2.

 もしこの世界に「天道学歴院」なる組織が存在しなければ、私たちは千年遅れた文明を過ごしていただろう。だが、なんの因果か知る由もなく、「天道学歴院」は突如として歴史の表舞台に登場し、「情報統御魔法学術」という画期的な技術を広く世に知らしめた。無から火を生じ、水をもたらし、大気を清浄し、争いを制し、人の子を屈服させる。その営みを嘲笑うかのように、「魔法」は人類史の頂点に君臨した。「魔法」を使う存在は「神の子」と崇められ、またその技術を有した「天道学歴院」が世界を制するであろう予感は、誰の胸にも存在していた。ここではその詳細を語らない。だが、「魔法」が世間に浸透するまでには長い年月と、相当の血が流れたことは、記憶にとどめておかれたし。

 ともあれ――「魔法」が世間にとって一般不変となる過程で、失われた職業というものが多々存在する。共和国議会、ならびに首長は失職者対策として急速かつ大規模なインフラ整備計画を発令した。即ち、水道、下水道、道路、橋梁、空路の整備である。オルカ橋も、その一環で建設された大規模橋梁施設の一つである。私はその整備の中核、つまり施工管理者として携わった経歴を持つだけに、二度とその橋梁を歩まないと決意した。

 思えば、私はあの橋を完成させるために生を受けたのだろう。それだけの苦心はしてきたつもりだ。1.5㎞にも及ぶ延長の橋を施工するなどという前例は、大陸全土を探しても例がなかった。それに、あくまで「職業難民」を救済する一環としての、橋の施工である。「魔法」が台頭する世で、あくまで人力を用いて、1.5㎞もの大河を横断する橋を、私はこの世に生み出さねばならなかった。計画は難儀し、設計書の作成だけで三年を要した。施工から完成までにさらに五年を要した。その八年の間に、妻が流行り病にかかり亡くなった。ろくな葬式も挙げないまま、私は人生の全てを橋に捧げた。無事に開通式を終えた時、私はすでに五十五歳を数え、もはや自分の人生に残したものが何もないことを悟った。妻との間に子供は授からなかった。あとは死ぬのを待つだけだった。私は、グランバロル王朝の血統を引くいわゆる上級貴族であったが、政治に参与するだけの気迫を失っていた。王侯、議会、さらに天道学歴室という三すくみの入り組んだ勢力図の中で、今更なにを張りあおうというのか。私は隠居を宣言し、自宅に閉じこもった。朝食をたいらげては、妻の顔を思い出す。日中の大半はそうして過ぎた。

 ある日、自分の存在がひどく不明瞭になったので、オルカ橋を訪れた。それは自分がこの世に残した唯一の『もの』であった。しかし、その橋を目の当たりにしたところで、はっきりと自分の生きがいを思い出すことができなかった。ただ、辛かった出来事だけが脳裏を過ぎ去っていく。無理な施工、無茶な計画、王侯の怒声、現場監督員の懇願、そして、私は――。


 いつしか自宅にいる時も、自分の為した栄光にも縋れなくなった。そして、古い連絡橋で時間を過ごすことが多くなった。連絡橋とは、この国が共和国でなく王国だった際、大陸と王国を繋ぐ商用路として使用された鉄橋である。施工から百余年経過しているにも関わらず、連絡橋は頑強に、オケアノス大河の激流を受け止めている。一か月に一度のメンテナンスを要するオルカ橋とは、ゲタの強度が違う――文字通り強度のケタが違うのだ。私は、いつしか太古の人の技術と業に思いを馳せるようになった。


 私が旧連絡橋に通い詰めるよりも前に、彼女は野良のバリ屋としてそこを根城としていた。思えばはじめて会ったとき、私は彼女の呼びかけに気が付いていなかった。だが、彼女はいつだって最初から私にこう問いかけていたのだ。


「バリヤ、おひとついかがですか」と。


 私がその言葉に気が付いたのは、今から三年前になる。

 以来、私は彼女が張ってくれるバリヤと共に、連絡橋を歩くのが日課になった。彼女はと言えば、私から50ベニス(※当時、共和国では200ベニスがパン一つ分の値段だった)を受け取るのが日課となった。 

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