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* * *
メグミの働くガールズバーfresh talk
まるで鮮魚のように女子高生を取り扱うこの店は、名前でわかる通り元気さと新鮮さのある子が人気になっていく。そこでメグミは不動のポジションを築いていた。
人一倍リアクションが大げさで、少し不器用な接客が、初々しさという印象に客の頭の中ですり替わっているらしく、その店でメグミはかなりの人気者だ。そして俺の隣に座る八鷹陸朗も店の常連だった。
ある時、事件が起きてロクロウは弱体化する組の問題をそっちのけにしたいほど途方に暮れていた。
弱体化しているといえど、この街でずっと根を張り続けてきた極道。すぐには傾きはしない。それはまだ資金があったからで、さらに本当に緊急時の時用の隠し財産として資金を希少石に変えていた。
大粒のブラックオパール。値段にして250万円。
それをロクロウの一人息子(6歳)の八鷹七助が、誤って飲み込んでしまったのだ。
ロクロウはブラックオパールを吐き出させる方法を躍起になって探した。調べた結果、やはり異物の除去のプロによる施術が一番ということにたどり着いた。だが問題は方法は分かったが、加速度的に激化していく抗争の中、この情報が自分の組織内に知れ渡ったらまた新たなパニックを撒き散らすことになる。そのため組のお抱えの医者には見せられなかった。かといって一般の医者に見せるとなると、暴力団構成員として自分の面がわれているため足は運べない。
それは、処置を行った医師が「八鷹組の息子と組を存続させた救世主は俺だ」なんてでかい顔をしないとは限らないからだ。
そうなれば義理と任侠に生きる昔堅気の組長は恩義を返そうとする。もしこうなってしまえば無駄に談合しなくてはならなくなり、組が今後復興していく中で障害になり得るかもしれない。六郎はそう考えたらしい。
どちらに転ぼうとも、袋小路に陥る。その時、ふとある考えが浮かんだ。
そうか、俺が病院に行くからリスクがあるんだ。ということは代理を立てればいいのか。
その時ロクロウの頭の中でメグミと交わした会話の一幕が脳裏によぎったそうだ。
「あたし、子ども大好きなんです。だから、保育士目指していて……でもうちには大学いけるお金なんてないから、こうやってお母さんには内緒でバイトしてるんです」
そうだ。この娘を使おう。
そこでロクロウはそう思ったらしい。
後日、ロクロウはfresh talkに顔を出し、「割のいいバイト紹介するよ」なんてビデオ出演交渉か、風俗店の斡旋でしか聞いたことのない切りだしでメグミをまんまと抱き込み、なんやかんやで現在に至る。
* * *
「出張ベビーシッターをして欲しいってのは嘘だったってこと……? 」
「恵ちゃん、悪いな」
ばつが悪そうにロクロウは笑う。
回想が語り終わるとともに、車窓からあたりを覗くと追っ手は俺たちを見失ったのだろう。とりあえずは撒けたようだ。
落ち着いた走りを取り戻したハイエースの中でメグミが有り得ないと顔を青褪めさせた。いや、あんたの鵜呑みっぷりの方がよっぽど有り得んわ。
「それ陸朗さんのせいだけじゃない。乗せられる恵さんにも非があります」
いつもメグミに振り回され、圧倒されてばかりのシュンにも流石に呆れた顔が浮かぶ。
「瞬くん、だってさ、だって……困ってたから」
困ってたから―――
その単純な動機だけで何が起こるかもわからない状況に自らを投じられるのは、見事に父親の無鉄砲さを受け継いる。
「だっても明後日もないです」
母親のようにシュンがメグミを叱る。叱られたメグミはどうやっても言い逃れられないことが分かって口を真一文字に結んで頭をこくんと小さく振った。
「騙したのは悪かった。でもな、七助を医者に診せてくれたら金はちゃんと払う。それは約束する」
「え、お金はちゃんと払ってくれるの……? 」
「もちろんだ。今ある指全部賭けてもいい」
「そっか。お金貰えるなら……いいかな」
「いいんかいっ! 」
俺とシュンが同時にツッコんだ。あっさりしているのか、バカなのかわからないな岩田家ってのは。
視線を奥に送るとソウゴはナナスケに両頬を摘まれ見事ないじられっぷりだった。
追っ手を振り切った俺達は間もなく夜を迎えようとしている。
ハイエースは住み慣れた街を後にしてひたすら東を目指し、高速道路を突き進んでいた。直進コースで景色もさっきから同じ街並みばかりで単調だ。
