3‐3



 タイヘイは商店街通り沿いにある洋食屋「ごちそうさん」の店主だった。そこは夫婦二人で切り盛りしている小さな洋食屋だ。

 そう言えば、いつもコロッケを安くしてくれる肉屋の向かいにそんなのがあった気が。

 以前、真向いの店について肉屋のおばちゃんに話をふった時、「あそこは不味いから行かない方がいい。あと店主が気難しい人でね―――」なんて言われたことを思い出した。

 だが俺は一年前、肉屋のおばちゃんの忠告を無視してその店でオムライスを食べたことがある。

 確かに店内は空席が目立っていたし、立地が悪いせいでいつも店内は暗い。でも出されたオムライスは肉屋のおばちゃんの酷評に反して美味かった。

 チキンライスにアクセントとして辛みが効いていて、そのおかげで食欲は加速度的に上がり、その上にかかる卵は綿菓子のようにふわふわでバターが効いてほのかに甘くて、そこにトマトの本来持つ甘みが寄り添って……と端的に「美味いか」、「不味いか」で断定できるほど口に運んで抱いた感想は簡素じゃなく、広がりがあった。


「昔はさ、お客さんが喜ぶ顔が見たくて、無我夢中にやっていたよ。その頃は繁盛したな。俺も美代子も売り上げはもちろん大事だったけど、何よりやりがいを大事にしてた。なんていうかな……街を活気づかせている商店街の人達の飯を作っているというのは、この街の屋台骨を担っている気がしてさ―――」


「気難しい奴」と揶揄された店主は今、俺の目の前に立っているが、話している感じからすると、別にそんなイメージは湧かない。となると、嫌われるのは他に理由でもあるのだろうか。

 粗探しを頭の中で始めた時、水面に小石を投じるようにタイヘイが俺に問いかけた。

「冴島くん、五年前のショッピングモール反対デモって知ってるかい? 」

「あぁ、鉄骨落下事故を機に一気に激化してそのあとすぐ下火になったあの騒動のことですよね」

 その時、タイヘイは虚を突かれたように一瞬固まった。

 誤魔化すような、分かっていたかのような苦笑いを浮かべタイヘイは話しを進めていった。

「あのデモのリーダーさ、俺なんだ。驚いたか? 」

「少し。でも言われてみればそうかもしれないですね。太平さん、他の人よりはっきりといろいろ喋るし」

「よせよ。遠慮せず『声がでかいから』って言っていいぞ。それが理由でリーダーになったんだから」

 なんだこの人自覚しているのか。

 我が強い人かと思ったら、以外にも殊勝なところもあるのか。

「だからって直すことはないけどな。というかもう治らねぇし」

 前言撤回しよう。

 分かっていて直さないということは、この人はとんでもなくごりごりだ。

 タイヘイは雄叫びのような笑い声を轟かせ、それを一休みとして、また話を続ける。


「俺は昔から、ここでの暮らしや商店街の人々が好きだった。でもショッピングモールが建設されると聞いて、このままじゃ、お客がそちらへ流れてしまって、商店街の人の暮らしが危ないと思った。そこが始まりだった。それから人を募り、俺はデモ隊のリーダーとなり、街での暮らしを守ろうと戦い、自治体に訴え続けた。車借りて移動式の炊き出しなんてやってさ。移動式商店街とでもいうのかな?まぁとにかく『日夜訴え続ければ、戦い続ければ―――』なんて息巻いてな……でも結局は無理だった」

 肩を落とすタイヘイの姿が、不憫に見えて、俺は当時の悲しみにタイヘイが黙って浸りきる前に話の続きを急かさせた。

「納得できない敗北に俺はそれなりの理由を求めた。だから仲間うちに興信所やってる奴に調べてもらったんだよ。最初は、自分たちの頑張りが無駄とは思いたくない。そんなエゴで始まった調査だったんだが、どうやら俺たちの敗北には中身があった。この街の都市開発に五年前から新しくこの街に入ってきた暴力団組織知ってるか」

「ああ、結構幅きかせてますよね。今あの辺物騒ですよね」

「そうそう。んで調査進めてわかったんだけどよ。ショッピングモールってのはその新興勢力のシノギだったんだよ。土地を与える代わりに自治体はその暴力団組織から助成金、所謂、賄賂をもらっていたらしい。つまり暴力団と自治体はがっちり組んでいたってわけよ。それを聞いて俺たちは暴力団に乗り込んだりもしたんだが、結局は癒着も明らかにならないままでよ……」

 手段として十分有りうるかのように「暴力団とやり合った」事実をさらっとタイヘイは口にした。

 普通そこまでやるか? この人やっぱりごりごりか。というか、こんな秘密聞いてもいいのか? 

