4‐12



「え―――」


 誰かの声に急かされて、振り返った。

 支えがなくなったメグミが大きく体勢を崩し、地面に倒れかける。

 ミキオは銃口を此方に向けていた。振り返った俺に気づいてもミキオは何とも思っていない。トリガーに指をかけてあいも変わらず無表情で、彼の姿が俺には死神に見えた。


 銃声が響いた。放たれた銃弾がゆっくりとくっきりと見えた。


 一瞬のことなのに銃弾がはっきり見えたのは、きっと誰かさんが俺にチャンスを与えたのかもしれない。

 無我夢中で俺は蹲る二人の前に立ち塞がった。

 放たれた銃弾は俺の肩を掠めて、鮮血をまき散らしながら筋組織を抉っていく。

 血が肩口から流れ出す。水中に潜っているかのような聴覚がメグミの断末魔をとらえた気がした。出血を押さえようとする掌が生温く濡れていく。


 また銃声は鳴り響く。今度は脇腹を掠めた。


 遅れて痛みが頭を揺るがす。

 心臓が何度も、何度も、何度も、何度も、飛び跳ね、口から出てしまいそうだ。血が口腔内に溜まり、俺は堪らず吐き出した。ぼやけた視界の中でまだミキオが俺に銃口を向けているのが分かった。

 痛いよ。

 解放してほしいよ。

 痛覚は俺に死を選ばせようとしている。でも、退けなかった。

 俺が死んだら後ろのシュンとメグミはどうする。

 そう考えた時また声が響いた。


『聡、根性見せてみろ』


 頭で響く声に突き動かされ俺はまっすぐにただ走る。作戦も何もない。でも何とかしてやる。


 走れ、走れ、走れ―――


 一刻も早く止まりたい身体に何度も鞭を入れる。痛みを体の中から吹き飛ばすために叫んで、叫んだ。

 近づくにつれ、ミキオの姿がはっきりと見えてくる。何故か、ミキオは銃口を向けたまま硬直していた。


 ラッキーパンチでも何でもいい―――とにかく当たれ。


 目の前で止まり、右を軸足にして内臓が飛び出るほど体を捻じり、腕を弓のように限界まで引きつける。筋肉が軋み、追いやっていた激痛が身体を駆け抜ける。


「うぉらぁぁあぁあぁあぁぁぁ――――! 」


 溜めこんだ痛み、怒り、気合をすべて拳に込めて、俺は棒立ちするミキオの顔面を貫いた。

 衝撃のままにミキオは後ろに吹っ飛び、アスファルトに身体を打ち付けてバウンドする。

 ミキオは短く息を漏らし、その後動かなくなった。

 アドレナリンで見えていた景色、聞こえていた音、嗅いでいた空気が霞み、痛みに屈服した俺は地面に崩れ落ちる。


『ほう。根性あんだな』

 むくりとミキオが立ち上がったのが見えた。


 もう無理だ。


 膝から下の力が入らなくて俺は天に祈りながら曇り空を仰いだ。その時、視界は影で覆われて、俺はミキオが覆い被さっていると数秒後に気づいた。


『いい拳だったぜ。まぁこいつはすぐ起き上がるだろうけど』


 屑になるまで破壊したミキオの鼻から血が溢れている。鼻血が俺の顔に止めどなく降ってくる。


『なんて顔してんだ。男なら泣くなよ』


 完全にマウントの取れる体勢。だから絶望は瞼から際限なく溢れてくる。

 なのにミキオは清々しい笑顔をうかべたまま、俺を殴ろうとしない。


 何故だ?


 耳は自分の鼓動だけを捉え、音を際限なく増幅させる。

 もう拳を握る力もないし、手元に手っ取り早い打開策もない。そもそももう指先すら動かない。

 終わった―――そう思った時、違和感に気づいた。

「お前、幹夫じゃない―――」

「そうだよ。『またな』って言ったろ? 」

 もう聞くことができないと思っていた声。

 そうか。

 目の前の男はミキオだがミキオではなかった。

 血気盛んな肉食獣のような顔なのに微笑みに確かに彼の面影を感じる。

「なんだよそれ。なら早く言ってくれよ―――」

 安堵したとともに、一気に体の感覚のすべてが霞んでいく。身体がふっと軽くなる感覚がして、そこで俺の意識は途絶え、


 瞼を閉じようとしたその瞬間―――


『今度こそ本当にお別れだ。じゃあなサトシ』

 いつの間に登場し、あっという間に居なくなるんだな、お前は。

 いつの間にか頬に触れていた俺の手が地面に倒れる。

 サヨナラの言葉は口から滑り降ちることなく、血の溜と一緒に喉の奥に引っ込んでしまった。

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