3‐10
「今日はどうもお集まりいただき、ありがとうございます」
「お父さんは、喪主でもなんでもないでしょ」
奥さんの冷ややかなツッコミが冴え渡る。
「そ、そうだな……」
ブンタが確認のために美代子さんに視線を向けて、美代子さんは気にしないでと左手を振る。
「では、改めて、美代子さんを差し置いてまずは俺に挨拶させてください。今日は急な呼びかけにもかかわらず、みんな集まってくれて本当に感謝しています。俺も最初は諦めていましたが、気づけば昔のメンバーのほとんどが集まっていて、『俺と同じようにみんなもあいつに言いたいことがあるのかな』勝手ながらそう思いました。振り返れば数年前、俺達は街と戦い、押し合いへし合いを繰り返し、でもあの事故を機に敗れた。俺達はそれだけでしたが、そこで美代子さんやアイツは息子さんを失った。辛いのは……一番苦しいのはちょっと考えれば誰かなんてわかるのに、俺たちは、日毎に熱くなっていくあいつを見向きもせず、自分のこと、そして負け戦だろうと決めつけ離れていったよな。それを俺は今も後悔しています。あの時掴まれた胸座の感触だってまだ鮮明に覚えているし、思い出すとささくれた気持ちになるんだ。まぁ、これは俺の考えだから、みんなはそう思わなかったかもしれない」
元デモ隊の面々が首を横に振る。
「そうか。だったら話しが早くていいや。長々と話したが俺が言いたいことはさ、あの時代、みんな太平に対して何かしらを思ったはずだ。だからその想いをアイツに届けて欲しいんだよ。じゃないとアイツ安心して上に行けない気がするんだ。あいつはさ、昔から理屈っぽいところがあって何事にも理由を求めるやつだからな」
店の中ですすり泣く声と笑い声が混じっていく。
「だから、手間取らせて悪いがそのオムライスにさ、文句でも、謝罪でも、あるいは何のないことでもいい。書いてくれ。そしたらきっと……きっとあいつも納得するだろうから」
思いの丈を一息に込めるような必死さを感じる。見守っていた人々は文太の声が上擦ったところではっと我に返り、拍手をした。そうしてブンタはまたカウンターに着く。
「さてと俺はな……」
いの一番にケチャップをとって、何かを書き始めた。
満足げな顔をする真向かいで何故か美代子さんが笑う。
「うちのお父ちゃんも頑固だけど、あのスピーチの後に『ばかやろう』って……曲がらないよね。文太さんも」
「残念な人なの。許してやって」
隣にいたブンタの奥さんが呆れていた。
そんな言葉にまた笑いが置き、卓に置いてあるケチャップに次々と手が伸び始めた。皆が想いを熱々の黄色の便箋に書き記していく。
それは悔いを認める言葉であったり、叱責であったり、あるいは感謝であったり。
一時、嫌われ者になったといえど、やはりそれだけ想われていたんだな、そう感じる程、中身のある想いたちがそれぞれの玉子の上に載っていた。
「ばかやろう? 」
隣の席に座るメグミのオムライスの上には何故かブンタと同じ言葉が並んでいる。
「見ないでよ」
メグミは袖にケチャップがつくギリギリで皿の上に覆い被さった。
「みんな書いたか? 」全員が手をあげる。
「じゃあ、少しの間でいいから、あいつに見せてやってくれ」
皿を掲げる者。上から覗くタイヘイを想像して、彼が見えるようにと背もたれに体重を預け、仰け反る者。ただじっと待つ者。
各々が各々のやり方でタイヘイに黙祷を捧げる。そうして数瞬が過ぎ去った後、「いただきます」とブンタの言葉を機に全員が玉子を崩して、オムライスを口に運んだ。
「そう言えばタイヘイは文句もいっぱしだったが、味もいっぱしだったよな」
「だな」
確かに今も刻まれていた味の記憶とともに仲間たちの昔が甦っていく。
「昔はキッチンカー使ってみんなでご飯作ったりとかしよね。懐かしいわ」
「ああそんなこともあったわね」
「ヤクザに乗り込むっていったときはさすがに驚いたよなー」
「俺、その日、怖気ずいていけなくて、腹痛だって休んだ覚えあるわ」
「一人足らないと思ったのはお前だったのか! 」
「そうそう」
思い出話が盛り上がる度に、オムライスが口に運ばれ、あっという間に全員が平らげた。食べ終わり、歓談がまたはじまりそうな時、またブンタが口を開く。
「みんな、食い終わったか? 」
全員が頷いた。
「太平、見てるか? 見てるのならわかったと思うがお前に対して思うことがこんだけの数あるんだぞ。中には俺みたいに文句を書いた奴だっていたと思う。いや、きっとたくさんいるだろうな。でも文句はさ、各々が食っちまって、腹に収まったから。だから気にすんな」
俺たちはそこで初めて、ブンタが笑った姿を見た。
「それにな、こんだけお前に対して思うことが沢山あるってことは、そんだけお前は想われてたってことでもあんだよ」
そして、初めてブンタの泣き顔を見た。それを見るのは商店街の面々も初めてのことらしく、ブンタにつられ、部屋の中に嗚咽がぽつぽつと生まれる。
「肉体がないからなんだよ。この街で生きる人の心の中でお前はこれからも生き続けるんだからそれでいいだろ? あんまり贅沢言うなよな」
吐き捨てるような粗暴な言い方は、どこか自分を言い聞かせるような、そんな雰囲気が声音や言葉の端々に漂っていた。
