4-2



 ソウゴがその光景を目撃したのは、昨日の夜中のことだったらしい。

 いつものようにガールズバーの前でメグミの帰りを待っていると(もう親バカを通り越して、ストーカーだ)、店の前にメグミの姿が現れるのと同時に見知らぬ黒スーツの屈強な男達が彼女の周りを固めた。

 しかし、その時メグミになぜか怯えや拒絶する様子がなかったそうだ。そこでソウゴは団体客の見送りだろうと思い、ソウゴはその場でじっと状況を見守っていた。

 するとメグミが屈強な男たちに手を引かれ、目の前に止まった黒塗りのセダン車に乗り込んでしまった。出遅れたソウゴが駆けだそうと足を踏ん張ったのと同時にセダンのドアが閉まる。ナンバーを目に焼き付けながらソウゴは必死に四本の脚を駆使して、追い駆けたが頑張り空しくセダンを捕まえることは叶わなかった。


「行先は? 」

『だいたいかな。駅の裏までは追いかけたんだけど、その先はもうな、体力がなくて……』

 それもそのはずだ。ソウゴが器として選んだのは老い先短い犬なのだから。

「駅裏ってことは―――」

 駅裏と言えば風俗店やキャバクラ、ホストクラブに居酒屋が軒を連ね、そこにはショッピングモール建設時に新しく入ってきた一之瀬組と元々その場を仕切っていた八鷹組の漁暴力団組織の事務所があったはず……風の噂で両組は抗争一歩手前だとか。

 もし暴力団にメグミが連れ去られたとしたら―――嫌な考えが脳裏に過った。

「恵は拒絶しなかったんじゃなく、出来なかったとしたら」

『どうゆう事よ? 』

「恵を連れ去った相手、もしかしてヤクザかもしれない」

 ソウゴは驚きを言葉で表すことを忘れ、咄嗟に吠えた。

『そう言えば車のナンバーさ、一桁だった……』

「どうゆう事? 」

『ほらよく言うじゃん。ナンバーが一桁台はヤクザの車かもしれないって、それに黒スーツ着ていたし。あ、思い出した。捲っていた袖から見えた腕に刺青が入っていたかもしれない』

 ナンバーの噂は置いておくとしても、黒スーツ、駅裏、そして刺青。話に上がった男の特徴はもう、暴力団関係者の特徴とばっちり一致している。

「どうするんだよぅ……誘拐相手がヤクザって。総悟さ、闇金に金借りたりとかした? 」

『するわけないだろ。苦しい時期はあったけど、家は和希のおかげで何とかなってたんだから』

「……ほかに特徴とかないわけ? 」

『あとは―――鷹の絵が刻まれてた金バッジしてた』

「てことは八鷹組―――なにしたのメグミは……」

『俺も聞きたいよ。というか訊きに行くんだよ』

 善は急げとばかりに立ち上がって、ソウゴは玄関へと駆けていく。。

「いや行くのはいいんだけど。その前に準備しないと。俺白髪だから目立つし。もしそのままメグミをとり返すとなったら面が割れないように返送道具がないと出し、他にも準備が必要だろ」

 ソウゴは框の前で落ち着きなさそうにぐるぐると回る。

『なるほど。備えあれば、憂いなしだな』

 納得しているかのような発言とは裏腹にまだソウゴは玄関の前でぐるぐる回っていた。きっと頭ではわかっていても根っこでは娘が心配で仕方がないんだろう。

 黒のシャツを羽織り、薄紫のネクタイを施し、黒のスラックスに足を通す。ペイズリー柄があしらわれた真っ黒な革靴を履き、いつ買ったかわからないギンのアクセサリーの埃を落として、シャツの裾で軽く磨き、首に掛けた。

 姿見を見ると、昔から人相が少し悪かったこともあり、なかなか様にはなっている。

『流石、ヤクザを父親に持つだけあるよな』

 鏡に映る俺を見てソウゴは回るのをやめ、またお座りの格好になって、感心しているかのように二度頷く。

「俺が生まれる前に抗争に巻き込まれて死んだらしいよ。ってもう知ってるか。だから父親って言う実感は薄いけどさ……似てんのかな? 」

 首を傾げて姿見を通り過ぎる。そして玄関の鍵をとり、アパートを出た。

『なぁ俺もサングラス掛ければよかったかな? 』

「いるわけないでしょ。犬らしくしてな」


 真黒な軽ワゴンを駅側に走らせ、メグミの家を訪ねた時に行った住宅街に入る。あいつら、近所だったんだな。そんなことを想いながらスマートフォンに映る地図に従い、交差点を二つ越えたところで車を止めた。

