第9話 終わる夢

「先生、先生。私ね、昨日カエルをたくさん見つけたんだ。十二匹も」


 小峰は、夢を見ていた。教師を辞して数年後を舞台にした夢だろうか。教師を辞めてすぐに働いていた、パッとしないカバン販売店で接客をしていた。

 接客相手は、カバンを買う気が更々ない元教え子の蛇間じゃかん紅子べにこ。小峰が無職に追い込まれる原因を作った少女だった。


、全部食べてやったか?」


 上手いギャグを言ったと思い、小峰は誇らしげな笑みを浮かべる。だがそのギャグは紅子には意味不明だったらしく、引きつった顔で、


「うわ、おっさんだ。おっさんだー」


 と騒がれていた。そして実際に、小峰は誰が見ても「おっさん」だった。

 ハゲ散らかし、申し訳ない程度に生えた産毛のような髪は、脂ぎった頭皮の上でうねりにうねっている。小峰の顔は、別の教え子の言葉を借りれば、「赤ん坊を擬人化させたような顔」だった。要は、赤ん坊がそのまま大人になったような顔だ。だが、可愛い訳ではなく、どこか不気味さと気味悪さを持った癖のある顔だった。

 ビールと年齢のせいで出っ張った腹は、彼を余計「おっさん」らしくしている。


「俺はおっさんだよ。お前さんもじき、おっさんになる。というか、すでに中身は立派なおっさんだ」

「そんな訳ないし。あ、猫だ。可愛いな〜お前〜」


 小峰の言葉を忘れたかのように、彼女は猫の元へ駆け寄り、写真を撮り始めた。

 すると突然、小峰の夢にどこからともなく彼の今までの教え子たちがゾロゾロと現れ、彼を取り囲んだ。


「団子屋さん!! 団子屋さん!! 団子売ってる!!」


 そして子供のように駄々をこねながら、団子を買うようにせがむ。

 夢だ。小峰はぼんやりとだが、気付き始める。だが、彼は今見ている光景が、例え夢でも構わなかった。夢の中だからこそ、できることもある。今のように、現実では会うことはもう叶わない教え子たちから、団子を奢るよう要求されることも、夢だからできることだった。

 小峰は溜め息を吐きながら、目の前に立つ元生徒に千円札を一枚渡した。彼は溜め息を吐いたものの、心の中では喜んでいた。心の底から、今自分が置かれている状況を楽しんでいた。

 だが目の前に立つ元生徒が紙幣を手にした途端、世界は淡くなり始め、小峰はゆっくりと目を覚ました。


 夢は終わる。あまりにも、あっけなく、唐突に。


 時計が置かれていない部屋で、小峰は時間を確認することは叶わなかった。だが施設の外から特に大きな音が聞こえない様子から、彼は今は目覚めるにはまだ早すぎる時間だと気付いた。


 施設の扉から漏れる外の空気が、小峰を少しずつ、現実へと連れ戻す。


 ───煙草が吸いたい。


 小峰は暗闇の中、枕元を探った。そして布団のすぐ横にあった箱を掴み、中を覗くが空っぽだった。グシャリと箱は潰される。

 昨日は確かに、数本煙草が残っていた。小峰はそう記憶していた。だからきっと、熟睡していた間に、あの飼育員が抜き取ったのだろう。小峰はそう確信した。それしか、考えることができなかった。


 自分の知らない所で、密かに何かが進められている。


 小峰の飼育員や職員、国に対する疑惑は更に深まっていく。

 心のざわめきを無視して、小峰はもう一度体を毛布で包ませると、ゆっくりと眠りの底へに落ちていった。

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