No.3 どうかこのオムライスでご容赦を
3-1
終業式は例のごとく、校長の「節度ある行動を」という一言で早々と終わった。
廊下からは開放感に浸る生徒たちの談笑が聞こえる。
終業式も終わり、彼らはもう夏休みモードだ。
カウンセラー室も完全にリラックスモードに入っていた。
ロッキングチェアに背を預け、アイマスク着用。サユリの知り合いの音楽家が演奏する曲をプレーヤーで再生し、体を包み込むようなヒーリングミュージックが流れ、ゆっくりと外の音が霞んでいく。
真っ暗な世界に静かな湖畔をイメージする。湖の近くにはステンドグラス風のテーブルと茨をモチーフにした椅子がある。そこへ座ると湖畔を囲むようにして生える木々が見え、小鳥たちのさえずりが子守唄のように聞こえる―――。
あと少しで静かに落ちていけそうだったのに、けたたましいベルの音によってその可能性は根こそぎ奪われた。
「これは訓練ではありません。繰り返します。これは訓練ではありません」
普段は何を言うのにもどこか余所余所しさが漂う教頭の言葉たちが、今日は緊迫感で身を強張らせていた。慌てているせいか、スピーカーを震わす声はやけにうるさい。俺はアイマスクを外し、頭痛を堪えながら教頭の言葉の続きに耳を向けた。
「校舎内に侵入者が現れました。現在、昇降口前で職員と膠着状態です。生徒の皆さんは教室へ逃げ込むか、廊下に出ているものは近くの部屋に入り、その場で待機していてください。繰り返します―――」
部屋中を見回す。カウンセラー室は校庭に面しているため、逃げようと思えばすぐ逃げられる。
サユリはこの時間、職員室の事務机で仕事をしているはずだ。だとしたら侵入犯と鉢合わせする可能性は少ない。
問題があるとすれば―――そこでふと気づいてしまった。
「終業式なんて怠いから出ない。でも午後にはタカシ君のお見舞いに行くからそっちに顔出すかも」
「いや。それならわざわざ学校寄らなくても直接行けばいいだろ」
「何言ってんの? さっさんも行くんだよ。あたし迎えに行くから」
そんな会話を昨日した気がする。
時計を見ると、正午過ぎになっていた。そろそろメグミが校門をくぐってもおかしくはない。まずい、非常にまずい。
「冴島先生。冴島先生。至急昇降口前まで来てください。繰り返します―――」
頭を抱えていると、なぜか呼び出しを受けた。
「ああ、何で面倒くさいことがこうも重なるんだよ」
悪い予感しかしない。焦りで項を掻き毟りながら、ドアを開ける。するとそこにはシュンがいた。
「しょっ昇降口前で男が「冴島を出せ」って暴れてるよ」
「今そう言われたけど、何で? しかも名指しなんて」
「そこまでは分かんない」
「恵は? 」
そこでシュンは視線を落とした。
「恵さんは……人質にとられている」
悪い予感があたってしまった。それにしても、メグミなら、男一人くらい捻じ伏せられそうだけど。
「え、その男格闘家? 」
「違う。ふっ普通のオッサン」
頭の中でハテナが生まれる。まぁ、いけば分かるか―――俺はシュンに手を引っ張られながら、昇降口へ向かう。
駆けつけると、冴えない中年男の背が見えた。その奥には慌てふためいた教頭と、泰然とした校長がいた。周りを見渡すと、各教室のベランダには生徒たちが押し寄せていて、教室の奥から教室に戻るように注意を呼び掛ける各担任の声が聞こえる。この場が緊迫していることには違いないが、若者たちが起こした好奇心の波のせいであたりはお祭り騒ぎだ。
さっさと終わらせよう。俺は一息吐き出し、丸まった背に問いかける。
「冴島ですけど。なんか用ですか? 」
野次馬が一斉に俺たちに視線を集めたのが分かった。
「冴島聡ってのはお前か―――」
メガホンも使ってもいないのに、鼓膜を打ち破りそうな声に頭の中が音を立てて揺れた。本当に怯えて萎縮するメグミが声をあげるとともに、男が此方を振り返る。きんと響きっぱなしの耳鳴りと頭痛が止んで、瞼を開けた時、網膜を通して男の顔がはっきりと映った。
その時、メグミが反抗しない、いやできない謎がやっと解けた。
「お前、あの時の……! 」
満月のような真ん丸な顔。そしてクレーターのような肌の凹凸。身に覚えのある姿がそこにはあった。
「あんたは―――」
息をのむ俺に対し、男の声に慄いて背中に俺の背中に身を隠したシュンが顔だけを出してこちらを覗く。
「知り合い? 」
「まぁそんなところ、かな」
冷汗がこめかみを流れ落ちる。それを掌で拭う。
メグミを人質にとっていた男は―――メグミのストーカーであり、俺の唇を無理やり奪った男でもあった。
「わけありなんだね」
「だな……」
心境を察したシュンは優しさからなのか、あえてその先を聞かないでくれた。
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