005 日常5

「準備、終わったみたいですね」


振り返った先に、師匠と、師匠に寄り添うように立っている黒い髪の姉さんが立っていた。


「あ。もう少しかかりそうです。鍋の準備がまだ終わってないんでーー」


立ち上がって、鍋の中を確認すると、予想通りお湯というには程遠い状態の水がゆらゆらと揺れている。


「この感じだと、あと二、三分ですかね」


鍋の中を覗いた所、中の様子を見る限り、その程度時間がかかると予想できる。

長い間、鍋の面倒を見てきたから自信はある。

この感覚だけは、自信を持って伝えることが出来る。


顔を上げると、師匠がこちらを見ていた。

目が合うと、軽く頷き、目線だけ黒姉さんの方へ向けた。

意図を理解している黒姉さんは、こちらを向きながら、頷いていた。


「いつも通り、後は任せてください。お疲れ様でした」


そう言うと、黒姉さんが作業場の中へ入ってきた。

それと、ほぼ同時に、バタバタと足音が聞こえた。

ホールの方から、誰かが走って来たのだろう。


「ほいっと!」


白姉さんが、入り口に立っている師匠の首に抱きつくようにして、作業場へ飛び込んできた。

師匠は、気配に気づいていたのだろう、特に驚く様子も無く、平然と受入れており、蹌踉めく事なく、微動だにしていなかった。


「あなたは……転んだらどうするんですか」


呆れた表情をした黒姉さんが、振り返った。

師匠は、肩をすくめていた。


「問題ねえだろ。こいつだって気づいてたんだからよ」

「そうですが……」


師匠は、白姉さんが顎を乗せている方の腕を上げた。

そして、白姉さんの頭をくしゃっと掻き分けるように撫でる。

気持ち良さそうに、一切の抵抗する事なく受け入れていた白姉さんが、何かを思い出したように、目を見開いた。


「おい、ルイ。あいつらホールで菓子食ってんぞ。さっき見た感じだと、もう無くなっちまうな……」

「えっ! 残しておいてって言ったのに」


それを聞いた白姉さんは、快活に笑っていた。


「あいつらが、そんな気を効かせる訳ねえって。早く行けよ」

「あの……後は任せていいですか?」

「おう、任せとけ」


はやる気持ちを抑え、力の放出をやめて立ち上がり、小走りでホールの方へ向かう。


姉さん達が作る菓子は、びっくりするほど美味い。

不思議と疲れが取れる感覚がするのだ。


入り口あたりで、材料の様子が気になって、作業場を振り返った。

すると、直後、頭を撫でられる感覚がして、少し驚きながらも頭を上げると、優しい顔でこちらを見ている師匠がいた。

不思議に思いながらも、首にぶら下がるようにして立っている白姉さんの方を見ると、白姉さんがにぱっと笑った。


「有難うってよ」


気恥ずかしくなって、そそくさとホールへ向かう。

その後、気の利いた返事ができない自分がいることに気づき、どこか、師匠に悪い事をしている気分になった。

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