日中、気まずいふんいきが流れました。


 次の日、七時半に学校に行くと、友達の守君と、武君が来ていました。守君は、

「おはよ、健!」

「おはよう。武、守」

 健一郎は、三人の近くのイスに座りました。この三人は、仲良し三人組で、健、守、武と呼び合う仲なのです。

 ちなみに、健とは、健一郎の事です。

「そういやさ、お前、柔道やめるんだって?」

 守は、健一郎に尋ねてきました。

「無理そうだなあ~うちの父さん厳しいもの」

 守と武は、驚きました。

「そうか、やさしそうにみえるけどなあ!」

 手を目の前で振りながら言いました。

「人間、見た目だけじゃわからないっていうじゃない?」

 それを聞いた守は、吹き出しました。

「お前、さとってどうする?」

 話は朝のミーテイングになるまで続きました。

 

 算数の時間、この日はとんでもないことが起こったのです。

 それはテスト返しです。先生は手をパンパンとたたいてこう言いました。

「今から、テストを返すぞ」

 出席番号順に生徒を先生の机まで呼び出しました。そうこうしているうちに、健一郎も呼び出されました。

「上吉健一郎!」

 健一郎は、はいと返事すると、先生のもとまで行きました。

 先生は、座ってテストの結果を見ながら、テストを赤ペンでとんとんと叩きました。

「健一郎~! もっと努力しろよ! こんなんじゃ、これから苦労するぞ!」

 先生は、テストを半分に折って、健一郎に渡しました。健一郎は、自分の机に戻ってテストの点数を見てみました。なんと三十一点。最悪です。この点数は、過去の最低点数よりも低いのです。


―これはまずい、父さんになんて怒られるか~―


 ランドセルに、テストをしまいました。そこに、守と武がやってきました。

「見てくれよ、この点数」

 テストを見せてきたのは守。八十一点でした。武も見せてきました。

九十点。

「今回のテスト簡単だったよな~俺でも、八十点台だせるなんて!」

 そういうのは守。そうなのです。守はいつも五十点台をさまよっている頭が悪いほうなのです。その守も八十点台。健一郎はとても悔しい思いをしました。


 学校から帰ると、勉強を始めました。一時間、一時間半と時間が経っていつの間にか柔道の教室に行く時間になっていました。お母さんが、健一郎の部屋までくると、

「柔道行かないの? もう時間よ」

 健一郎は、脇目も振らず言いました。

「今日は、勉強するから休む」

 お母さんは、

「今日もしかしてテスト返されたの?」

 健一郎は、言葉が出ませんでした。お母さんは、ランドセルをひっくり返すと、例のテストを見つけました。お母さんは、もう鬼の形相です。

「健一郎、何やっているの! この点数! 何で今まで勉強しなかったの!」

 健一郎の耳を上に引っ張りました。痛くって痛くって涙が出そうです。がここで反論しました。

「お母さんとお父さんが、ぼくに柔道をやらせるから、時間がなくなったんじゃないか」

 お母さんが嘆きます。

「あ~あ、情けない。こんな子に産んだつもりは無かったのに。柔道のせいにするなんて! いつでも時間はあったはずです」

 お母さんは勝手にしなさいと言って出て行きました。結局この日は柔道を休みました。夕ごはんの時、お父さんはそのことについて何も触れませんでした。そのことだけが、健一郎をほっとさせました。


この日から、柔道を一週間休みました。勉強するためです。しかし、三日ぐらいたつと、もう飽きてしまい、隠れて携帯ゲームをしてしまうのでした。

日曜日の夕食の時間。お父さんは、突然こんなことを言いました。

「健一郎! 柔道は、もうやめてもいいぞ!」

その言葉を聞いて、お母さんは、はしを落としてしまいました。

「あなた! そんな無責任な事言わないで!」

お母さんは、立ち上がって大声でどなりました。お父さんは、手で制します。すると、お母さんは、座りました。しかし、心配そうな顔をしています。

お父さんは、笑みを浮かべています。健一郎は、わけが分かりませんでした。お父さんは、いたわるように言いました。

「怒ってないから。 どうなんだ。やめたいのか?」


 うつむきながら答えます。

「柔道は、止めたい」と。

 その言葉を聞いて、お父さんはうなずきました。しばらく健一郎を見ていました。

「分かった……やめてもいいが、条件がある。それは、お父さんが見ている試合で一勝でもすることだ。」

 お父さんは一言一言、健一郎に言い聞かせました。

「健一郎、今のままじゃ、将来ろくでもない人間になってしまうぞ」

 目の前にあったコーヒーを飲みのみました。

「健一郎、勉強のために柔道休むといっているけど進んでいるのか」

 健一郎はうつむきます。実際ほとんど進んでいないのです。その様子をみて、お父さんは言いました。

「わかるね。ぼくは、一度でも健一郎ががんばったという証しを見てみたい。それだけなんだよ。この意味が分るね」

 健一郎はうなずきました。お父さんは満足そうでした。


次の日学校が終わって道場に行くと、まだ誰も来ていませんでした。いつもは、始まるまで携帯ゲームをしているのですが、この日は、道場に置いてあった柔道の本を読みだしました。しばらくすると、何か気配を感じました。振り向くと柔道着を着た先生が、後ろから本をのぞきこんでいます。

「健一郎、珍しいなあ! やっと柔道の面白さに気が付いてくれたか?」

先生は、驚いた顔で健一郎を見ました。ただ「はあ」と答えました。おもいだしたように聞きました。

「先生、柔道の試合とかってないのですか?」

「交流試合ならあるよ。なんだ? 健一郎出たいのか?」

 うなずきます。先生は、腕組みして考えました。

「どうして、急に出たくなったんだ?」

 答えに詰まりましたが、お父さんに一生懸命やるところを見せたいといいました。 ただし、試合して勝ったら柔道をやめてもいいという約束は、黙っておきました。 先生は、腕組みして考えました。

「そうか、確かになあ、健一郎は、いくじがないからなあ」

 先生はしばらく目を閉じていました。そして、

「やる気はあるのか」

 うなずきます。

「分かった! 六ヶ月後にあるトナリ町の道場との交流戦に出てもいいぞ」

 健一郎は喜びました。先生は、

「ただしだ! 六ヶ月間、一生懸命がんばれ! 中途ハンパな気持で柔道をするな!そして、健一郎のがんばった姿をお父さんに見せてあげなさい!」

 健一郎は大きくうなずきます。先生は、満足そうに大きく笑いました。そして、右手にしている腕時計を見ると、

「さて、もうすぐ時間だな。健一郎も、早く柔道着に着がえろよ」

 向こうの方に歩いて行きました。周りを見回すと、柔道着を着た生徒達がそれぞれ思い思いにじゅうなん体そうをしていました。リュックサックから柔道着を取り出すと急いで着替え始めました。


 健一郎は、受け身に、足技に、投げ技。基本に忠実に学んでいきました。健一郎は、五か月もすると、得意な投げ技を覚えました。その技とは大腰です。相手の腰を自分の腰にのせて投げる力強い技です。一緒に柔道の事を話せる友達もできました。 いつも、柔道の練習が終わると、話ながら帰るのです。そんなある日の事です。


この日も、柔道の練習が終わって、帰ろうとすると、先生に呼び出されました。

「健一郎……ちょっといいか?」

 健一郎と、先生は、柔道場の片隅に行って正座しました。先生は、健一郎に単刀直入に聞きました。

「健一郎……健一郎は、本当に柔道をやめる気なのか?」

 うつむきました。声を出そうとしますが、声が出ませんでした。

「昨日、先生の道場に、健一郎のお父さんが、やってきてなあ……健一郎の様子を聞きに来てなあ、その時に話は全部聞いたよ」

 先生の顔が見られません。

「なあ、本当に辞めたいと思っているのか? やめたいから、がんばっているのか?」

 なんとか答えました。

「分からないです……今は」

 健一郎は先生の顔を見ました。先生は、健一郎の事を見つめています。その目は、とてもすみきっていました。先生のその目を見ると、健一郎の目からは、なみだがあふれてきました。

「なんでなくんだ」

「すみません」

 健一郎の目からは、なみだがとめどなくあふれでてきます。

「何もせめるわけじゃない。ただ、これだけは、いいたい。せっかくここまで来たんだ。ぜったいに勝てよ!」

 声をふりしぼり「ありがとうございます」と言いました。

「ほら、もう泣くな。友達が待ってくれているぞ!」

 先生は健一郎の背中をぽんと叩いてくれました。


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