ここで一息と思い、ポケットを探りいまだ残っているタイヘイのハイライトを取り出そうとした瞬間、一難去ったらまた一難。
今度は車内からパニックは起きた。
「パパ、おしっこ」
尻を小刻みに揺すりながら下唇を噛むナナスケを見て車内中が慌てふためく。
元父親のソウゴに聞けば何とか―――縋るように視線を向けたが、そう言えばソウゴはハイエースに乗り込んでからずっと静観を決め込んでいる。目が合うとソウゴは「犬らしくしてろ」と言われたからそうしているだけだが、と言い張るようにわんとだけ吠える。
「あった! 七助もうすぐサービスエリアだ。だからここで漏らさないでくれよー。これ親父がいつも釣りに行く時の車なんだからな」
慌てて急ハンドルを切り、車内には大きい横揺れが伝わるが間一髪。ナナスケは無事トイレを済ませ、俺たちはやっと束の間の休息をとれることとなった。
行楽シーズンということもあり、サービスエリアの駐車場はスペースを埋め尽くすように車が並ぶ。幸い追っ手の車はなさそうだが、まだ油断は出来ない。
俺達は交代で仮眠をとりながら夜をやり過ごすことになった。
スライドドアの縁に腰を掛け、夕焼けを浴びながら総菜パンを齧る俺の後ろではナナスケとソウゴがじゃれている。
人懐こい大型犬を演じているソウゴは、ナナスケの前で仰向けになり腹を晒す。
ナナスケはソウゴの腹を両手でわしゃわしゃと撫で回し毛並みを掻き乱す。
これがただの知り合いとの旅行だったらいいのに。
「さっ…さん。隣りいいですか? 」
「おう……どうぞ」
メグミがブリキ人形みたいに車のステップに腰を下ろした。
隣にいるとそのぎこちなさは俺にも移り、居心地の悪さを抱えながらじっと俺は沈黙に耐えていた。
もう限界。何か喋らないと、そう思うたびに缶コーヒーが進む。これを飲みきったら、きちんと謝ろうそう誓い、俺は喉を鳴らしながら一気に流し込んだ。熱さが気管を焼き、思わず咽た。
「あの時は本当に悪かった」
咳きこみながらだったが、やっと言えた。
「いいよ……あたしの方こそ」
地面にメグミの声が垂れ落ちていく。
「いや、悪くなんかない。悪いのは全部俺だよ」
しつこい、とメグミが笑った。
「恵はさ、いつも自分のためじゃなくて誰かのために泣いたり怒ったりするよな。実はさ、そんなお前の潔白さや、真っ直ぐさが俺はすこし苦手だった」
正直に打ち明けるとメグミはやっぱりね、と少し寂しそうな顔をした。
「でもさ、最近分かったんだ。俺は恵を『苦手』だった訳ではなく、『嫉妬』していたんだって。お前はさ、俺の憧れなんだよ」
メグミが目を見張る。
だからつい、汚したくなった。そう付け足すとさっさんらしいね、と笑った。
内包していた恥を吐露したことで、初めて俺は俺自身を客観視できた。
ああ、俺はこんなにもちっぱけだったんだな―――
「悪いのは俺なんだ。お前は悪くなんかない」
もうホントしつこいよ。そう言いながらめぐみは揺れるつま先をずっと見ている。わざとしつこくしていることにメグミは気づかない。
これ以上メグミに下を向いていてほしくない。そう思った時、自然と言葉に出ていた。
「ありがとう」
ありがとう?
首をかしげながらメグミは俺の言葉を反芻する。
メグミはもう一度立ち上がるためのきっかけをくれた―――あの喧嘩がなければ俺は今まで通り、それなりの生活に浸っていて、本当はやらないといけないことから目を逸らしていたはずだ。少なくともここにはいない。
「さっき八鷹さんがバラしちゃったんだけど、あたし保育士になりたいんだ。昔から近所の小さいことかの面倒見るのすごい好きで、それがきっかけだったかな? でも、必死で夢に向かって走っていた人が死んじゃってさ、そこで夢を一度諦めた。それからはなぁなぁに生きてた。家にはお金ないし、母さんにそういう心配かけたくなかったからね。それに保育士だったら働きながら取ればいいか。なんて軽い考えだったし。だから別にもう興味無いって自分に折り合いをつけてた。そんなときにね。タイヘイさんにストーカーされてさっさんと再び会ったんだ。さっさんはなんというか、面倒事が嫌いで、軽くて、素直じゃないけど、でも素直じゃないなりの正義感がある人だよね」
なんだそれと相槌を挟むと自然と会話が運ばれていく。
「さっさんさ、校長先生と競技会で踊る前にあたしプレッシャーで打ちのめされたじゃん。そん時わざとあたし煽ったでしょ? 」
そろそろ脇腹をガードするべきかと考えながら素知らぬ振りをする。
