3‐9
翌日の通夜にも、そして葬式にも、結局、ブンタを始めとした昔の仲間達は現れなかった。
焼香をして棺の前に立つ。前へ体を屈ませると、棺の窓から遺体となったタイヘイが見ている。
タイヘイの顔は化粧や修復により、生前の血色を取り戻し、浮腫んでいた顔も腫れが引き、精悍な男の顔つきにはなっていたが、死に際、俺にだけ見せつけてきた後悔が未だに表情に残っている。そんな気がした。
告別式が終わり、いよいよ火葬場へと遺体が運ばれていく。
見送る葬列者は両家の親族に俺たち、清美さんをはじめスナックの面々がチラホラと。少ない参列者達におくられ、遺体は霊柩車へと納められていく。
悲しみに暮れて涙を流すのはタイヘイの父母、そしてメグミくらいで、美代子さんは出席した人々のあいさつ回りなど、喪主としての責務を全うするのに忙しいせいで、タイヘイの顔と向き合えてさえいなかった。
火葬場の建物脇の喫煙所には誰もいなく、俺はベンチに座り「もういらねぇから冴島くんもらって」そう言われて押し付けられたハイライトに火をつける。
吸ってもあの男の名残などあるはずもないのに俺は昇る煙に残滓を追いかけていた。
「あら、おひとり?」
隣に美代子さんが座った。
「そのハイライトもらったの? 」
快活な声に振り向くと背中に板でも入っているかのように毅然とした美代子さんがいた。
「はい。押し付けられちゃって。全く困ったもんですよ」
ここでは少し緩んでほしくておどけてみたが、そう、うまくはいかないみたいだ。
「うちの主人がすみませんね」
主人―――
挨拶回りがあって仕方がないかもしれないが美代子さんはタイヘイのことを今日だけずっとそう呼んでいる。そんな硬さがぎこちなく、次に掛けるべき言葉は霞んでしまう。何をするでもなく、ただ煙を吸っては吐くだけの沈黙が流れる。
「ねぇ、一本もらっていい? 」
「え? 」
今度は言葉を見失ったわけではなく、単純に驚いて息をのんだ。
「一本でいいからさ」言われるがまま一本渡す。
「吸うんですね」
「たまにね」
照れくさそうに笑う美代子さん。その表情にやっと柔らかさを垣間見た。
ライターを弾き、点いた火を煙草の先にあてる姿はこなれていて、ああ、一度や二度じゃないんだなと。でも、美代子さんは煙を勢いよく吸いこみすぎて―――
咽た。
「久々吸うと、苦しいわね」
「一気に吸ったらそりゃそうなりますよ」咳で涙目になる美代子さんが可笑しくて俺は思わず笑ってしまった。
「やっぱり、煙草なんてたまに吸うくらいが一番ね」
「それ。喫煙者の前で言います? 」
笑われたお返しだとばかりに、悪びれる様子もなく美代子さんが笑った。
「ごめんごめん。そう言えば、そうやって昔、お父ちゃんに怒られたことあったかしら」
昔を思い出したおかげで美代子さんは「お父ちゃん」と呼んだ。それがなんだかすごく嬉しかった。覗いた横顔には重荷が降りたような安堵がある。
「昔ね、自分が吸っていることを隠して『煙草なんてよく吸うよね』そう責めたことがあったの。そしたらお父ちゃん『いいだろ。ちゃんと喫煙所で吸ってるんだから』なんて拗ねちゃってさ―――」
なんでもない時間を慈しむように美代子さんは語る。
「冴島君はどんな時、たばこを吸う? 」
そう言われて、少し考え込んで「溜め息の代わりですかね? 」と呟いた。
「なるほどね。じゃあ、長い一服になりそうね―――」
「ええ」
横顔をつたう滴―――それは拭ってもまた流れ、覆ってもまた現れ、小雨のように静かだが、止めどない。
周りの為につけていた仮面は剥がれ落ち、まっさらで剥き出しの心は押し寄せるものに抗うことが出来ない。
「このあとまだまだやる事あるのにお化粧崩れちゃうわね。あー、やだやだ」
タバコを銜えながら美代子さんは手の甲で目の下を拭っている。
「たまにはそんな日もいいんじゃないでしょうか。付き合いますよ」
煤けた空に太陽は隠れていたが、偶然、雲の切れ間から陽の光が差し込んだ。それは救いの手のようで、差し込んできた陽にそんな温かさを感じる。
「ありがとう。でも泣いてばかりじゃお父ちゃん笑って行けないよね。頑張らなきゃ」
流した涙が明日のために止んだ。
頑張らなきゃ、そう思わずとも日々を歩いてゆける一押しがあったらいいのに。そう思うのはやっぱり我が儘なんだろうか。
美代子さんの笑顔を見てふと思った。
火葬を終え、参列者を労うためにごちそうさんでは酒や料理が振る舞われた。相変わらず、席は一杯にはならない人数だが、葬儀の時よりは解けた印象の美代子さんとタイヘイを偲ぶ一同が作り出した雰囲気はそれなりに温かかった。
「失礼であればごめんなさい。あなた達はどういったご関係で」
親戚の一人にそう尋ねられると、タイヘイとの関係性ってなんだったんだろう。疑問に思い俺たちは口をつぐんで考えてしまった。
「うーん……依頼人? 」
