3‐6
ラジオ体操や主婦の井戸端会議を終え、賑やかさが過ぎ去った昼過ぎ。
この時間は散歩に疲れた老人が腰を下ろしている頃で、小鳥の鳴き声が鮮明に聞こえる程静かだが今日は違っていた。
早上がりのサラリーマン、散歩に出かけた老夫婦、おそらく塾帰りであろう小学生など当初の狙い通り様々な年齢層の客人たちが並べられたテーブルについていた。
そんな光景をいぶかしげに見渡しながらサユリが此方に向かって歩いてくる。
「一番テーブル、ドリンク追加で」
賑やかさの中でよく通った声が響く。
「あのー、ここってキャバクラじゃないよね? 」
サユリは怪訝な顔を崩すことなくキッチンカーに押し込められた男三人に問いかける。
「うーん……ですよね? 」
確かめるように俺は横に同意を促す。
「そのはずだよな? 」
俺の視線を感じてタイヘイは首を傾げた。そしてまた視線は隣に流れる。
「お客さん楽しんでるみたいだし……いいのかな? 」
違和感は拭えないまま、結局、首を傾げるのが一人から四人に増えただけだった。
「楽しみってよりは癒しを与えている感じがしますよね」
「癒しを受けてるオヤジたちは卑しい顔してるけどな」皮肉の交じったジョークがタイヘイの口から出た。
並べられた三つのテーブルにメグミやスナックの面々が着く。彼女たちは座り続け、次々と変わる客層に合わせて相槌を打ち、話を合わせ、時には笑い客の調子をとりながら売り上げを重ねていく。
「一番テーブル、ビール追加です」
老夫婦を相手にとるスナックの女の子が手をあげる。「あいよ」とタイヘイは外の花園に少し呆れながら、冷蔵庫から缶ビールを取り出す。
「二番もビール」
張り合うようにメグミが手をあげ注文を追加する。おいそこのオヤジ、鼻の下伸びてんぞ―――
「はやくしてくださーい」
ぼやく暇すらない。
「へいへい」
「三番さん。水割―――間違えました。オレンジジュース追加で。あと、おかわりもよろしくね」
「はっはい! かしこまりました! 」
さっきから他に比べ回転率の速さ、そして客一人が払う額が明らかに多い三番テーブル。ベテランはさすがに違う。なぜかひとテーブルに付き担当が決まっているため、清美さん担当のシュンだけさっきから大忙しだ。
そりゃあ、大人な遊びを知らない少年ですら小銭入れを握りしめるわけだ。だが少年―――その人は元男だぞ。
「というか、メインよりソフトドリンクの方が売り上げあるってなんかつらいよな」
同感、と三人の声が揃った。
まぁメインもそこそこ売れているから悪くはないのだけれども、青空キャバクラになるなんて誰が想像しただろうか。
「さーくんもこっち来て飲もうよ」
サラリーマンはいつの間にか追い出され、サユリが二番テーブルでメグミの売り上げを加速させている。
ジョッキを掲げるサユリの腕は、風に吹かれる一本の稲穂のように頼りなく揺れ、彼女の顔はアルコールでだらしなく仕上がっていた。
「行かない。仕事中」
「もったいないなぁー。せっかく美女二人と飲めるチャンスだってのにねぇ」同意を促されたメグミが引き気味で頷いている。
そんなことはお構いなしに満面の笑みをさらに蕩けさせたような顔でいるサユリに呆れた。そうかい。昼間から飲むビールはそんなに美味いか。
連日にわたって、公園の一角は賑わっていた。
おかげで中年男性六割、近隣の学生二割。すっかり他人からもらう母性の虜になってしまった少年、時折現れる酒乱などのその他が1割。
やや偏った客層になりはしたが、売り上げとともに話題性も上がっている。ということはそろそろ依頼の本題に近づくきっかけとなることが起こるはずだ。
例えば公園の入り口からまっすぐ此方を目指して歩く老人からとか―――
「誰の許可で、ここで店出してんだ」
老人はキッチンカーの前に立つなり、いきなり怒鳴り散らした。その男を前にして、俺は諫めようとした。
