No.2 黒い祭りの踊り子たち

2-1



 六月も中頃となり、湿った熱気に居心地の悪さを覚える放課後。あの競技会以降、普段の雑務を除けば平和に日々は過ぎている。

 最近のニュースといえば、メグミと校長がまるで友達のように会話していた場面を見て、メグミが校長の愛人なのではないか、という噂が出回ったことぐらいだろう。まぁ噂を拡散した生徒は早々に当人の手で潰されたらしいけれど。

 あの時突き飛ばされてから、痛む首をさすりながら空を眺める。

 煙草を吸いながら雲の形にあれこれ意味づけしている間は俺にとって安らぎの時だ。

 いい労働というのは余裕があるからこそ生まれる。と最近は思ったりする。

「あー、またサボってる」

「いいだろ。それに子供は帰る時間だ」

 カウンセラー室前のベランダに腰を下ろしている俺の隣にメグミが座った。

「もう子供じゃないし」

 ふと目端に映った横顔が確かに、いくらかだが大人びて見えた。

 未経験な世界に飛び込んで、奮闘して、見事やり切ったのだから成長するのも当然か。メグミにとってはいい人生経験となっただろう。

 だが、俺は得たものがほとんどない。

 唯一、今後の人生で役に立つことといえば、ダンスの基礎的なステップを覚えられたぐらいだ。これでもしも、王妃と踊ることがあっても、少なくとも粗相をすることはない。安心、安心。しかし、そんな瞬間、訪れることはないだろう。

 がらにもなく熱くなった日々の蓋を開けてみれば徒労だもんな。勘弁していただきたい。


 あのバカップルはというと、新婚旅行と称してタイへ行った。その目的は、半分観光であり、もう半分は清美さんの男根を取り除くためだ。

「清美がな、『女として私を愛してほしい』というものだから、私は『性別なんて関係ないだろ』と言ったんだ。そしたら清美がな、『あなただけには誠実でいたいの』と言ったんだ。だから―――」

 タイに行ったらしい。もう好きにしてほしい。

 別に報告しに来なくてもいいものを、校長は帰国後も律義にこちらへおいで下さった。

「タイよかったよ。君も行ってみるといい。エメラルドブルーの海がきれいでな―――」

 おいおい、寡黙なあんたはどこに消えた? と訊きたくなるくらい、饒舌に舌が回る校長に辟易としながら相槌を打っていると―――

「あまりに住みやすそうでな。ついでに別荘を買った」というところでやっと話が終わった。ついでに別荘を買うって……やっぱりブルジョワは、言うことのスケールがでかい。


「サトさん、どうしたの? ボーっとしてるけど。あ、いつものことか」

「うるさいな……ちょっと過去を振り返っていただけ」

「うわぁ。感傷に浸るなんてお爺さんみたい」

 煙を一気に吸い込んでしまいむせた。

「おじいっ……せめてオッサンって言え」咳とともに妥協を吐き出す。するとメグミがベランダのコンクリートを叩きながら笑う。

「オッサンならいいんだー」

 意地の悪そうな笑顔が鬱陶しい。

「じゃあ、サトさんじゃなくて、さっさんね」

「好きにしろよ」

 吸いかけの煙草を携帯灰皿の中で捻じり消し、立ち上がる。その間、メグミは「さっさん。さっさん」と俺の周りをうろつきながら唱え続けた。

「ったく、うるせぇよ」

 小突こうとした時、資材がぐずれるような物音がして、あたりを見渡した。しかし、近くには何も倒れている様子はない。

 今度は誰かの笑い声。その笑い声に俺は陰湿な臭いを感じた。

「いじめ、かな? 」

 さっきまで笑っていた横顔が急に冷めていく。

「面倒事はごめんですからね」

「なんで? スクールカウンセラーでしょ? いじめられっ子助けるのが仕事じゃないの? 」

「あのね、スクールカウンセラーってのは、話を聞くだけなの。喧嘩の仲立ちなんて御免です。担任にでも頼んだら? 」

「きっとあの子はただ学校に通っているだけで別に悪いことなんてしてないのにね。そんな子がいじめにあうなんておかしいでしょ。そう思わない? 」

「まるで、ずっと見てきたかのような言い草だな」

「うっさい。つべこべ言わずに行くの」

 俺の返答に一瞬驚いて、メグミは目を逸らした。

「だから、担任に頼めっ―――」

 襟首をつかまれ無理やり起こされた。「分かったから離して」と言っても、メグミは聞く耳持たない。俺を引き摺りながらぐんぐんと現場へ向かっていく。最近思う、俺の拒否権はどこにあるんだろうかと。