 普通にドキュメンタリーが取れるほどの中身のある内容に若干置いていかれつつも、俺は耳を傾け続ける。

 タイヘイの声のトーン、スピードが次第に落ちていく。

「さっき『鉄骨落下事故を機に』っていったろ? 正にその通りだよ。訴えは届かないとみんなが薄々勘づき始めた時、その事故は起きた。『もうお前らのあがきは終いだ』神様がもしいるのだったら、そう言われている気がした。実際にデモのメンバーもどんどん減っていったしな。なぜならメンバーの意識は『モール建設反対』から『もし、モールができた時、自分たちの生活をどう守るべきか』に向いていったからだ。でも、俺は諦めきれなかった」

「なんでです? 」

 煙とともに吐き出された溜め息を聞いた時、鎖帷子を引き摺るタイヘイの姿が何故だか思い浮かんだ。


「落下事故で死んだの―――俺の倅なんだ」


 一瞬で次に言おうとしていたことが喉の奥で消え、言葉の代わりに感嘆だけが吐きだす煙と一緒に漏れた。

 てっきり、強情がゆえに、だと思っていたが違った。

 俺が落下事故の話題に触れた時、虚を突かれた反応を見せたのはそういうことだったのか。

 かける言葉が思いつかず、沈黙が続く。すると、空虚な間を埋めるようにタイヘイは更にその先を語る。

「俺の息子は、口でいろいろ喋るよりも、態度や行動で意思を伝えるようなやつでさ。部活でも勉強でも結果を出せていたからよく学校の後輩に好かれているような人気者だった。俺たちに対する感謝も忘れず持っている立派な男だったよ。普段「ありがとう」とか言わないんだが、毎年、美代子には誕生月の花を、俺には『これで毎日味を確かめて、店を、家を守って』そう言ってスプーンをくれるんだ。それにな、昔から、必ず何でも残さず食べるんだ。そんで『ごちそうさん』って言うんだよ。その言葉が俺たちは大好きでよ。店の名前も―――」

 声が途切れた。

 だけど、タイヘイの息子の生き方同様、口ではなく、態度がその先の語り手となった。堪えるようとして歪んだ顔に堪えきれず溢れていく嗚咽。

 それをがむしゃらに拭って、歯を食いしばるようにその先を語る。

「その時から、『街の暮らしを守る戦い』が『弔い合戦』に変わっていったんだよな。それに気づくのが俺は遅すぎたんだな。だから隣にいた仲間がどんどん離れていって、ついには幼馴染だった文太とも喧嘩別れして、あっという間に俺は店を孤立させちまった。あいつに『店を、家を守って』って言われたのにな。情けねぇよ……」

 また言葉の最後が潤んでしまい、もう語ることがないのか、タイヘイは拭うことなくすべてが流れきるのを煙を吸いながら待っていた。

 タイヘイの横顔につられそうになり、ハンカチを差し出した。

「男の涙はみっともないですから」

「すまねぇな」

 差し出したハンカチをとって、タイヘイは瞼をぐりぐりと擦る。


「なぁ、冴島くん。今日学校に押し入ってまで伝えたかったことがあるんだ。あんたたちこの前自殺グループを止めたかなんかでテレビで映ってたろ? その人達を救ったみたいに俺にも力かしてくれないか? 」

「何故です? 」

 タイヘイに対し俺はそこで一線を引いた。

 不憫な境遇には同情する。だけど、関わるとなればそれはまた別の話になってくる。

 無闇に他人の事情に首を突っ込めば、必ずしも解決があるのではなく、袋小路も待っているということをタカシの一件から学んだばかりだ。だから簡単には首を縦に振れなかった。