だが男の怒鳴り声を超えた威勢が隣で上がったことで俺とシュンは肩をはね上げた。
「テメェこそ何でこんなとこに来たんだ。『もう顔なんて見たくねぇ』んじゃねぇのか」
「ガタガタうるせぇんだよ。てめぇにわざわざ会いに来たのは『町内会長に許可を取らず、出店ってのはどういうことだ』って聞きに来たからだ。馬鹿野郎」
「馬鹿野郎だ? 」
明らかに今、公園の一角は賑やかさから一転、不穏な空気に変わった。
毛細血管が何本か弾けているんじゃないか、そう思うほど顔を鬼のように染めてタイヘイは憤怒する。口から出てくる言葉はどれも暴力的で、傍から見ればヤクザのどつき合いにしか見えない。
「誰が馬鹿野郎だ。この野郎」
「馬鹿野郎だから馬鹿野郎っていったんだ。誰の言葉にを聞く耳持たねぇから、俺がさっき言ったことも理解できないんだろ? ハハ、こりゃあ傑作だな」
「傑作なのはてめぇの頭だ。それにお前勘違いしてんだろ。お前は元会長だろうが」
「ぁんだとこの野郎―――」
罵り、煽り、傷つけあい、互いがナイフで切り付け合っているような応酬はなおも続く。それを客も含め、俺たちは静観することしかできなかった。
怒りのままに鋭利な言葉を振り回す二人の気迫に言葉を挟もうものなら、こちらが切り刻まれかねない。
静観を決め込んでいた客たちも、代金だけを机においてそそくさと帰ってしまった。
キッチンカーからタイヘイが出ていないことだけが不幸中の幸いか。きっとタイヘイがキッチンカーを出た時、いよいよ比喩ではなく本当の殴り合い、切りつけ合いが始まりそうな気がする。
ふとシュンを見ると、怒鳴り合いにすっかり萎縮した彼は厨房の隅で丸くなり、小さい体躯をさらに内へと押し込んでいた。普段強気な発言や態度が目立つメグミですらも、切迫した雰囲気のせいで割って入ろうとはしない。
「あれ、めずらしい取り合わせね」
一触即発の緊張感の中でタイヘイの奥さんの声が炎天下に時折吹く風のようにその場を通り抜ける。
「美代子―――」
「お店、昼休憩だからちょうどこっちに来たの」
一同の視線を一身に浴びながらもそれに臆することなく、涼しげな顔をした持ち主の乗った自転車が止まる。
「お久しぶりね、文太さん。今度店にいらっしゃいよ」
美代子さんは自転車から降り、老人の元へ行き、肩に手を置く。あの応酬を見る限り、タイヘイとブンタは犬猿の仲だろう。しかし、当人たちの事情とは関係なく、美代子さんは友達を誘うように声をかけた。
「行くか。あんな店主がいるところなんて」
ブンタは美代子さんを睨む。普通の人であれば、そこで黙るか、目を逸らすところを美代子さんはどちらも真反対にしてブンタに笑いかけた。
「『なんて』って。そう邪険に言わないでくださいよ。息子も、文太さんも好きだったオムライス作って待ってますから」
漂う空気がその声と表情に洗われた。流れ出す清流に今まで燃え盛っていた炎は鎮火され、どうしたらいいのかとブンタは途方に暮れてしまった。
「おとうちゃん。一つくださいな」
「お、おう」
小銭を握りしめた女の子が駄菓子をねだるような、そんな素朴さでタイヘイの怒りもすぐに鎮まった。
「冴島くん瞬くんそして恵さん。主人がお世話になってます」一人一人に仰々しく頭を下げる美代子さんに俺たちは流されるまま頭を下げ返す。
額を指で搔きながら、「敵わねぇな」とタイヘイが呟き、袋を渡した。
「じゃあ、私は恵ちゃんの席で食べようかな」
すたすたと駆けていき、呆気にとられるメグミの隣に座る。サユリが席を少しずらして、出来たスペースに美代子さんが座った。
「あれ、どうしたの? 関係者の一人とはいえ、今はお客さんよ」
美代子さんの言葉が猫騙しのように響き、それによって我に返った俺たちは日常を取り戻した。