ブンタの挨拶が終わり、また我に返った頃、店の中が拍手で隙間なく埋まる。
商店街の面々は昔を取り戻したかのように活気づいて、気づけば、昼の集まりは夜宴になっていた。日付が変わる時刻となり、さすがにまずいと気づいた俺は「後で戻りますから」店の面々にそう言い聞かせて、後ろ髪を色々な人に引っ張られながら店を出る。
心地よい夜風がすっと俺たちの間を通り抜ける。田舎の集落のように澄んだ空ではないので満天とはいかないが、それでも雲が退いた宙には星が輝いていた。
輝きを眺めながら帰り道を三人で歩く。
「賑やかでしたね」
やや疲れ気味のシュンはいつもより背が丸まっている。
「でも、あんだけ賑やかなら届いているかもな」
「そうだといいですね」
天を仰ぎ、そこに幻影を探す。面影が見つかることはないが、想いぐらい届いてもいいだろう。淡い期待とともに煙を吐き出した。
仰ぐ二人の隣には、何故か俯くメグミがいた。
死後だったがタイヘイの信頼を取り戻すという願いは叶った。普段であればメグミが一番に燥ぐはずなのに―――
その時、メグミの皿を見て、首を傾げたことを思いだした。
「そう言えば、皿に書いた『ばかやろう』って何だったんだ? 」
メグミの足が止まり、俺たちもその場に留まった。
「あれは―――」
「言ってみなよ。ちゃんと聞くから」
あの時間の中で唯一それだけが引っ掛かって、一度気になってしまった違和感は何故だか他と話をしている時も隅に残っていて、どこか焦った気持ちを抱えたままで俺はメグミの目を見た。
「あれはさ、ただのわがまま」
「なんだそれ? 」
「うーんっとね……あそこで笑い合っている人達とか、美代子さんとかには先があるでしょ。でも、当たり前だけどさ、太平さんはもう生きてなくて、この先がないってやっぱりつらいよ。そう思っただけ」
「だからって、一生懸命生きた人にお前が『ばかやろう』って書くことはないだろ」
何故なんだろう―――酒が入っているからなのか? 俺は何で女子高生に当たり散らすような喋り方をしてる?
「一生懸命生きた人だからだよ。そんな人に先がないのは報われないじゃん」
呼応するようにメグミが声を荒げた。挟まれたシュンはメグミに怯えながらも、仲介に入ろうと手をわなわなとしている。
「もう起きてしまったことは仕方がないだろ」
そう言った瞬間、突然近寄ってきたメグミに頬を叩かれた。
「『仕方がない』ってなんだよ。言い訳すんな」
「『言い訳』違うだろ。そう言うのは『ないものねだり』って言うんだ」
そこで、俺はメグミの心を傷つけたことを知る。叩かれて痛いし、泣きたいのはこっちだというのに。
「そんなのわたしだって分かってるよ。でも助けられる道、それか少しでも長く生きられる道はあったかもしれない」
助けられる道―――俺にはあった。
俺はタイヘイが死ぬということを事前に知っていた。でもこの人は頑固だから、そう決めつけて療養や延命を説得しなかった。
救えたかもしれない命を俺は、
俺は見逃した?
―――俺があの人を殺した?
直接手を下したわけでもないし、タイヘイを看ていた医者でもない。俺は一時的にこの人の人生に触れただけ。それがたまたまその人の死に際だった。それだけだ。そんなことは解っている。だけど見えているすべてが乱れた。
変えられたかもしれない未来。
見過ごした可能性。
ああもう嫌だ。考えたくない。
「そんなもんはな、タイムマシンでも作ってから言え」
「は? 」
あからさまに威圧していると分かったが、何かに追われて走りだした言葉たちの足音が止むことはなかった。
「だいたいな、世の中にはどうしても変えられないものってのがある。例えば、特徴を持った人に対する偏見とか、埋まらない信頼とか、こっちの事情関係なしに襲い掛かる病魔とか。大概の人はそれを『理不尽』という言葉で受け取るんだ。そんで我慢するんだよ。それがいつの日か尊い経験に変わるってバカみたいに信じてな。メグミやシュンはまだ子供だし、社会に出てないからそうやって好き勝手言えるけどな。外に出ればすぐわかる―――」
「偉そうに説教とかなんなの? 」
「俺はお前たちを想って―――」
上擦った叫びが俺の言葉を引き裂いた。
「父親面すんな―――」
そこでやっと言い訳に急ブレーキをかけられた。
泣きじゃくるメグミの姿が目の前にあった。それを見て、自分が吐き出した言葉の全てがメグミを傷つけたんだと自覚した。
数秒の沈黙の後、
「冴島さん、今までお世話になりました。ボディガードの件はこの1件で解決しましたので、現時点であなたを解任させて頂きます」
告げられた声のどこにも親しみがなく、機械音声のようだった。
「ああ、そう言えば、最初はそんな約束だったか。分かった。じゃあな」
踵を返し、俺は店に戻ろうとする。
「またね。聡さん」
去り際にシュンの声が聞こえたが、振り返ることなく、俺はその場を立ち去った。
託されたはずなのに、どうして俺はこんなにも容易く―――
帰り道、まだ吸いかけの煙草を掌に落とし、怒りのままに握り潰した。
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