第5話 客寄せ中年喫煙者
翌日は、午前は美村が動物園で公開さて、午後から小峰が展示される予定だった。
そのため、小峰は前日、警官から言われていたように、病院で喫煙をした翌日の検査、そして精子の採取を行なった。
やはり、病院の医師や看護師たちは淡々と作業を進めていた。それが彼ら、彼女らの仕事なので、仕方がないとしか言いようがない。小峰もその日はモルモットになった気分で、午前中を過ごしたのだった。
検査や採取を終えた後、小峰はガラス張りの展示室へ向かい、そこで昼食を済ませた。来園者たちは部屋の中央付近で、ただ黙々とオムライスを食す、中年の喫煙者をジッと見つめた。
小峰はやはり、なぜ自分がこうも興味深そうに観察されるのか、理解できないでいた。喫煙することが彼にとって『普通』のことであり、習慣だった。全盲の人にとって、視力がゼロの状態が普通であり、また持病を持つ人が毎日欠かさず、薬を飲むように。彼にとって喫煙は、生活の一部だったのだ。
観察されながらも昼食を済ませた後、暇になった小峰は、懐から煙草を一本取り出す。そして使い辛いマッチ棒で、煙草に火をつけた。
火のついた煙草を吸う小峰の姿を、来園者たちは嬉々とした表情で観覧する。
煙草に口をつけ、吸い、煙草から口を離し、煙を吐き出す。そして、たまに煙草の先にある灰を灰皿に落とす。その一連の動作を人々は、まるで魔法でも見るかのように、目と口を大きく開けて凝視する。中には、スマホで撮影している者もいる。
まるでパンダになった気分になりながら、その日もまた小峰は、ほぼ一日中、煙草をぼんやりと吸い続けていた。
夕食後も、ビールを呷った後も、結局誰とも話さず、何も考えずに、ただ煙草を吸い続けていたので、小峰は急に中学校で教師をしていた頃に教えていた子供達に会いたい衝動に駆られた。それももう、叶わない訳なのだが。
「客寄せ中年喫煙者・小峰」
就寝前に、小峰はふと浮かんだ言葉を呟き、一人で笑った。そして寝る前に、自分がどう紹介されているのか考えてみることにした。夕食の時に飲んだビールが回っているのだろうか。その晩の小峰の調子は、すこぶる良かった。
「小峰ヨシヲ。四十六歳。喫煙者。人間。オス。ハゲ散らかしたうぶ毛のような毛並みをした中肉中背。ひょんなことから中国に渡り、中国語を学ぶ。その後、東京の学校で十年近く中国語を教えるも、クビになる。なんやかんやあって、今に至る」
自分で言い始めておいて、小峰は悲しみに打ちひしがれた。そして自分の人生が、果たしていいものなのか否か、考え始めてしまった。
夜中、布団に潜り込んでいると何の突拍子なく、人生についてだとか、生死について考え始めてしまうあの現象に、小峰は見舞われていた。
小峰の人生はきっと、世間的に見て成功している人間や宗教熱心な人間から見れば、悲劇の中の悲劇なのだろう。独身、家族とも疎遠、喫煙者、職を失い現在は動物園で展示されている。悲惨極まりない人生だ
だが彼のような世間からの期待から外れた人生を歩みたいと望む者にとっては、きっと小峰の人生は理想のものだろう。
誰かの人生が幸福が不幸かは、一概に決めつけることはできないのだ。
結局、自分の人生について考えることに疲れてしまった小峰は、アルコールの影響ですぐに眠りについてしまった。
中年喫煙者がその晩、どんな夢を見たのか。それは彼自身しか知らないことである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます