4‐11



「動かないでください」

 ナナスケのこめかみには銃口が当てられていた。

 人質にとられている本人はおもちゃと勘違いしているが、紛れもなくこめかみに当てられているのは本物の銃だ。黒のコルト・ガバメント。ロクロウの青ざめた顔を見た時、予感が確信に変わる。

「幹夫、なんで…… 」

 力ない声が人混みの喧騒に混ざって搔き消える。

 行き交う人々は搭乗することに気をとられているせいで、特にこちらを注視することなく過ぎ去っていく。立ち止まっているせいで通行人と体がぶつかった。通行人は俺を睨むが、それだけで、すぐに視線を戻し、搭乗口の方へ消えていった。

「頭。ただのガキだった俺を拾ってくれたことには感謝しています。ですが沈みかけていた船に乗る気になるほど俺は義理堅くはないんです。すんません」

 ミキオは小さく頭を下げた。その態度に反省している様子は伺えなく、それを見たロクロウは奥歯を食いしばり、顔を悔しさで染めた。

 組長は、唖然としたままで、俺含め他の面々も同じような表情をとっている。

「とりあえず、車貰いますんで駐車場へ。あ、姐さんと組長はその場に残ってください。まぁ解放するわけではないですが」

 人ごみに紛れていた黒スーツはいつの間にか取り残される二人をとり囲む。

「あんまり人が多いといいことは起きませんからね。分断させていただきます」

 とり囲む三人の黒スーツの手元にも小銃が握られていた。

「では此方へ」

 走り抜けてきたバスロータリーの脇道を戻って、何だか振出しに戻った気がした。

 ミキオの声はまるで日常会話を交わすかのようなトーンで表情もいたって平静だった。だからこそ恐ろしい。

 ロクロウと行動を伴にしてきて、ヤクザってのは怒らせれば怖いだけで、根は義理や任侠を大切にする男達だと思っていた。だがそんな人物像が当てはまるのはむしろ希少で、大概は裏切り、保身そして暴力にまみれた世界なんだと自覚する。

 駐車場に差し掛かり、人の往来が一気に減る。


 その時、銃声が響いた―――

 眼の前の人影が、身体を捻らせながら後ろへ吹っ飛んだ。銃声は雷鳴のようで、一瞬で身体がその場の空気に押し固められる。

 隣を歩いていたはずのロクロウは、俺がヤクザのイメージについて考えていたうちに行動を起こして、その結果失敗したのだ。

「そろそろだと思っていました。頭」

「……その名で呼ぶんじゃねぇ。裏切り者」

 数歩先でロクロウは右肩を押さえて膝を落としている。

 だらりと垂れた右腕はおそらく肩口から筋組織を破壊されているのだろう。そこだけが肉塊と化してロクロウの身体にぶら下がっているように見える。

「何年行動を共にしてきたと思ってるんですか」

 ミキオは不敵に笑うでもなく、ロクロウを揶揄うでもなく、あくまで無表情のままゆっくりと此方に迫ってくる。

 感情が見えないってのはこんなに恐ろしいのか。瞳は目の前の景色を映し出しているはずなのに、急に視界が真っ暗闇になってしまったような恐怖が体を襲う。

「見えない……あの人次何するの? 」

 場のプレッシャーで潰れかけたメグミの声が、隣りで聞こえる。返答はしない。というよりできない。

 俺とシュンは銃声で腰が抜けたメグミを覆い隠すように前に立つのが精一杯だった。

 ミキオは銃口をこちらに向けたまま、依然としてナナスケを抱きかかえたまま、俺の前に立つ。

 生きている心地がしない。地面に立っている感覚がない。

「あなた達はもういいですよ。帰ってください」

「え―――」

 呼吸することすら忘れ、時が止まっているかのように口を開ける俺達に向かってミキオは続ける。帰っていい、と。

 やめてくれ。これ以上の混乱を俺に与えないでくれ。困惑したまま俺達はその場を動けないでいると、

「だってね、一般人射殺したら一之瀬組に早速迷惑をかけてしまいますし、死体の処理って結構面倒なんですよね。廃倉庫ならまだしも、ここ空港の駐車場ですから」

 射殺に死体処理。

 平然とミキオはそう言いきった。なんの躊躇いもなく。おそらく彼らにとってその物騒な言葉はおはよう、お休み程度に馴染み深いのだろう。

「あ、それと忠告です。このことをもし、あなた達が警察などに喋って、私達が捕まったりしたらそこにいるあなたや、あなた達の家族―――全員殺しますからね。というより一之瀬組が検挙された瞬間からあなた達のせいだと判断して殺しに行きますから」

 筋は全く通ってないが、迫る威圧と狂気で反論することができない。

 ミキオは目の前に立っているだけだ。それなのに、両手で頭を掴み、潰されていく感覚が襲ってくる。自分が溶けるほどの汗が溢れる。

「あ、そうか。じゃあ―――これでどうです? 」

 一拍の溜息の後、俺の頭の中を覗いたかのようにミキオは手に持っていた銃をその場に捨てた。

 奪う力の詰まった金属の塊がアスファルトに転がった。

 張り巡らされた緊張がぶちぶちと引き千切れて、俺達はやっと一歩後ずさりすることができた。

「早く逃げろ……」

 ロクロウの背中は震えていた。

「でも―――」そう言いかけた。

 振り返ると後ろで腰を抜かしていたはずのメグミが立ち上がっていた。だが、膝は激しく横揺れしている。メグミの脚は体重を支えるので精いっぱいに見える。

「下手な正義感なんて見たくないのですが。もたつくのも今後の計画に差し支えるので、考える猶予は、そうだな……三十秒だけにしましょう」

「俺のこと…はいい。逃げろ」

 声は発せられた瞬間から霞んでいく。この場で抗うとしたらロクロウの力は必須だ。だがロクロウはもう息絶え絶えだ。

「あなた達、服装からして巻き込まれただけでしょ? だったら、気にすることはない。この人は殺しますけど、仕方ないですよ。別にあなた達にとっては他人のわけですし。あなたが罪悪感を抱くのはお門違いです」

 俺とシュンはメグミと違って、自分の両足で体重を支えられているし、一歩踏み出す余力はある。でもその力は在るというだけで、本能はそうさせてくれない。

 結局は三人とも立っているので精いっぱい。

「三十秒です」

 ミキオは右手首にはめられている腕時計を確認して再び俺たちに銃口が向く。

「帰ろっ……か」

 メグミだけはそう言わないとどこかで期待していた。だがそれはあっけなく覆る。

 何事に対しても諦めの悪いメグミが折れた。彼女の言動は三人にとって、抗う力を失くすには十分だった。

 メグミの両脇に俺とシュンは頭を滑り込ませる。担ぐようにしてメグミを引き連れて歩き始める。


 これでいい。これしかない。想いを圧しつけ、逃げに走ることを必死で肯定した。

 一歩ずつ一歩ずつ騒動の渦中から遠ざかっていく俺はとにかくみすぼらしくて、空から見れば俺の背中は敗者の背中そのものだろう。


―――本当にその通りだよ。


 自分を責め続ける声は頭に浮かぶだけでなく、幻聴となって聞こえてくる。何とでも言え。これが最善のはずなんだ。


―――本当にお前はそれでいいのか?


 いいんだよ。仕方ないだろ。


―――ふーん、仕方ないねぇ。


 誰かが俺の言葉に相槌を打つ。

 困難な壁にぶつかった時、頭の中でその壁を何枚も厚くして、何段も高くして、その結果、現状維持でいいやと諦める時この言葉を俺達は使う。言葉の後に続くのは艇のいい自己肯定で、一瞬の衝動に身を任せるのはきっと愚か者がやることだ。そういって俺は逃げてきた。俺はまた、逃げるのか?


―――そうだよな。折り合い付ければ楽だもんな。楽はいいよな。


 うるさい。だって本当に仕方がないのだ。命を失えば、それこそ本当にどうしようもないのだから。振り返って突っ込んでいっても犬死するのがオチだ―――、


『危ない―――』


 傍で誰かが、叫んだ気がした。 

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