4-3
「やめて、離して。ちょっと!なにするの」
黒塗りのハイエースからメグミの声が聞こえる。
一旦立ち止まり、二人とも同時に静止しする。メグミであれば、必死で抵抗するはずだが、外から見たハイエースは揺れるどころか、物音すらしない。
「いやだ、胸、触んないで……」
メグミが漏らした拒絶の語尾に吐息が混じる。
俺は今まであった気まずい雰囲気や、考えていたはずの段取りの全てや、僅かにあった油断をメグミの一言で真っ新にして慌ててドアを開けた。
「『恵を返せ! 』」
一人と一匹の咆哮が重なる―――ってあれ? メグミは構成員に襲われてなどいなかった。
中を見るとテレビは子供向け教育番組を流していて、メグミに向かうようにして座る男の子が、吸い込まれるように彼女の胸に釘付けになっている。座り込んでいるメグミの足元には、戦隊ヒーローの人形や変身ベルトが散らばっていた。
「きゃあああああああああああああ! 」
ガスマスク男の来襲にメグミは喉が張り裂けんばかりの悲鳴をあげる。
「聡さんどうしたんですか? 」
悲鳴に慌ててシュンが隣に並ぶ。
「きゃああああああああああ! 」
二度目のガスマスク男来襲にまたもやメグミは叫ぶ。
「うぅうわぁぁぁぁぁぁぁぁああああああ」
シュンは驚いてのけ反ったまま体勢を崩してひっくり返った。
「あ。パパ―――」
メグミの太腿に跨り、上半身の起伏に手を伸ばそうとしていた幼い手がそこで止まった。
「おい、そこの砂利」
誰かが俺の背後に立っている。
頭の中の非常事態宣言が鳴りやまない。怖気は背中を這うだけでなく、身体の中まで侵食してきて、それが俺の心臓をつかんで離さない。メグミの叫び声に驚き、鳴り響いていたはずの鼓動が次第に遠くなる。
そして音が止まった。
振り返ると、宣言した通り射殺すような眼つきの男が、其処に立っていた。
薄くストライプのはいった黒のスーツに真っ白なシャツ。俺が着ればダボついてしまうサイズのシャツは膨れ上がった胸板によって張り詰めている。角刈りに太い眉、そして真っ黒に塗り潰されたような双眸が俺を睨んでいる。
男に会った瞬間の第一印象は、あ、このままだと死ぬ―――それだけだった。
「ごめんなさいごめんなさい。僕達ただの一般市民です。組の関係者ではありません。お願いゆるちて―――」
慌ててマスクを外し、シュンのも剥がして降り落ちそうな勢いで頭を下げた。
岩のような顔の真ん中に鎮座する鼻を真一文字に横切る一本の傷痕がちらりと見えて、また息が止まった。
怪しく見えるのは全部このガスマスクのせいだ。顔を晒せば何も問題はないはず―――以前、正常な思考に追いつかない頭。
すると、何故か殺気がふっと緩んだ気がした。
分かってくれたのか―――?
と思った時、級友に話しかけるような口調で男が俺に声をかけた。
「銀蔵、お前生きていたのか―――」
はっとした顔つきで、目の前の男が俺を指さす。
「誰それ―――」
言葉と同時に俺は思い出した。
その名前は父親の名前だ。
ビルの中から鳴り響いた銃声が俺の呆けた顔の頬を叩く。
乾いた銃声によって飛び散ったガラス片が光を乱反射させて落下する。綺麗にも見える刃物の雨は地上に降り落ちて、ギャラリーが映画のワンシーンを見ているように湧いた。
「話はあとだ。いいから行くぞ」
全てが有耶無耶なまま、俺たちは後部座席に押し込まれてしまい、運転席に男が乗り込んだところで行先不明のハイエースが嘶いた。
「お前みたいな武闘派一筋の極道がいなくなってから組は弱体化しちまった」
どこ行ってたんだよ、と言われても他人事だ。分厚い手が助手席に座らされた俺の肩を叩く。
「そんでな、力のみで組を守り続けられなくなった俺たちは会議を開いた。どうすりゃ、組を守れるかってそう言う会議だ。ある奴が『金だ』『ビジネスだ』なんて言い始めて、儲かる仕組みを話し始めた。そしたら若い奴らがすっかり感化されちまって……ほら、俺も親父もあとお前も、昔から武闘派一筋だったから頭で理解して動くの苦手だったろ? だからつい若い奴らに煽られてその案を通しちまったんだ」
男は開いた片手で、顔を覆った。
「はぁ……」
相槌は打つが、ほとんどの話は耳から通り抜けていく。
ここはどこだ? 今どこを走っている? どこへ連れていかれるのか、頭の中はそればかりだ。
追っ手から逃げるため標識や、信号機を無視し、ハイエースは出鱈目に走り回っている。
カーブを曲がるたびにタイヤは喚き散らし、車内にいる俺たちは右へ左へ。まるで洗濯機の中にいるみたいだ。
荒々しい運転のせいで、ほとんどが酔い、話すのすら億劫そうだった。
「そしたら、はじめに『金だ』って言った奴が、実は一之瀬組の頭と盃交わしていた。そこからはもうあっという間に崩れていくわけよ。今思えば、賢い奴だよな。吸収される寸でのどころで乗り換えたんだから」
自嘲を交えながら語る男に俺はまた相槌を打った。
「へぇ……」
「お前、ほんとに聞いてんのか? ギン」
亡き父の名でまた呼ばれた時、やっと我に返って「俺の名前は冴島聡です」と自己紹介すると、「偽名なら俺もあるぞ」と男は笑った。ああ、まだ信じてないみたいだ。
「もしかしてなんですけど、藤島春香って女性を知ってますか」
藤島、それは母さんの旧姓だ。
「ああ。ってお前あの子とは別れたんじゃねぇのか? 『父親にはなれないって』」
やっぱり、そうだ。この人は父さんと俺を重ねている―――
母さんが俺を孕んだ時期がちょうど抗争真っ只中だったらしく、母さんを巻きこまないために父さんは別れを切り出したらしい。というのが母さんがよく俺に聞かせていた話なんだが、実際のところはどうだか。まぁなんにせよ、男のその一言で、俺の予想は確信に変わる。
「もう1回言います。初めまして俺は冴島銀蔵の息子、冴島聡です」
「ぁ? 」
武骨な姿からは想像もつかないほど間抜けな声が聞こえたとともに、ハイエースが急に止まった。
俺は前につんのめり、メグミ達は車内を転がる。
そして追われていたことを思い出した男はハイエースをまた急発進させる。今度は後ろに転がり、男の心境同様、車内もてんやわんやだ。
「信じらんねぇ。あいつ『女はもうこりごりだ』って言ってたんだぜ」
「へぇ、そんなこと言ってたんですか」
「ギンの息子……」
未だに信じられないという様子でロクロウは何度もそう反芻する。
そしてそれからため息をゆっくりと吐き出し、「少しも年老いてなくて、あの日のままだったからおかしいとは思ったんだよなぁ」とひとりぼやいた。
「勘違いして悪かったな。改めて俺は山門会の八鷹組で頭やってる八鷹陸朗だ」
気づかなかったことに対し、落胆しているのか、名乗りにはさっき感じたような覇気がない。
「ギンの息子といえ、こんな事態にまったく事情の知らないカタギを巻き込むとはな。俺の眼はクソ……どんだけ濁ってんだ」
「いえ、気にしないでください。この格好を見たらまずカタギでないと判断するのが当然ですから」
流石に不憫だと思い、慌ててフォローを入れる。
「あとで目玉潰すとかそれなりのけじめ付けるから今は勘弁してくれ。両方はきついから片方だけどな」
片目というのがまるで妥協点のようにロクロウは呟く。ロクロウを慌てて制す。
「いや、そんなことはしなくていいです。全く関係ないというわけじゃないんで。俺たちは恵を助けに来ただけで―――ひゃっ! 」
ひどく落ち込んだ声のトーンに心配になって、隣を見れば、ロクロウの小指はもうお亡くなりになっていた。
「ああ、これか? 今回の不祥事に対するけじめだな。大丈夫、人間てな、親指と差し指と中指さえあれば生きていけるんだよ」
恐ろしい雑学を披露した後、ロクロウは今回の経緯についてゆっくりと語りだした。
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