『どこに行くつもりだ』と俺を呼ぶソウゴを待たせて、車を降りる。

 水上と書かれた表札のある家のチャイムを鳴らすと、シュンが出てきた。

「ひさびさだな」

 少し気まずくて、目を逸らす。するとシュンは慌ててドアを閉めた。こちらも慌ててドアに手をかける。危うく、指を挟まれそうになるところで締めようとする力が止まる。。

「えーっと、ぼぼぼ僕はあなたになんって、みっみ見覚えなんてありっませんが……」

 指を挟まないギリギリの隙間から見えたシュンの表情は戦慄に覆われ、顎はカクカクと鳴り続ける。

 あまり認めたくはないが、どうやら俺が思っている以上に変装はバッチリみたいだ。

「違う。そんな怪しい者じゃなくて、俺だよ。聡だ! 」

 弁明するのに躍起になったおかげでそこで俺の中にあった気まずさが吹っ飛んだ。

「え? えぇぇぇぇ! 」

「そんなにびっくりしなくてもいいだろう。俺だって傷つく時は傷つくんだからな」


 シュンの家に上がらせてもらい、彼の部屋からあの時に使っていたガスマスクと、バットを拝借する。

「他にもいる? 」

「どうするかな……」

 見渡すと彼の部屋には無線機をはじめとした、多くのミリタリーグッズや、モデルガンが並び、それにサバイバルナイフまである。

「なぁ、シュン。テロでも起こすつもりか? 」

 そんなんじゃないとシュンが笑う。

「きっかけは家を守るためだったかなー。僕いじめられっ子だから、もし不良の人達が自宅まで来たら大変じゃん。そしたら母さんやと父さんが痛い目にあっちゃう。それがきっかっけだったけど、集めだしたらハマっちゃってさ。気づいたら家守のためじゃなくて完全に趣味になってた」

 シュンらしいな、と思い、彼の優しさに触れるともに心が温かくなった。

「まぁ、とりあえずは要らないかな。ハジキは危ないしな」

「『ハジキ』って、聡さん、言葉遣いまでヤクザになってるよ」

 無意識に出ていた言葉に、血は遺っているのか。なんてことを思いながらオフィスチェアに腰を下ろす。提げてきたドラックストアの袋からワックスとヘアカラーを出して「とりあえずよろしく」とだけ告げる。シュンは手際よく新聞紙で床を養生し、付属のビニールカバーを俺に被せた。箱を開けて染子を作り上げ準備完了。ここまで約五分にも満たない。

「将来、美容師にでもなるのか? 」

 出なきゃこの手際説明がつかないと思ったが、シュンは恥ずかしそうに「あの人達の髪染めるのよく手伝わされたから」と呟いた。

「あの人ってさ、」

「そう。失敗すると半殺しされるんだ」

 決して美談とはいえないため、「そうか」としか返せず、何となく気まずいムードを打破するために本題を切りだした。


 少々どころでなく焦るシュンを作業に集中させることでなんとか諫めながら、今までの事情や、死んだはずの親友が犬になって出てきたことなどを話す。

 正直、前者より後者の方が納得させるまでに時間がかかった。髪染めに、髪型のセットまでの間、今俺の前で起きていることを信じさせようと説得を試みたが、まだシュンは納得していない様子だ。

「見ればわかるって」

「そんなことあり得ないよ」

 断固として認めないシュンを家から引っ張り出して、車の前に立たせる。


「さぁ世にも奇妙な犬とのご対面」

 パワーウィンドウのスイッチを押すと、クーラーの効いた車内で心地よさそうに寝ていたソウゴが伏せていた頭をあげる。

『世にも奇妙って聞こえてるからな、あのな、それが親友にかける言葉か』

 ソウゴは不機嫌そうに眉間に皺を寄せて、唸っている。

「悪態をつく犬がなんて世にも奇妙以外ないでしょ」

 平然と会話する俺たちを見て、シュンは漫画のように数歩下がって、「信じられない」と開いた口に手を当て、顔を青白くなっていった。

『信じろ少年。何でも信じることから道は開ける』

「それ誰の言葉? 」

『俺の言葉』

「へぇ。死んで生き返ると、ずいぶんたいそうな男になるのな」

 悪態をつきながら運転席に乗り込みエンジンを掛けると、慌ててシュンは背負っていたリュックサックをシートに降ろし、後部座席に乗り込んだ。リュックの中からガチャガチャと音がしたが何を持っていくのだろうか。

 偵察メンバーが揃ったところで、駅裏へと向かう。

『お前はずいぶんとひねた男になったな。昔は純粋で可愛かったのに』

「それ、いつの話よ? お願いだから父親ぶるのやめてくれないかな。総悟が死んだのは三十歳。今の俺三十五歳。総悟より年上なのよ、わかる? 」

『でも父親になったことはないだろ』

「それ今関係ない」

『なればわかるぞ。パパはいいぞ』

 口端をくいっと上げて、勝ち誇ったような顔がフロントミラー越しに見えて、本気で腹が立った。なんてことのない友人同士の口喧嘩をシュンは双方が口が開く度、視線を前後へ行来させる。