メグミがそこで首を傾げる。そこは首を傾げちゃまずいだろ。案の定、親戚の一人は怪訝な視線を俺たちに送っている。
「へぇ……そんな遠い繋がりなのにわざわざ」親せきの一人が頭を下げると同時に俺たちも頭を下げた。
そんな時に、店のドアに付いた呼び鈴がけたたましく鳴った。
「おい、美代子さん。いるか? 」
騒然とする店の中で、美代子さんがエントランスへ駆けていく。野次馬だとばかりに参列者が席を立ち上がり、身を乗り出す。
現れたのは青いつなぎを着たブンタだった。その後ろにはわらわらと人だかり。人垣を掻き分けて、俺は騒動の最前線に立った。
ブンタの後ろには、いつも息子同然に声を掛けてくれる肉屋のおばちゃん、口がうまくつい買ってしまう商売上手の魚屋のおっさんなど、商店街の面々が集まっていた。
「美代子さん、葬式行けなくてすまなかった。集めるのに手間がかかっちまって」
息を切らして、ブンタは年相応の身体を落ち着かせるように膝に手をついている。必死に駆けずり回ったとか、苦労したそんなのは言い訳だと分かっているのか、あれこれ弁明することなく、ブンタは頭を下げた。倣うように後ろの面々も頭を下げる。
「お父さんもこういってるから、許してあげてよ」補うようにブンタの奥さんが言葉を添える。
「いいえ、謝ることなんて何も。さぁ入って入って」
ぱっと咲いた笑顔に元通りの柔らかさが戻って、今にもスキップしそうなほど、美代子さんの取り巻いていた雰囲気が変わる。拍子抜けしたのか、口を半開きにしたままのブンタを先頭に大勢が店の中の席を埋め、座席はあっという間にいっぱいになった。
どっかで俺の我が儘を拾ってくれた奴がいたのかは知らないが、俺はこの時、この奇跡が現実で起きてよかったと喜んでいる自分がいることに気づいた。
ブンタはカウンター席に並ぶ脚の長いスツールに腰を下ろす。
「ちょっと、お父さん。作業着ぐらいどうにかならなかったの? 」三池さんは申し訳なさそうに顔を歪める。
「だって、今日本当は仕事するつもりだったんだぞ。でも何だか気になってな……仕方ないだろ。急だったんだから」
口先をアヒルのように尖らせ、くぐもった声でぼやいた。三池オートとアーチ状に背中に描かれたつなぎはこびり付いたオイルで汚れていた。「悪かったよ」と言ったその態度は拗ねた子供みたいだ。美代子さんはそれが可笑しかったのか、また笑った。そんな姿を見て、ブンタは思い出したかのように問いかける。
「あのさ―――オムライス、あるかい? 」
細めていた瞼がはっと開き、美代子さんの瞳は少し潤んでいた。
「ありますよ。何となく『来るかな』なんて思って作っておいたんです」
「そうかい」
安堵するブンタを前に、美代子さんは足早に奥へ駆けていく。
厨房に消え数十分後、俺も一年前に食べたことのあるあのオムライスがカウンターの上に置かれた。バターと玉子の甘い香りが、ほのかに漂う。
「ぶんちゃん、いいもの食ってるねぇ」
そんな言葉を皮切りにいつの間にか、ブンタの席の周りにはギャラリーができていた。「俺もそれ食いたいな」
そんな声がぽつぽつと上がり、やがて集まった人々が口を揃えた。
「じゃあ……」
あまりの大量注文に頭を悩ませ、そして思いついたように手を叩き、顔をあげる。そして俺と目を合わせた。
「手伝ってくれるかしら? 」
半ば強制的なニュアンスにも取れる問いかけはおそらく俺に向けてで、言いよどんでいると逃げ場をなくすように両脇の好奇心旺盛コンビが手をあげる。
「やるよね? 」透き通った瞳達が俺を見た。
「買い出し行ってきましたー」
「そこ置いといて」
「ママ。卵の殻どうすればいいの? 」
「近くに生ごみの袋あるでしょ。そうやってすぐあたしを頼らない。いつになっても自分の店持てないわよ」
「はーい」
「冴島くん。焦げちゃうからそっちのフライパン煽って」
「えぇー。両手ですか……」
「四の五の言わない」
閑散としていた厨房はあっという間に、忙しく人が行き交うようになり、飛び交う無数の雑音に埋め尽くされていく。
「うちで働かない? 」
隣で俺が煽るより、大きいフライパンを美代子さんは軽々と持つ。
「無理です。それにこれから繁盛したらこき使われそうで面倒そうだし」
「そっかー。冴島くんなら給料も高めで雇おうと思ったんだけど」
「これでも一応スクールカウンセラーなんですから。(主に雑事が)忙しいんですよ」
「あら、残念」
雑談もほどほどに、俺や美代子さんはまた、フライパンを煽り、チキンライスを量産し、運ばれてきた卵を焼き、ひたすら半熟にしていく。
あっという間に時が過ぎ去って、やっと全員の席の前にオムライスが並んだ。そしてそのそれぞれの卓には何故か丸ごと一本しかも新品のケチャップボトルが置かれていた。その疑問が頭の中で整理がつく前にブンタが口を開いた。
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