「あれさ、最初はめっちゃムカついたんだよ。マジで。でも後になって振り返ったら気づいたんだ。あれはさっさんなりのエールだったんだって。そしたらさ、あたしすごくうれしくなっちゃった。それにシュンを助けに行く時だって無理やり連れだしたのにさ、結局はシュンを助けるために動いてくれたよね。実はさ、あたし昔惚れてたんだ」
誰に、と訊くほど野暮ではないが、嬉しいと素直に喜べるほど大人でもない。結局俺は黙ってメグミの話を聞いた。
「でもさっさんには沙友里さんがいるじゃん? それにさ、思ったんだよ。自殺オフに参加した最後の日のバスで泣いてるあたしの頭をさっさんが撫でてくれた時、あたしさなんでかは全然わかんない。わかんないけどさ隣に―――お父さんがいる気がしたんだ」
為す術なく俺は鼻頭を摘み上を見上げた。
託されて、逃げながらも接してきた数か月に意味があったと自覚した。
報われるってこういう瞬間のことなんだ、そう自覚した時、鼻の奥がつんと痛んだ。大丈夫、メグミは気づいてない。なにが大丈夫なのかはさっぱり分からないけど。
出かけたすべてを必死で引っ込ませて隣を見るとメグミは右腕で目元を覆い、夕焼け空を仰いでいた。
「でも、でもね……あの時あたしは『父親面するな』そう言ってはっきりとさっさんを傷つけた。言ってはいけないってわかってたくせにあたしは……」
言葉が続くたびに声が揺蕩い、細切れになっていく。腕の隙間から零れ落ちた滴が橙の光を帯びて輝き、落ちていく。
「ほかの人のためならいい。でも頼むからさ、俺のために泣かないでくれ」
堪らなくなって、メグミの肩を引き寄せた。
「嫌だよ」
母の温もりも、父の安心感も、真に与えることなど叶わないと分かっている。でも、それでもよかった。
真っ直ぐ生きるメグミに一時でもいいから俺は今、何かを与えたかった。
「メグミの言い分は正しいんだよ。俺は父親でも先生ですらない。でも、お前のための先生でいてもいいかな」
ソウゴが何かを語りかけてくるかと思って、振り返ると彼はナナスケとともに眠りに落ちていた。
「あぁ……クソッ! 」
車内では緩んでいた表情をまた顔を鬼のようにしたロクロウが此方に戻ってくる。
「悪い。取り込み中だったか? 」
俺達は急いで身体を突き放し、平静を装う。
「いっ……いえ、何でもないので」
「それよりどうかしたんですか」
注目を逸らすためにメグミがステップから立ち上がった。
おいおいそれじゃ、逆効果だろ……
「いや、何でもない。恵ちゃんには予定通り七助を病院に連れて行ってもらって、終いだ。そのあとのことでちょっとな」
鬼となっていた顔がメグミを見る時はふっと緩む。
「その後のことって」
「ああ、それは組の話だからメグミちゃん達には関係ない。予定通り君らは役目を終えたら必ず家に返すから」
安心させるために浮かべた笑顔はぎこちなく、こめかみには薄っすらと冷や汗が垂れていた。察するに状況は芳しくないのだろう。
抗争に対して俺たちは直接関与しているわけではないが巻きこまれている以上、メグミやシュン達に危険が及ばないとは限らない。
であれば俺は―――
「俺にできることありますか? 」
―――メグミやシュン達の未来を守るために動こう。
「いや、だからこの先は俺たち家族の問題―――」
関わった限り、もう他人じゃない。いつか聞いたシュンの言葉が灯った想いを燃え上がらせるための燃料に変わる。
「見て見ぬふりをするのはもうたくさんなんです。だから―――お願いします! 」
額をアスファルトに着け、ひたすら請う。
ロクロウが息を呑んだのが分かった。恵は小さく息を吸い込んだ。
「危険なのは承知です。守ってくれとも言いません。お願いします」
分かったと声が聞こえるまで、俺はアスファルトに額を擦り続ける。
車に戻ろうとする観光客の視線がどんどんと俺に集まっていくのが分かる。メグミの「もういいって」という声が聞こえたが、俺は構わずさらに姿勢を低くした。観念したようにロクロウは舌打ちをした。
「ああ……もう。分かったから面上げろ。目立つことは避けてぇんだ。追っ手に追われてる身だってこと自覚してくれよ」
辺りを見渡した後、ロクロウは咥えた煙草の端を噛み潰しながら後頭部を搔く。
「そんなら、ギンの倅よ。あれだ。そのー、手貸してくれるか―――」
目の前には分厚い手があった。
差し伸べられた手は岩のように硬く大きく、そんな手を握り返して俺は立ち上がる。やっと一歩踏み出せた気がした。
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