『少年、珍しいことでもあるのか? 』

 珍しさの塊が何を言うか―――

「いや……聡さんってこういう友達いたんだなって」

「なっ……」

 俺を見たソウゴがしっぽを上機嫌に振り回す。

『少年にはそういう相手はいないのかい? 』

 このタイミングで訊きづらい質問をさらっと言いのけるあたりがやっぱり親子だな、とか思う。

「僕もいます。でも今その人は病院で……」

「そういえば、アイツ―――目覚めたってな」

「聡さん、知ってたの? 」

 目をきょとんとさせたシュンの顔がミラー越しに見えた。

「わざわざ、アイツの両親が俺のアパートまで訪ねてきたからな」


 タカシは、メグミと喧嘩別れをした翌日に目を覚ました。

 医者が懸念していた後遺症もなく元の健康体に戻ったタカシは現在、念のため自宅で療養しているらしい。わざわざ菓子折りまでもってきて、両親が訪ねてきたのはその後のことだ。


 その時俺はサユリにせがまれて情事に及んでいた。

「してくれないと、別れるから」

 必死のあまりサユリの瞳は微かに潤んでいるように見えた。別にそこまでせがまなくてもなんて思いながら、俺は彼女と柔肌を重ねて―――そして至った。

 そんな時に来訪者が現れ、俺たちは物音をそこら中に撒き散らしながら、パンツに足を通し、その辺に放ってあった衣服に身を通した。

 サユリも俺と同じ行動をしたので、俺より身長が十㎝程低い彼女は父親の服をふざけて着てみた子供みたいになった。それでも何事もなかったかのように装いながら、玄関のみで応対したことをいまでも覚えている。


 今思えば、挨拶に来てくれた人に対して玄関で追い払うという行為は、ひどく失礼なことだし、せめて着替えぐらいちゃんと済ませればよかった、と思う。

 胸の中でぽっと湧き上がった罪悪感を抱えながら、外の景色に視線を移す。

 後ろへ飛び去っていく街の景色を眺めるシュンは窓枠にもたれながら呟いた。

「貴士、元気かな」

「きっと元気だろ」

 胸の内の罪悪感を消したいがために出まかせが口から飛び出す。

「そんなこと言うなんて、聡さんにしては珍しいですね」

「別にアイツがどうこうってわけじゃなくて。考え過ぎれば過ぎるほど人ってのはネガティブになるし、嫌な予想ってのは大概当たる。あんまり気にすんな。隣のしゃべる犬も『何でも信じることから道は開ける』って言ってただろ」

『こら、俺には総悟という名前があるんだぞ』

「うるさい。それ以上喋んなくていいから犬らしくして」

 ソウゴは言葉を発する代わりにわんと吠えた。


 駅裏に入れば人通りはまばらで、風俗店や、パチンコ屋の前には暇そうな客引きが突っ立っているだけで、夜とは真逆に退屈な雰囲気が漂う。それが駅裏通りの真昼の景色だが、今日は違った。

「おい、奥でなんか騒ぎになってんぞ」

 野次馬が、また野次馬を呼ぶ。

「ねぇ、銃声聞こえない? 」

「気のせいでしょ」騒動に耳を傾けず、ホテルの入り口をくぐる男女。

「マジでやべぇって」格好の暇つぶしを見つけたとばかりに走っていく大学生たち。

 人人が何人も集まって出来上がった混沌は奥へ奥へと一方向に流れていく。

 その様はまるで一匹の龍のようで、龍の体躯はうねり、暴れ狂っている。

「どうなってんの……」

 人混みで、車を進めるどころではなく、俺たちはガスマスクを手に持ち車を降りて、混沌と一緒に奥へと突っ走る。

 始めは偵察だけにしておこう、なんて悠長なことを考えていたが、逆にこれはチャンスかもしれない。混乱を利用してどうにかできないだろうか。


 人混みを掻き分け、事態の最前線までやっと俺たちはたどり着いた。

 ビル二階にある八鷹興業と一面に書いてあったはずだった窓ガラスが、激しく割れ、その破片が建物の足元に無数に散らばっている。

 近くでは黒スーツの男たちが、怒鳴り散らしながら視線を右往左往させていた。黒スーツたちの胸元に確かに金バッジがついているのが見えた。

「どうやら、ヤクザ同士の抗争らしい」

「まじか」

「八鷹組と一之瀬組だって」

「一之瀬組ってあのショッピングモール建設に一枚かんでたって噂の―――」

「そうそう。あれから大分金回りもよくなって力つけてるらしくてな、その分シノギ削られた八鷹組はまぁ、こんな状況なわけよ」

「うわぁ……じゃあ一之瀬組が八鷹組にとどめを刺しに来たってわけか」

「大方、そんなところだろうな」

 隣にいた、中年男性達が事情通を気取るように、論議を繰り広げている。でも今はこうしてまじまじとぼやいている場合じゃない。

『行くぞ。聡』

「ああ」と短く返事をして、振り向くと、シュンはバッドを握ったまま顔だけを裏手口の黒のハイエースに向けている。混乱で警備が手薄なせいで、ソウゴの記憶と一致したナンバーのハイエースの周りには誰もいない。

「今しかない」

 どうやら、三人の気持ちは揃っているみたいだ。手に持っていたガスマスクを被り、黒のハイエースに近づく。

 後ろに迫ってくるサイレンがここに到着してしまえば、下手すればヤクザより怪しい俺達が警官に見つかればまずいことになる。その前に、と俺たちは駆けだした。

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