ふと、見渡すとブンタの姿はそこになかった。
非日常を起こした当人は日常が訪れるとともに遠くへ去っていってしまったようで、遠くの方で夕日の訪れとともに頭を垂らした陽炎が消えたのが見えた。
あの喧嘩のせいで、翌日から客足は明らかに少なくなった。お客といえば、サユリや、スナックの非番の女の子たち。ダンス教室の生徒が数名。
ほとんど身内で廻っているような状態だ。熱心に通っていた固定客は離れ、売り上げも一気に落ちた。
「お店の準備しなきゃだから」
瞑っていた瞼をゆっくりと開くと、清美さんの申し訳なさそうな顔がそこに在った。ふと外を見るとすっかり陽が傾いていた。
スナックの面々を見送った後、客足の途絶えたこの店ですることなどなく、俺たちは頬杖を突きながらテーブルを囲んでいた。
「すまない」
沈みゆく夕陽が苦虫を潰したようなタイヘイの顔を物悲しく脹らせている。
「落ち込まないでください」取り繕ったような笑顔で返す。
シュンは残り物を口いっぱいに頬張った。激辛焼きそば味に当たったのか、むせ返るシュンにメグミは慌てて自分の持っていたミネラルウォーターを渡す。
「思ったんだけど、お店の評判をあげるのもいいけどさ。結局、太平さんと文太さんが仲直りしない限りどうにもならないと思う」
シュンの背中を母親のようにさすりながら、メグミはまた確信をつく。
「あいつとだけは無理だ」タイヘイは声を強めた。
「そんなの、わかんないじゃん」
「恵ちゃん。出来ることと出来ないことが俺にもあるんだよ。分かってくれないか? 」
「なんで? やってみないと分かんないよ。ほら『喧嘩するほど仲がいい』って言うでしょ? 」
「それはない。有り得ない」
少しおどけた調子のメグミを真顔で見て、タイヘイは二度否定した。
「冷静に話し合ったこともないのに」メグミの顔が苛立ちで歪む。
「おいおいメグミ―――」
俺が牽制しかけたところでタイヘイが音を立てて席を立った。
「待ってください」
「悪いけど、今日は帰ってくれ。それに明日は店を休みにする」シュンの呼びかけに応じることなく、タイヘイはそう言い残し、去っていく。
「分からずや―――」
小さくなる背中に向かってメグミは叫んだ。
それでも振り返ることなくタイヘイは去っていった。メグミはその背中になお、文句を言い続けた。
「どうにかしたい気持ちは分かる。でもな、一度できた溝はなかなか埋まらないんだよ」
「そんなの分かってるよ。でも―――」
「恵さんなにか理由があるんですか」
「お前もしかして、タカシの件で意固地になってるとか? 」
「別になってないよ。あたし帰るから」
メグミは去った。
慌ててシュンが立ち上がり、メグミの後を追う。
そんなに自棄になることだろうか―――
分からない。考えてみても答えは出ない。空には吐いた煙だけが昇っていく。この煙の先にお前がいたら、少しは分かったかもしれないな。
知らず知らずにストレスが溜まっていたらしい。
昨夜はサユリの家に上がり込み自棄酒をした。そのせいで今朝から体に震動が伝わる度、頭に鈍痛が響く。久々何もすることがない日だし、まぁいいか。なんて考えていると、こんな日に限ってトラブルは向こうから走ってやってきた。
スマートフォンの液晶が光っていた。画面を見るとシュンからの着信だった。
「もう、うるさいから止めるか何かしてよ」
隣で寝ているサユリは声色に不機嫌さを含ませ、俺に背を向ける。
「はい、もしもし」
「せっ先生、大変なんだ」
大声が頭痛に響き、思わずスマートフォンを放った。落下音が響き、サユリはまた俺を睨む。
憎まれ口を叩かれながら放ったものを拾い上げ、興奮でいまいち要領の得ない説明に耳を傾ける。
話を整理すれば、こうだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます