No.4 primula obconika

4-1



 さぁ、目覚めよ、勇者―――囚われの姫を救うのだ。


 朝サユリの家を出てきて、散髪屋に行った帰りのこと。久々に戻ってきた自宅のアパートで微睡んでいると、妙な声が聞こえた。

 慌てて俺はエアコンの電源を切り、あたりを見渡す。外からは隣人がシャワーを浴びる音や、鈴虫の鳴き声が聞こえるだけで、窓を見ても夜闇に見えたのは蛍の光の軌跡くらいでもちろん部屋の中には誰もいない。

「テーテテーテーテーテーテッテテー」

 ひどくズレた音階で某ロールプレイングゲームのテーマ曲を鼻で歌う謎の声の主。ほんとうは恐怖するところだが、間抜けなメロディがそんな気分にはさせてくれない。

「あの、誰ですか」

 仕方なく俺は謎の声の主に問いかけた。

 鼻歌がそこでやっと止んだ。声の主は変に芝居がかった咳払いをして問いかけに答えた。

 ごほん―――気づいたか、勇者よ。

「だからあんた誰よ」

 それはまた話すからと話の腰を折られた謎の声の主カラスの声が漏れた。あれ、この声どっかで……

 ごほん―――まずは勇者よ。とりあえずアパートの扉を開いて冒険に出かけるのだ。

 命令されることに対し、少し癪に思いながら、とりあえず玄関の扉を開くと、


 そこには、犬がいた。


『やぁ、聡。久々だな』

 しかも喋った。

 俺は急いでドアを閉める。


 目の前にいた犬はグレートピレニーズという犬種の大型犬で、垂れた目と目元や口元が茶色なのが特徴だ。この犬はたしか「がんちゃん」と呼ばれていて、商店街の看板犬で……あれでも死んだはずじゃ、

 いやいやいや、今そんなことはどうでもいい。なんで犬が喋っている? 

 それに俺の名前―――

『俺だよ。岩田総悟だ』

 喋る犬は死んだはずの旧友を名乗った。開けてくれと犬はドア越しに何度も呼び掛けてくる。

「岩田屋磯五郎? 」

 ドアを少し開けて、隙間から覗くと犬はまだそこにいた。

『違う。岩田総悟。お前の親友だよ』

 目をまっすぐ見てそう話しかけてくる姿に何となく面影が重なる、なんてことはない。

「じゃあ、お前の奥さんの名前は? 」

『岩田和希。スーパーでパートアルバイトをいまだにしていて、今年で勤続十五年目だったかな? カズキの働いている姿も綺麗だったなー』犬は口を半開きにし、とろんと溶け落ちるような目をしていた。

「じゃあ、お前の娘の名前は? 」

『岩田恵。最近ちょっと擦れてたけど、お前と行動している間はそうでもなくなっていたな。さすが俺が見込んだだけの男だ。メグがやってるバイトは和希には居酒屋と伝えているけど実はガールズバーなの知ってたか? 』

「ガールズバー? 」

 驚いた。

 眼の前の犬は最近行動を共にしていた俺ですらも知らない秘密を持っていた。

『大丈夫心配するな。怪しい客は寄ってきていないはずだから……いや、一人いたな。春先に関太平という体格のいい客とトラブルになったな。でもそれも確か、お前が助けてくれたんだろ。あの時は返事しなかったくせに、お前やっぱ真面目だよなー。うちのかわいく、そして美しいまさに天使のような娘の紹介は―――』

「いや、わかったよ」

『そうか。でも俺はまだ話したりないのだが』

 尻尾をぶんぶん振りまくって、犬もとい、ソウゴはまだ話足りないという様子だった。

「もうお腹いっぱいだから」観念して頭を下げる。

 犬が喋るなんてそんな馬鹿気た話に未だ納得できないが、こんだけ岩田家に詳しい奴はソウゴしかいない。

 酔っぱらったサユリを介抱していた夜の帰り道、『こんばんは』と呼び掛けられた感じがしたのは間違いじゃなかったということか―――

『じゃあ作戦会議の前に水用意してくれるか。喉カラカラでさ』四本脚ですたすたと歩くソウゴは俺の部屋に平然と上がりこんだ。


 岩田総悟は確かに死んだ。それは間違いない。でもソウゴが言うにはあまりにも若くして死んでしまったのはあちら側からすれば予定外だったらしい。

 何かの偶然が重なり合わさってバタフライエフェクトのように起こった突発的な死。与えられた死期より前に旅立ってしまうそう言ったケースはあちら側が言うには希にあるそうだ。ソウゴの場合もその数少ない例外の一つだったらしい。

 あちらがソウゴという魂に与えた命の時間は六十歳。それはそれで短い気もするが、それがソウゴという肉体に用意された上映時間だった。ちなみに結末は過労の末の交通事故死らしく、同じ結末を辿るということはつまり歳をとっても破滅的な演技馬鹿は治らないということだ。

 ともあれ、あちらもこちらも望まない死というのは、トラブルがつきものだ。あちらが言うにはそう言ったケースには必ずクレームが出るらしい。あちらもクレーム処理なんてことをしているのか。この世もあの世も窮屈だな。


 例に漏れなくソウゴも自分の速すぎる死期に理不尽さを感じ、訴えた。

「あなたのところの部署の管理基準ってどうなっているのですか? 人には寿命ってものがありますよね。死因はどうあれ、それは決まっているはずです。でも僕は寿命まで生きることを全うできなかったみたいなんですよ。一概にとは言えませんが、この原因はあなたのところの管理が杜撰である証拠ともいえますよね。責任、少しは感じていただけませんか―――? 」

 丁寧でいて狡猾に、ソウゴはあちらの役所替わりの部署に迫った。と総悟は得意げに語る。随分と口の回る犬だ。

『ヤクザ系の演技も勉強しといてよかったよ。まさかあそこで使えるとはね。やっぱ経験は何でもしておくものだな』さらっとソウゴはその時のことを振り返った。

 あちらもあちらで、そう訴えるクレーマーには納得してもらえるための策があった。

 それが一年間だけ人間ではない動物に転生できるということだった。ちなみに人間以外の動物に転生させるのは、のんでもらう条件に関連していた。


―――家族、あるいは親類には何があっても自分の正体を告げてはならない。


 もし告げれば、仮住まいは奪われ、その日が終わるとともに永遠にこちらには戻ってこれなくなるそうだ。


 かなり悩んだが、結局ソウゴはその条件を飲み転生を果たした。さらにソウゴの場合、凄みのあった演戯のおかげか、喋れる特典までついてきた。

 死んでからも演技をするなんて、どうりで寿命通り死ぬとしても死因が過労による事故死なわけだ。


『これまでの経緯はここまでにして、さてと本題に入ろうか』

 仕切り直しだとばかりに、ソウゴは俯せの体勢から身体を起こして、お座りの格好になった。

「本題って何さ? 」

 座卓を挟み合うようにして、俺とソウゴは向かい合う。


『単刀直入に言うとな、メグが攫われた』


「え―――」

 犬が喋るという奇々怪々な出来事に未だ違和感が拭えない。そんな俺に対し、事実はまた俺を置き去りにして、遠くへ走り去ってしまった。



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