「さぁ、出番だよ。ヒーロー」

 襟首をぎゅっと握られ、いきなり不良の背後へ突き出された。バランスを崩して転びそうになる俺を不良たちは殴る手を止めて睨んできた。

 え、ノープランですか。ノープランなままここへ連れてきたわけですか。

 訴えたくなったが、「なんだてめぇ」と叫びながらじりじりと近寄る彼らのせいで言葉が喉に詰まる。

 絵に描いたような不良は身体つきもテンプレート通り、筋肉質だった。

 いやだ、殴られたくない。

 痛そう。

 おうち帰りたい。

 体の拒絶反応は爆発的に高まり、身体中が痒い。縋るようにメグミに視線を送ると、メグミは腕をクロスさせて拒否の意を示した。

「はやくはやく」

 それでも睨み続けると、メグミが柱の陰でシャドーボクシングをしながら俺を急かしていた。ああ、殺気が湧いてくる。

 とるべき選択肢は限られていた。

 ① 少年を助ける。

 ② その場から逃走。

 どちらも選ぶことなく、俺は最も彼らの対応が穏便で済みそうな、③の加勢するを実行に移した。

「やぁ」

 フレンドリーな感じで手を振ってみる。すると不良たちは「あぁん」と顎をしゃくれさせて威嚇してきた。

「俺、教師じゃないから説教もしないし、別に何でもいいんだけどさー。楽しそうだから混ぜてくんない? 」

 予想外の提案に不良たちが立ち止まった。その瞬間に全速力で不良たちの横を駆け抜け、いじめられていた生徒の前に立つ。

「最近さー、仕事でストレス溜まっててよー。いいだろ? 」

 引き裂けるほど口端をあげ、狂人となって俺は拳を握った。

 そして、俺は眼の前の彼に拳をふるった。

 その時、物陰で人が飛び出した気がするが気にしない。無理やり引きずり出したんだから、これくらいの焦りぐらい与えてもいいだろう。

「おい、なんてひでぇ面してんだよ、お前は。なぁ。なぁ!」

 常軌を逸した俺を見て不良たちが息をのんでいるのが背中越しからでもわかる。

「面白そうだからもっとおかしな面にしてやるよ。拒否権はお前にねぇからな!!!!」

「やべぇよ、アイツ……おい、逃げるぞ」

 振り続ける腕に疲労がたまってきて、今度は脚にしようかと考えていた頃、その言葉が聞こえて「やっとか」と俺はため息をついた。

 後ろを振り返ると、不良生徒の姿はない。一難去ったようだ。代わりに、俺を熱い視線で見ているメグミが立っていた。そして目が合った瞬間、走ってきた。

「何してんだ、オラァー! 」

「おい。早く立て。殺される」俺は彼の腕を引っ張り上げて強引に立たせた。

 しかし、時すでに遅し。

 メグミの靴の裏が俺の背中に減り込み、エビ反りになって、宙に投げ出された。

 見えている景色がスローモーションになる。視界の端に彼はいなかった。探すと彼はすっ飛んだ俺より遠くへ瞬時に離れていた。

 ビビりすぎだろコイツ。そういやどっかで見たことあるな。思い出した。張り込みしていたコンビニのバイト……そう思った瞬間、地面と額が激突する。

「謝れ―――」

 誰かさんのおかげで、頭ならもう下がっている。見てみろ。捉え方によっては今の俺の状態は土下寝ともいえるだろうが。

「早く立てよ。鬼畜」

 鬼畜はどっちだ、この野郎。

「……そっその人、僕を殴っていません」

 通路脇の並樹から顔だけを覗かせてバイトくんは掠れたような声でメグミを制した。襟首に伸びようとしていたメグミの手が寸でのところで止まる。

 でかしたぞ、コンビニバイトくん。でも大事なことはもう少し早く言おうか。また明日から呻き声を上げながら起き上がらなくてはならなくなった。

「嘘でしょ……本当にそうなの? 」

「信じられないなら、俺じゃなくてあの子に聞いてみろ」

 メグミがバイトくんの下へ駆け寄っていく。

 そこでメグミは「えっ」と驚いた後、両手で顔を覆い、大げさに後悔を口に出して響かせてその場にしゃがみ込んだ。

 ずぶ濡れになった子犬みたいになったメグミは俺の方へ寄ってくる。

「あたし、早とちりしたみたい……ごめんなさい」

 声が少し震えて湿っている。

 こいつは笑うのも、怒るのも、泣くのも一々大袈裟だ。

「わかればいいよ。手かしてくれ」

 メグミの手を握り、ゆっくりと立ち上がる。

「あたしを煽った時といい、今といい、さっさんって素直じゃないよね。捻くれているって自分で思わないの? 」

「うるさい。はやく帰るぞ」

 肩に手をかけ、メグミの身体に少し寄りかかりながら帰ろうとした時、後ろ髪をぐんと引っ張られる声がした。


「さっ冴島先生。お願いがあるんです―――」

 振り返ると、バイトくんが叫んでいた。

「『あなたに言えば、悩みを解決してくれる』って聞いたから……」

「ちょっと待て、それ誰に―――」

「助けてください。友達が死にそうなんです」

 俺の言葉は無視かい。

 間髪入れずにバイトくんはまた叫んだ。死にそうなら医者へどうぞ。

「おっお願いしまぁす! 」

 とうとうバイトくんは土下座し始めた。

 通りすがる生徒が俺と彼に視線を行き来させる。こんなところを先生方に見られたら―――きっと風当たりはもっと強くなるのだろう。

 話を聞くだけだ。ここは我慢だ。頭を掻き毟って、バイトくんをカウンセラー室へ連行した。


「依頼人さんあなたのお名前は? 」

「みっ水上瞬です」

「シュンくんね、分かった。じゃあ話を聞きましょう」わざとらしくメグミは「ふむふむ」といいながら数度頷く。探偵ごっこでもしている気分なんだろうか。

「おまえが仕切るのかよ」

「いいでしょ。あたし、さっさんの助手なんだから」

 足を組み、腕を組み、そしてふんぞり返るメグミ。それでもおまえは俺の助手のつもりか?

 バイトくん改め、シュンは肩を落としてただでさえ小柄な体躯を一回り小さく見せている。

 長髪で、目元を覆い隠す前髪は他人と自分の世界を区別する壁にも見える。全体的に暗い印象はきっと、掠れたように小さい喋り声や、自信のなさそうな佇まいのせいだろう。色々と生きづらそうな少年ではある。よく、コンビニでバイトなんてできているな。


「わかった。一応、話だけは聞こうか」

 木々の新緑を纏った風が部屋に吹き抜ける中、欝々としてじめっとした話が始まる。


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