「俺は、息子が死んでから随分荒れた。でも妻の美代子はそんな俺を受け止めていてくれたよ。常によき理解者であろうとしてくれたんだ。でもその態度があの時の俺は気に食わなかった。正しい者の傍ってのは、清く綺麗だ。その代わり、隣にいる者の醜さ浅ましさってのは否応なく浮き彫りになるんだよ。今思えばてめぇ勝手だけど、そう思ってしまった当時の俺は更に強く美代子に当たった。最低だよな」

「最低ですね」

 自嘲の交じった問いかけに、これ以上話が進まないようにという意も込めてあえて俺は同意した。

 すると、タイヘイは少し驚いた後「素直だな」なんて俺の性格からすれば見当違いの言葉を投げかけ、また話を続ける。

「冷静でいられるとき、離婚も考えた。だけど美代子は俺と居ることを好み続けてくれた。冴島くんだって大切な人にそこまで想われたら感謝するだろ? 」

 サユリのことを思い浮かべる。そしてあまり思い出したくないが昔のことも同時に思い浮かんだ。

 記憶が過去から現在に遡る度に小さな裏切りやすれ違いを俺はサユリに与え続けていたことを再び思い知る。

 でもサユリは俺の近くにいてくれた。それって確かにすごいことだし、温かいことなのかもしれない。

「しますかね……」

 長考の末の同意にタイヘイは力強く頷いた。

「この愛に対して何か返せないと、俺は人間じゃなくなる。だからお願いします―――」

 ゆっくりと、タイヘイの目線が落ちていく。膝が折れていく。

 本日二度目の土下座が目の前で行われている。見るのは二回目だが、その姿にはどちらも懇願と誠意が溢れている。

 天秤が触れた。でも触れただけだ。

「嫌だと言ったら? 」

 そこでタイヘイは少し考えた後、「これを聞いたら、もう他人事じゃなくなるから」と言って立ち上がって俺に耳打ちをした。

「―――」

 ああ、聞かなきゃよかった。天秤が傾いてしまった。


 長い一服を終え、メグミとシュンの元へ戻り、もう一度タイヘイに事情と今抱えている想いを話してもらう。

 二人とも、茶々を入れることなどせず、真剣にタイヘイの話を聴き入っている。タイヘイのこれまでの歩みが語られる度、想いによって声が色づく度、二人が彼の心に入りこんでいくのが分かった。

 俺は時間をかけて自分の意志を噛み殺して、彼の意志を噛んで味わって理解して、泥団子かもしれないものをやっと飲み込んだのに、二人は「手伝わせて」と口を揃え当たり前のように言った。

 あっという間に彼の想いを口の中に入れて飲み込んでしまったメグミとシュン。もうちょっと味わってからでもよかったんじゃないか。と思う。発車してしまった二人の推進力に俺のボヤキは届かない。


 タイヘイの依頼は「客足がほとんど途絶えた洋食屋を再び賑やかにすることで、妻に恩返しがしたい」とのことだった。

 依頼を聞いた時メグミはすでに泣いていた。わんわんと泣くメグミを諫めるのには骨が折れた。

 メグミはいつも感情に素直だ。そして泣く時は決まって人の傷みに触れた時だ。あの真っ直ぐさと繊細さは、きっと俺にはもう戻らないんだろうな。他人事のようにそう思った。


 メグミを諫めきった後、シュンは「ぼくにも手伝わせて」と頭を下げた。人出が増えるからどの道巻きこむつもりではいたけど、いざ頭を下げられると躊躇いも生まれる。

「なんで二人ともそんなに簡単に他人の事情に首を突っ込もうとするんだ? 」

 問いかけると、返ってきたシュンの想いに自分の陰が浮き彫りになった。普段気にすることなんてない飲み込んだ煙の感じは言葉とともに、未だ胸に残っている。

「もう僕はあの人に同情してしまった。関わった限りは他人じゃないんだよ。何かに躓いたり、悲しんだりする気持ちを僕は知っている。だからちっぽけでもいいから僕の力であの人を助けたい」

「ああ、そうかい」

 口を突いて出た溜め息は皮肉の色を纏っていた。

「それにさ―――」

「それに? 」

「誰かのために流す涙を支えるのは僕でありたいんだ」

 やっぱりついて出たのは溜め息だった。

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