4‐5
状況は俺の思っている以上に切迫していた。八鷹組の事務所を襲撃され、抱えていた構成員たちはすでに転々バラバラで生死すらわからない。
そんな状況の中、直系の血を受け継ぐ八鷹家の人間だけが辛うじて安否を確認できる状態であった。
組の長である八鷹義雄、それに六郎の妻である八鷹夏鈴。彼らはロクロウがずっと子分として手をかけてきた幹部の幹夫に預けてあるそうだ。
だが、追っ手から逃げ延びたとしても長期間身を隠す場所はなかった。義雄の別荘はすでに襲撃に会い、軒並み壊滅状態。かといってビジネスホテルなどを渡り歩くか。多分それはその場凌ぎにはなるが、長続きはしないだろう。それに、ロクロウの妻である夏鈴さんは現在ナナスケの弟を身籠っていた。
生まれてくる子供のためにも一刻も早く一家はリラックスできる場所が必要だった。
「このまま、逃げ続けても、いずれは捕まってしまう可能性もあるわけですか」
トイレから戻ってきたシュンが、会議に合流する。
「でも弱体化しているのなら、シマから追い払えただけで別にいい気もしますけどねぇ……」
「それがな、八鷹組には隠し財産ってのがあってな。もし、組が立ちいかなくなった時のために札束じゃなくて―――」
「ああ、ブラックオパール……」
ロクロウの言葉の続きを俺が引き継ぐ。すると、頭を垂らしながら「そう……」とロクロウが呟いた。
静まり返る俺たちをよそに騒動の種はすやすやとソウゴとともに眠っている。
無邪気な寝顔を晒していますけどね、あなたの身体の中には大金があるんですよ。と自覚を促したい気持ちはあるが、相手はまだ小学校に上がったばかりのちびっ子だ。ここはぐっと堪えよう。
「クソ……なんでこんな時に」
俺は何か打開策はないかと必死に考えを巡らせる。事態を再度整理するのをはじめに、あらゆる可能性を模索するため今まで起きたことを額に汗を垂らしながら遡る。
「あ―――」
そうしてひとつの考えが過った。
「なに、さっさん。いい考えが思いついたの? 」
「いやまだ、可能性の段階だけど、とにかく電話してみないことには始まらない」
ポケットから取り出したスマートフォンに無我夢中で番号を打ち込む。長い発信音の後、受話器の向こうで野太い声が響く。声の主は「ああ」とか「うん」ぐらいしか言わなく、短くそっけない返しの中では本当に力を貸してくれる気があるのか相変わらず汲み取れそうにないが、何とか了承を得られたみたいだ。
逃走劇というのは、予期せぬアクシデントがつきものだ。それは映画の十八番で、ノンフィクションでも可能性は十分にある。念には念を入れておこう。
またスマートフォンに番号を打ち込み、違う電話口へ呼び駆ける。
そして、とりあえず手配が済み、俺はスマートフォンを耳から話した。一息つくと全員が俺を凝視していた。
「ギンの倅、何か打開策があんのか? 」
俺はゆっくりとうなづく。
すると、各々半信半疑ではあるが車内の閉塞感が少し和らいく気がした。
「例えばの話なんですけど、しばらく常夏の国で暮らすなんてのはどうです? 国は―――タイとか」
「「「タイ? 」」」一同の声が揃う。
受話器の向こうにいたのは、尾形総一郎だった。男はメグミや俺が通う高校の学校長であり、元男の美人妻を持つ夫でもある。
彼らは、新婚旅行と称して、清子さんの性転換手術を行った際に、タイという国をいたく気に入り、別荘まで購入していた。
やっぱ金持ちは買い物の規模が違う、なんて思いながらその時は嫌々相槌を打っていたが、まさかそんな他愛無い話が救いの手になるなんて。人の話はきちんと聞いておくものだ。
「うちの校長がタイに別荘を持っているんですよ。それで今連絡をとったらですね、どうやらそこはタイを訪れる時しか使わないらしく、なのでしばらく住むことが可能らしいんです。どうでしょうか? 」
「それ本当に言っているのか? 」
信じられないと言わんばかりにロクロウが訝しむ。信じられないと思っているのは、周りだけじゃなく何より俺だ。二つ返事で別荘貸せるなんて。持つべきものはやっぱり金持ちの知り合いか。
「さっさん、校長動かせるとか何者なの? 」
「恵だって、校長のパートナーだったろ」
「だったけど……それきりだし」
「お前ら二人、一体何者なんだ……」
ロクロウは驚嘆と共にため息を漏らした。
「じゃあ、やっぱあの噂って本当だったんですか」
驚嘆の様なあるいは失望のような感情がシュンの口調から伝わってきた。
「うわさ? 」
「はい。恵さんと尾形校長がその……愛人関係だったとか」
「それ違うからっ! 」
「ぐふぁっ」
人間離れした力で、後頭部を叩かれたシュンの頭が車のシートに突っ込んで減り込んだ。友人の一人が、頸髄損傷を患いかねない危機的な状況にもかかわらず、ああ、そんな噂もあったなと俺は呑気に振り返る。
「恵ちゃん。店ではちょっと不器用ででも優しくて純粋な子だと思っていたが、実は器用な子だったん―――どぅへっ」シートに減り込む男がまた増える。
「だから違いますって! 話すと長くなるんで、割愛しますけどあたしは校長先生とダンスを踊ることになって、それでパートナーだった時期があってですね。だから他の生徒とはちょっと仲がいいだけ!それだけなんで!」
顔のパーツすべてを真っ赤に染めて必死で弁明し続けるメグミの声で起きてしまったナナスケが近寄ってくる。
「おねぇちゃん。怒っちゃあやだよ」諭すように呼びかけたおかげでやっと騒ぎは静まる。
陽が沈み、夜の訪れとともに疲れがどっと押し寄せて、眠気が身体を襲う。一同は空港へ行く道のりで何が起きてもいいように交代で眠ることとなった。
普段何気なく過ごしているはずの夜から朝への移り変わり。今日だけはその時間がやけに長く感じる。
学生組やちびっ子、それにソウゴが眠る中、俺とロクロウは何を話すでもなくただ煙を吐き出しながら夜明けを待った。
真夏の夜明けは早く、朝四時頃になれば、くっきりと見えていた月の輪郭は朧げに空の中へ溶け込む。
うっすらと明るんできた景色を車内から眺める。ギアチェンジのレバーに下げられたコンビニの袋は煙草の空き箱でいっぱいになっていた。
車から出て湿った空気と朝日を体いっぱいに浴びる。また長い一日が始まるのか、と踵を返そうとする自分の心を頬を叩くことで喝を入れた。
顔でも洗いに行こうかと、トイレに向かおうとした瞬間だ。
ノブに手をかける俺をいきなり伸びた腕がぐんと、体が即座に車内へと引きずり込まれた。
「動くな」
行先も決まり、あとは高飛びするために空港へ―――と思っていたのだが、いつの間にか俺たちは身動きが取れない状況下にいた。
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